「何だよ、あのアオザメ! 散々威張り倒してたくせに、あっさりと殺されやがって」
刺客として送り込んだアオザメが倒されたのを見たスナメリは、沈みゆくアオザメの死体を見ながらそう吐き捨てた。
「まあいい。これで銛は無くなった。だが、まだ奴が俺の知らない武器を持ってる可能性もある。それにアイツは、オールの達人だ。あれでまた殴られたらたまらない」
ちょうどその時、ヨゴレザメの集団が通りかかった。ヨゴレザメは屍肉を好むため、生餌にしか興味のないスナメリとは利害が一致していた。スナメリは輪姦中に死んでしまったメスの死骸を彼らに与え、屍肉を狙う別のグループから、彼らを守ってやっていたのである。
彼らは屍肉の処理だけでなく、純度の高いフグ毒を扱う売人としても有名だった。スナメリが彼らを手なずけているのも、その辺に理由があるのだ。
「あっ、スナメリさん。ちーす!」
「おう。確か、『屍肉喰い』のクボタンとかいったか?」
「そうです。この前のフグ毒どうでした?」
「ああ、クスリは最高だったよ」
「でしょう? 軽く煽れば簡単にハイになるし、キツいのを決めれば、どんなメスでもイチコロです」
「そうだな」
「いい餌場を教えてくだされば、いつでも回しますよ」
「餌場か……」
全力さんのカジキには、まだたっぷり肉が残っている。こいつらを先に行かせて、ここから更に体力を削るのも悪くない。どうせ勝てはしないだろうが、こいつらは数だけは沢山いる。
「屍肉ならいいのがある。馬鹿デカのカジキだ。ここから一キロほど離れたところで、初老の男が船で引っ張ってるんだ。奴はもう疲れ果ててるから、喰い放題だよ」
「マジっすか!?」
「ああ。二晩も戦ってロクに寝てないし、さっきアオザメと戦って銛も失った。何だったら、あの爺さんも一緒に喰っていいぜ」
「生餌には興味ないので遠慮しときます。ところで何故、スナメリさんはそれを黙って見てたんすか?」
その言葉を聞いて、スナメリは逆上した。まさか、その爺さんにオールでぶちのめされたから、復讐の機会を狙っていたとはいえない。
「俺は若いメスにしか興味がねえんだよ! 屍肉を喰いたいのか、喰いたくないのか、どっちだ?」
「喰いたいです!」
「よし、なら俺についてこい!」
スナメリはヨゴレザメたちを先導して、全力さんの船の近くまで案内した。アオザメに齧り取られた肉からは、大量の血が流れて出ている。
「な、ホントだろ?」
「あんなデカいの見たことないっすよ!! あれ、マジで全部喰っていいんすか?」
「いいよ。その代わり、若くてケツのデカい女をまた頼むぜ。俺の事を『好青年』と触れ回るのも忘れずにな」
「勿論です! おいおめえら、この外洋をスナメリさんのDNAで埋め尽くすぞ!」
「スッナメリ! スッナメリ!」
「いい激だ。流石は、一流の売人だな」
スナメリはクボタンを持ち上げた。そして、大声で叫んだ。
「行ってこい! 腐肉喰いども! この俺が覇者となった暁には、外洋の全ての屍肉はお前らのものだ!!」
「おおー!!」
ヨゴレザメたちは、我先にとカジキの方へ泳いでゆく。狂乱索餌といって、彼らは目の前にエサを見つけると、喰う事しか考えられなくなるのだ。
「最後に腹一杯食って死にな。半端に生き残られちゃ、後が面倒だからよ」
スナメリはそう独り言ちた。薬の売人は別に『屍肉喰い』だけではない。自身の高評価を広げるために、彼は方々の売人と付き合っていた。スナメリはクズのヤリチン野郎だが、キメセクのためには努力を惜しまない男なのだ。
「お前らの弔辞は、俺が恰好よく読んでやるよ。くくっ、これでまた好感度アップだぜ」
風は順調に吹き続け、船は軽快に進んだ。だが、水に拡がる血の匂いを止める術はどこにも無かった。全力さんは船尾で体を休めながら時々カジキの肉を食い、力を維持しようと努めていた。その時、船を追うサメの集団が見えた。
「今度は、ヨゴレザメや」
最初のサメの後ろに、沢山のサメの尾びれが見える。茶色い三角形のひれと、払うような尾の動きから、ヨゴレサメだと直ぐに分かった。集団は匂いを嗅ぎつけて興奮している。空腹のあまり頭が働かなくなって匂いを見失ったり、また見つけて興奮したりしながら、彼らは確実に船へと近づいていた。
「全員、頭がおかしくなっとる。数も多いし、さっきのアオザメより厄介かも知れん」
集団は極度の興奮状態のまま、食らいつく相手を探していた。全力さんは帆綱を結び、舵棒を固定しながら、ナイフを縛り付けたオールを手に取った。手があまりにも痛むので、オールを持つ両手をそっと開け閉めしながら、痛みをほぐした。シャベルの刃のように平らで広い頭と、先端が白くなった大きな胸びれが間近に迫ってきた。
「こん、腐れ外道がー!」
全力さんは声に出してそう叫んだ。全力さんは昔、ヴァルダと一緒に任侠映画をよく見ていたので、汚い言葉をたくさん知っているのである。そもそも彼は、『じゃりン子チエ』とお笑い番組のヘビロテで日本語を覚えたのだった。下品な言葉ならお手の物だ。
「こいつらは集団で腐肉漁りをやるし、腹が減っとりゃ、人間だって普通に食う。殺されて当然じゃ」
だが、屍肉食いのリーダーであるクボタンはさっきのアオザメよりは賢かった。全力さんからの攻撃を受けないよう、体をくねらせ巧妙に船の下に隠れたのだ。残りの四匹は、その様子を注視していたが、やがて我慢が出来なくなり、半円形の口を開いてカジキの傷ついている部分に食らいついた。
「往生せえや!!」
サメの背中にある脳と脊髄が繋がる急所が、全力さんにははっきり見えている。彼はその一点に、オールに付けたナイフを再び打ち込んだ。引き抜くやいなや、今度はそれを、サメの黄色く濁った眼に突き刺す。噛みちぎった肉を咥え込んだまま、最初のサメは死んだ。
そこから更に二匹、三匹。全力さんはヨゴレザメを倒していったが、船はまだ揺れ続けていた。最初に隠れたクボタンが、船の下からカジキを喰らっているのだ。
「お前意外と賢いやんけ! でも、ここまでや!」
全力さんは帆綱をほどいて船の向きを変え、その下にいたクボタンの姿を暴いた。次の瞬間、全力さんは身を乗り出して急所を突き刺す。だが、その狙いはわずかにずれ、今度は肉を叩いただけだった。その皮は硬く、ナイフはわずかしか入らなかったのだ。しかもこの一撃で、全力さんは肩をひどく痛めてしまった。
「えらいなあ。人間はやっぱ大変や」
クボタンは素早く頭を突き出した。その鼻が水面から現れ、カジキに襲いかかった瞬間、全力さんはサメの頭の中心を正面から打った。刃を引き抜き、再び同じ場所に叩き込む。それでもクボタンは、顎で魚にぶら下がっていた。
「こん、キチガイめ!」
全力さんはクボタンの左眼を刺した。だがクボタンは決して肉を放そうとはしない。全力さんは銛を引き抜くと、今度は脊椎と脳の間に刃を突き立てた。今度は軟骨が裂ける感触がある。全力さんはオールを返し、刃の先をサメの口に突っ込んでこじあけた。
「じゃあな。海底まで一マイルや。さっきのアオザメによろしく伝えといてくれ」
全力さんがオールをひねると、力なくサメが滑り落ちていった。全力さんはナイフの刃を拭いて、再びオールを下に置いた。
「四分の一は取られたな。しかも一番良い場所をやられた。しかしこれで、また船は軽うなった」
船は再び進路に戻った。食いちぎられた部分のことは、考えなかった。サメが喰らいつく度に、一番上質な腹側の肉から剥ぎ取られていくことを全力さんは知っている。カジキは今も海中にその匂いを撒き散らしながら、サメを引き寄せているのだ。
「悪かったなぁ、兄弟。こんなを釣らなきゃ、こんなことにはなってないのに」
全力さんは、カジキの背を撫でながらそう言った。血は抜けて波に洗われ、体は鏡の裏側のような銀色に見えた。ただ、背中の縞模様はわずかだがまだ残っている。
「こがいな遠出をせんほうが良かったんやろな。こんなにとっても、わしにとっても。悪かったな、兄弟」
全力さんは、もう一度そう繰り返した。
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