「あの『屍肉食い』が三分で全滅だと!? 化け物め!!」
スナメリはそう吐き捨てた。『屍肉食い』たちの闘いを遠くから見ていた彼の傍らに、一匹のシュモクザメが寄り添っている。シュモクのレイジ。それが、その男の名である。
「スナメリさん。なかなか苦戦しておられるようですね」
「レイジか・・・・・・。何故、お前がこんなところに居る?」
「丁度、武者修行から帰ってきたところです。あのご老人とは、何やら因縁がありそうですね」
レイジは一匹狼の武闘派として、外洋に名を馳せていた。その体には、幾多の戦いの中でついた向こう傷が無数に刻まれている。本来なら絶対に交わらないタイプだが、スナメリは、彼に対しては礼を尽くしていた。
「どうやら、恥ずかしい所を見られてしまったようだな」
「恥じることはありません。あれは、あの御老人が一枚うわ手だったのです」
「というと?」
「奴らは皆、目の前の肉に気を取られたためにやられてしまいました。狙うべきは肉ではなく、あのご老人の方なのです。肉は彼を倒した後に、ゆっくり食えばいい」
「その通りだ、レイジ」
「あの老人と、どのような因縁が有るのか分かりませんが、お困りなら、私が助太刀しましょうか?」
「申し出は嬉しいが……。奴の銛さばきは侮れんぞ」
「並のサメなら、倒すのはムリでしょう。しかし、私の視野角は通常の三倍。肉に気を取られなければ、やられることはまずありません」
「……」
レイジは『屍肉食い』とは訳が違う。内海奪回のための貴重な戦力だ。故にスナメリは、彼に対して礼を失することがなかった。万が一にも、こんなところで失うわけには行かないのだ。
「そうはいっても、攻撃の時だけは口を開かぬわけにはいくまい。その瞬間を狙われたらどうする?」
「心配ご無用。私は口を開きません」
「どういうことだ?」
「ふふ……。私の異名をご存じありませんか?」
そういうとレイジは、自分の頭をヒレで指さし不敵に笑った。彼の異名はハンマーヘッド。T字型の堅い頭が直撃すれば、たとえ相手がクジラだろうと、一撃で討ち果たしてしまうのだ。
「あのご老人は、既に疲労困憊。ほんの少しかすっただけでも、戦闘能力を失うでしょう」
「なるほど、いい手だ」
「無論、一度や二度は交わせましょうが、永遠に逃げ続けることは不可能です」
完璧だ。少なくとも、レイジが返り討ちにされる事はない。今度こそあのジジイを斃せるとスナメリは思った。
「殺ってくれるか?」
「お引き受けしましょう。但し、それなりの報酬は用意していただきます」
「武人のお前にしては珍しいな。俺のような外道相手に、いったい何を望むというのだ?」
「ふふ……。外洋一のヤリチン野郎の貴方だからこそ、こうしてお願いするのです」
そういってレイジは、無数の傷の刻まれたその頭を深々と下げた。
「私はこの顔です。女性にモテるわけがない。無事にこの仕事をやり遂げたら、私に嫁を世話してください」
「俺にサメをやる趣味はないぞ」
「とぼけちゃって……。『俺は別にイルカしか駄目って訳じゃないんだぜ? 哺乳類の凄さ、教えてやるよ』とか言って、イタチザメのキレイどころを何匹もクスリ漬けにしていると、もっぱらの評判ですよ」
「ちっ! 知ってやがったのか!」
「外道は沢山見てきましたが、種の垣根まで超える奴は、なかなかいません。貴方は本当に恐ろしい方だ」
「歯に衣を着せぬ男だ。いいだろう。イタチの激しいのを抱かせてやるよ」
「始めては、優しいお姉さんタイプがいいなあ。なるべく、サメ肌じゃない奴」
「わかったよ。じゃあ、ジンベエの若い奴な」
「ジンベエまで手懐けてるんですか! 絶滅危惧種なのに!!」
「ああ、ジンベエの若いのは最高だぜ。ロリのくせにデカいしな」
ネズミイルカの体長はせいぜい三メートルであるが、ジンベエザメは成長すると、体長二十メートルにも達するのである。スナメリは自分より大きな女を屈服させるのが好きだった。
「貴方は本当に恐ろしい方だ。まさに、女の敵ですね!」
「俺はやりたい女とやるだけさ。なあ、レイジ。自分よりデカい女を屈服させる瞬間は最高だぜ? ジンベエは大人しいし、肌もヌルヌルしてるしな」
「た……楽しみだなあ」
「しかし、いくら女絡みとはいえ、外洋一の武人で知られたお前が、俺に頭を下げるとはね」
「何とでも言ってください。培ってきた武術を後世に残すのも武人の責務。私は、童貞のまま死ぬわけにはいかないんですよ」
「よかろう。契約成立だ」
レイジとスナメリが、密かに約束を交わした頃、全力さんは次の戦い向けて、準備していた。
「銛が壊れんように補強せないかんな。それから、手も何とかせにゃいかん。ああ、砥石を持ってくれば良かった。準備しとくべきものが色々あったんや」
全力さんがそう独り言ちると、事務員さんの幻影が再び現れた。
「持ってない物のことを考えている暇はないよ。ある物で何ができるかを考えなきゃ」
「そうやな。あのカジキを売れば、アケミは独り立ちできるかもしれんのじゃ。諦めるわけにはいかん」
「その意気だよ、全力さん!」
「でも、両手が血だらけなんや。どないしたらええやろ」
「血はもう止まってるよ。それに、悪い血が流れ出た分、却って左手が引きつらなくなるかもしれない」
「ひーちゃんは、いつもポジティブやなあ」
全力さんはもはや、この声を幻聴だと考えてはいなかった。おそらくは、元の世界とこの世界とをつなぐ扉が開きつつあるのだ。全力さんが港に戻るのは、アケミにこのカジキを残し、何の未練もなく元の世界に帰るためだ。それ以上の理由はない。
「ねえ、全力さん。最初から全部、夢だったら良かった?」
「そうやなあ。あの箱の上で居眠りしてもうたのが、間違いの始まりやったかもしれん」
「『人生を変える箱』だよね?」
「そうや。当時のわしには、その意味がようわからんかった」
分かったところで、全力さんは自分の人生を変えようと思わなかっただろう。毎日カリカリを食べて、事務員さんと一緒に漫才しをながら、時々『おひねり』が貰えれば、それで十分だったのだ。
「私はね、全力さんがその世界に飛ばされたのは、こっちの世界の騒動に全力さんを巻き込まないためじゃないかって、思うの」
「騒動?」
「こっちは今、大変なことになってるの。ヴァルダはもう古書店なんかやってないし、伊集院さんも前線で戦ってるんだよ」
「ええっ!」
事務員さんにそう言われて、全力さんは、最初に見た不思議な夢を思い出した。
「日本はこれから戦争になるから。ヴァルダも事務員さんも、伊集院も徒呂月も、皆その戦争に巻き込まれるわ」
「戦争は嫌やなあ……。戦争になったら、ご飯が食べられなくなるんやろ?」
「大丈夫。全力さん爆弾がこの国を守るの。アナタは英雄として、皆に称えられるようになるのよ」
全力さんはボンクラだが、戦争の悲惨さはよく知っていた。魔界に侵攻してくる天使たちと、数えきれぬほど戦って来たからだ。魔界ではトリだった彼の任務は、戦場の偵察だった。そして、戦が起こる度に仲間が大勢死んだ。
あの夢が正夢だとすれば、自分が戻らねば日本は負けてしまうだろう。ヴァルダの宿願は砕け、ひーちゃんや伊集院もひどい目に遭うはずだ。
「日本はいま、米軍と戦争しとる?」
「うん。東京はもう持たない。徒呂月さんは今、仙台への撤退戦の準備を始めてるわ」
「皆に伝えといてくれ! どんなに苦しくとも、わしが戻るまでは、絶対に諦めるなとな!」
「何かあるの?」
「全力さん爆弾や!」
「全力さん爆弾?」
「詳しいことはよう分からん。でも、それがあれば、その戦争には勝てるんや。わしがそっちに戻りゃあ、何かええ結末が待っとるかもしれん」
そう叫んだ瞬間、全力さんは目が覚めた。両手を水に浸したまま、少し眠ってしまったのだ。だが、そのおかげで頭はすっきりしたし、手の調子も良くなった。無意識に作業していたのか、ロープの補強も既に終わっている。
「やっぱり、夢だったんかなあ……」
全力さんが寝ぼけ眼のまま辺りを見回すと、ハンマー頭のサメが一匹、こちらの様子をうかがっていた。シュモクのレイジだ。
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