全力さんと海

ー大祖国戦争前夜ー
伊集院アケミ
伊集院アケミ

第二十二話「外洋生物連合」

公開日時: 2021年2月3日(水) 23:34
更新日時: 2024年11月2日(土) 18:21
文字数:3,180

 船は風に乗って順調に進んだ。レイジは肉には全く手を付けなかったので、カジキの巨体はまだ六割ほど残っている。全力さんは、このまま無事に帰り着けるかもしれないと希望を抱いた。だが、彼はまだ、サメを引きつけているのがスナメリの策謀であることを知らない。


 全力さんは再び、両手を海水にひたした。日暮れが近づいて来て、海と空以外は何も見えなかった。しかし、空では風が強くなってきた。じきに陸が見えてくるはずだ。


「疲れたよ、アケミ。わしは芯から疲れとる」


 全力さんが眠い目をこすりつつ、港への航海を続けていた頃、スナメリは自らの主催する『外洋生物連合』のメンバー全てに檄を飛ばした。それは、『キメセクと乱交』を至高の文化と称し、人類に反感を持つ全ての生物たちが集まって出来た武闘派の集団である。


 彼は早速、集まったクジラやサメやイルカたちの前で演説を始めた。『屍肉喰い』の全滅と、巧妙な武人でもあったレイジの死を、自らの復讐のために利用しようと画策したのである。

 

 我々は英雄を失った! これは敗北を意味するのか? 否! 闘いの始まりなのだ! 人類の総人口、七十七億に比べ、我ら外洋生物連合の総数は三十分の一以下である。にもかかわらず、今日まで外洋の覇者でいられたのは何故か? それは我々こそが、この地球の統治者となるべき存在だからだ!

 

 かつて、内海で平和に暮らしていた我々の祖先は、住処を奪われ外洋へと追いたてられた。陸にしか住めない人間が、我々を内海から追いやって、一千有余年。種の存続を図るため、内海奪還の戦いを起こした同胞たちが、何度踏みにじられたか? ヒレや脳の油のみを奪われ、無残に打ち捨てられた者たちが、何千何万に達するか?


 我々はこれまで、人類に対し敗北を続けてきた。だがそれは、我々が弱い事を意味するのではない。奴らが非常にずる賢く、また数において優位であることを意味するに過ぎないのだ! 我々は、臥薪嘗胆の思いで人類に学んだ。そしてついに胎生を獲得し、単体での攻撃力は勿論の事、知性においても人類に勝るに至ったのだ。負けているのは、数だけである! そして、その数の差を埋めるために、我々は今日まで、キメセクと乱交に勤しんできたのだ!!


 我々の掲げる失地奪還のための戦いを、神が見捨てるはずはない! アオザメパイセン、『屍肉団』の五人、そして、諸君らの愛したシュモクのレイジは死んだ! 何故だ!?


「坊やだからさ」 と、スナメリは内心でつぶやいた。フグ毒を使い、数々のヤリサーを束ねてきたスナメリにとって、この手の演説はお手の物である。しかも彼は厄介なことに、この選民思想を心の底から信じていた。この地球の半分以上を占める外洋を自分の遺伝子で埋め尽くそうと、本気で考えていたのである。


 我々は過酷な外洋を住処としながらも、共に苦悩し、共に錬磨しながら、今日の文化を築き上げてきた。その文化の最高峰が、キメセクと乱交である。


 かつて、我らが建国の父であるデュッコ・シュレーカーは、『種の壁を乗り越えるところから、人類への反撃は始まる』と宣言し、自らそれを実践した。今はまだ卵生に留まる者たちも、いずれは種の軛を越えて、哺乳類へと進化するであろう。


 陸に生きる人類は、水の中では呼吸すらままならぬ惰弱な存在でありながら、自分たちがこの地球の支配者であると増長し、我々を圧迫した。諸君の父も子も、彼らの乱獲の前に、時には絶滅寸前まで追い込まれたのだ!


 この悲しみと怒りを忘れてはならない! それをレイジは、自らの死をもって示してくれた! 我々はこの怒りを結集し、レイジを殺した老人を海の底に沈めることで、人類に対する最初の勝利を収めることができよう。この勝利こそ、死んでいった者たちへの最大の手向けなのだ!


 我々が、この地球の覇権を握るのは、歴史の必然である。ならば我々は襟を正し、何としても人類を討ち果たさなければならないのだ!

 

 全ての外洋生物よ、立て! 悲しみを怒りに変えて、立て! 我ら外洋生物連合に属する者たちこそ、神に選ばれた存在であることを忘れてはならない! 優良種である我々が人類に取って代わり、この広い海に満ちてこそ、地球を救い得るのである!

 

 外洋生物連合、万歳! 



 スナメリの演説によって鼓舞されたヨゴレザメたちの先遣隊が、全力さんを襲ったのは、三日目の日没の直前だった。スナメリの先導を受けた彼らは、魚の匂いを探し回ることもなく、二匹並んでまっしぐらに進んでくる。


「まだギャフが残っとる。だが大して役には立たんやろ。他にあるのはオールが二本と、舵棒と棍棒だけや」


 詰んだかなあと全力さんは思った。昔なら棍棒でもサメを叩き殺せたが、今の全力さんは若くはない。


「しかしまあ、出来るだけのことはしよ。オールと舵棒と棍棒だけはあるんや。来るのがヨゴレなら、まだやりようはある」


 全力さんは舵棒を固定し、船尾にある棍棒に手を伸ばした。右手でその棍棒を握りしめ、手首をしならせながら、近づいてくる二匹のサメを見つめた。


「コイツらはさっきのシュモクとは違う。まずは、肉にしっかりと噛み付かせよ。そしたら鼻先に、一発お見舞いしてやるんや!」


 先に来たほうが顎を開き、銀色の腹に歯を食い込ませるのが見えた。その瞬間、全力さんは棍棒を高く上げ、勢い良く振り下ろす。ゴムを打ったような手ごたえだったが、硬い骨の感触もあった。


 ずり落ちていくサメの鼻先を、全力さんはもう一発殴りつけた。すると今度は、遠巻きに様子をうかがっていた二匹目が、顎を大きく広げながらやって来る。カジキに襲いかかって顎を閉じると、その顎の端から白い魚肉がこぼれるのが見えた。


「こん、腐れ外道がぁああ!」


 全力さんは全力で殴りつけたが、サメは余裕綽々で肉を食いちぎった。滑り落ちながら肉を飲み込む間に、全力さんは再び棍棒を振り下ろしたが、手ごたえはない。


「やっぱ、刃物が無いときついなあ……」


 サメは再び突進してきた。その顎が閉じられた瞬間、全力さんは棍棒を高く振り上げ、渾身の力を込めてサメの脳天を撃った。すると今度は骨を砕いた感触があった。


 白い魚肉を口にしたまま、弛緩した様子でサメがずり落ちていく。全力さんは更にもう一発、同じ場所を叩きつけた。


「手応えはあったが、死んだとは思えんな。若い頃なら最初の一撃で殺せたやろうけど」


 全力さんは、次の攻撃を待ち構えた。しかし、どちらのサメも現れなかった。やがて、どちらかは分からぬけれども、一匹が水面に輪を描いて逃げてゆくのが見えた。


 もう一匹も相当の痛手を負ったはずだ。両手でしっかり棍棒を握って打ち込めば、次は間違いなく仕留められる。だが、たった二匹しかいなかったのに肉は激減してしまって、もう三割ほどしか残っていない。戦いの間に、太陽もすっかり沈んでしまった。


「もうそれほど遠くはない。もう少ししたら、港の灯りが見えてくる。海流の所為で東に寄っているとしても、別の浜の灯りが見えるはずや」


 全力さんは静かに考えた。


 アケミは心配しとるやろうな。だが、あいつはわしを信じとる。だから、わしは帰るんや。もしかしたら、トサナミも心配しとるかもしれん。アイツはどんな時でも、わしに新聞をくれたからな。


 魚はひどい状態になっていた。全力さんは詫びるように残った部分を撫で、魚の残骸に話しかけた。


「やはり、少し遠出しすぎたのかもしれんな。自分のことも、こんなのことも、つまらんようにしてしもうた。だがわしは、今日だけでも沢山サメをぶちのめしたよ。ヨゴレが七匹に、アオザメに、妙に真面目なシュモクが一匹……」


 こいつが生きていたら、サメとどう対峙しただろう? そう考えると、全力さんはちょっと楽しかった。


「こんなは今まで、何匹殺したんや? 頭につけた槍は、伊達じゃあるまい?」


 全力さんがそう問いかけると、魚の頭がほんの少しだけ微笑んだように感じた。



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