「…………っはー……だるい……」
葉擦れの音と鳥や虫の鳴き声だけが響く中に、俺のつぶやきが混ざる。
茜色に染まる空の下、俺は鬱蒼とした森の中の獣道を、たった1人で歩いていた。
森の中に入って一時間、いや2時間だろうが、かなりの時間が経過しているが、俺の目的のものは見つからなかった。
――俺が住む街には、とある言い伝えがある。
街の北にある山の麓、そこの森の最奥にある寂れた祠。その扉を開くと、神隠しに遭うというものだ。
俺は今、その言い伝えにある祠を探している。
別に俺がそれを信じていると言うわけではない。そんな非現実的な話を信じるほど、俺は純粋では無いのだ。
ではなぜ俺がその祠を探しているのか。答えは簡単、その心が俺の家のものであるかもしれないからだ。
そもそもこうなったきっかけは、1ヵ月ほど前まで遡る。
ほんの半年前まで元気だった祖父が急に体調を崩し、最終的に1ヵ月前の今日亡くなったのだ。
そしてその祖父の遺言にあったのが、祠についてのことだったのだ。
祖父の遺言には「町の北の森の奥にある祠を壊してくれ」とあった。理由は何も書かれていなかった。
俺の両親は、それを見て「なんだこれは」と一笑に付し、まともに調べようともしなかった。
だが、祖父が死んでからすぐに、祖母も「祠を壊せ」と言い出した。
最初はボケたのかと思ったがどうやらそうでは無いらしく、そのあまりの剣幕に負けて、数日前にようやく祠のことを探ることになった。
そして、まず場所が分からないので見つけてこいと俺が送り出されたのだ。
正直言って、不本意である。俺は今夏季休暇を満喫しているところで、こんなくだらない(祖母の様子を見ているとそうとも言い切りにくいが)仕事を押し付けられる通りは無いのだ。
だが、俺は親には逆らえない。だから仕方なくこうやって祠探しをやってあげているのだ。
しかし、こうも見つからないとなると、心など本当はないのではないかと思ってしまう。
すぐに見つかるだろうと高を括っていたので、現在の俺はTシャツに短パンという、森の中を歩くには適さない服装だ。先程からあたり一帯に伸びた草が当たって非常にかゆい。
だんだん足も痛くなってきたことだし、今日はこの辺でやめておこうと思った、その時。
目の前に祠を見つけた。
大部分が苔で覆われ、一部の柱が朽ちたりしている、お世辞にも状態が良いとは言えないものだ。
自然に同化していたせいで少しわかりづらかったが、確かにそこには祠があった。
だが、噂が立つようなものにしては些か奇妙だ。噂の真偽を突き止めようと森に入る子供たち(俺も言ってしまえばまだ子供だが)は多いというし、その中にはここにたどり着いたものがいてもおかしくない。
にもかかわらず、人の手が入った形跡がないのだ。ほこらは荒れてはいるが、“壊された”というよりも“放置されていた”と言った感じだ。
存在を知られていながらここまで放置されているのは、若干の悪寒を感じるほど不自然だ。
――ふと神隠しの言い伝えが頭をよぎった。いやいやまさかとその妄想を振り払うが、どうにも気になって仕方がない。
悩んでいても仕方がないので、俺は試しに一度開けて見ることにした。開けて、何も起こらないことを確認すれば、この焦燥を掻き立てる不快感も消え去るだろう。
幸い、観音開きの扉の取手はちゃんと残っている。俺はそれをゆっくりと引いた。
絡まったツタが引き延ばされ、ブヂ、ブヂィ、と音を立ててちぎれる。そうして軋みながら開いた扉の中には、小さな地蔵が一つ安置されているだけだった。
俺はそれを見て、どうしてこんなくだらないことが気にかかったのだろうと自嘲し、祠に背を向けた。そして一歩を踏み出した瞬間。
不定形の何かが、目の前に現れた。
「ぐじゅるるる……」
「ひ……っ」
赤とも青とも黄色とも緑とも取れる、奇妙な色のそれは、ある時は無数の触手を生やし、またある時は充血した目玉で覆われ、そしてまたある時は内臓を剥き出しにした礫死体のようなものを生み出しながら、ただそこに存在していた。
その名状し難い姿は俺の精神を容赦なく蝕み、声にならない悲鳴が口から漏れる。
嫌な汗が全身から滝のように噴き出し、吸い込んで体に張り付く服が気持ち悪い。胃の中からこみあげてくる酸が喉を焼く感覚がさらに吐き気を強めた。
――逃げなければ。
そう思って背を向け全力疾走するが、それはなんの意味もなかった。
振り向いて一歩踏み出したときには、目の前に回り込まれていたのだ。
そのことに気づいたときにはもう遅く、胸ぐらを鷲掴みにされて持ち上げられた。
そしてそのまま、勢いよく祠の中へと引き摺り込まれていく。
最後に見たのは、耳障りな音を立てながらゆっくりと閉まっていく、祠の扉であった。
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