夕焼けの森、夏はさよなら

兎鳩パセリ
兎鳩パセリ

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公開日時: 2022年1月5日(水) 12:00
更新日時: 2022年1月5日(水) 12:29
文字数:1,465


 最寄りのバス停から歩いて三分ほど。雑居ビルが建ち並ぶ道を歩き、一つのビルの前で立ち止まる。


『宮下ビル』


 貰った名刺にある住所と全く同じであることを確認して、中に入る。


 一階はカフェになっていて、その横の廊下を進むと奥にエレベーターがある。廊下の途中にあるビルの案内を見ると、『3F 株式会社なんでも屋』というパネルがはまっていて、本当に実在していたのか、なんて思った。


 エレベーターに乗り込んでボタンを押した。ぐっと箱が持ち上がる感覚。横隔膜の辺りから、じわりと緊張が滲むのを誤魔化すように、少しだけ深めに呼吸をした。


 エレベーターの扉が開くと、そこに廊下はなく、ソファや机などの置かれたオフィスがあった。中はしんと静まっていて、あまり人の気配はない。


 恐る恐る、タイルカーペットの上に踏み出す。それと同時にパーテーションの向こうから、露崎さんが出てきた。相変わらず、取締役代表という肩書きを思わせないほどふにゃふにゃした笑みを浮かべている。


「やぁ、いらっしゃい、あずちゃん」

「お、お世話になります」


 ぺこりと頭を下げると、「こっちにおいで」とパーテーションの向こうへと誘導された。そこには四つのデスクが並び、奥には少し大きめのデスク、壁には本棚が並んでいる。


 物珍しげに眺めていると、一番奥のデスクに積み上げられた書類の中からクリアファイルを手に取った露崎さんから、その中身を渡された。


 見ると、雇用契約書や機密保持誓約書なんかの書類だった。


 露崎さんに手招きされ、彼のデスクだろうその前に座り、書類にペンを走らせる。一応、一応だが、変なところがないか確認しながら​サインを入れた。


「……うん、これで大丈夫。じゃあ、改めて​────よろしくね、鈴木 アズちゃん」

「はい。よろしくお願いします、露崎さん」


 差し出された手に自分の手を重ねると、露崎さんはにっこり笑う。


「立夏でいいよ」

「立夏さん」

「……」

「え、駄目ですか?」

「ダメじゃないけど……」


 えも言われぬ圧力を感じて言い直すも、立夏さんは納得していない様子で。どうすればいいのか、と考えて、ふと思いつく。

 

「立夏くん?」


 どうやらこれが正解だっだようで、今度こそ満足そうに笑った。ブンブンと嬉しそうに揺れる尻尾が見えるようだ。


「お兄ちゃんでもいいよ」

「立夏くんで」


 それも選択肢にあったのか。絶対呼ばないけど。


「じゃあ、簡単に仕事内容を説明するね」


 と立夏くんが棚の方へと向かう。


 そのとき、棚と観葉植物の間にあるドアががちゃりと開いた。


 そこから、上下黒と灰色のスウェットの男の人が出てくる。黒い髪は寝癖だらけで、金のメッシュが覗く。乱れた前髪の隙間からは、鋭い眼光が見えていた。


 身長が百八十ありそうな立夏くんと並ぶくらい背が高く、筋肉質でガタイもいいから、結構威圧感がある。


「お、おはよう、カオル​────て、コラ。ちゃんと身支度整えてから出てきなさい」

「……こいつは?」


 叱る立夏くんを完全にスルーして、彼はその鋭い眼差しを私に向けた。


「全く……今日からここで働くアズちゃん。仲良くしてあげてね」


 立夏くんに紹介されると、彼はほんの少しだけ目を見開いた。それから、鋭かった眼光が少しだけ柔らかくなる。


「アズちゃん、こいつはカオル。無愛想だけど見た目ほど怖くないから大丈夫だよ」

「やめろ」


 立夏くんにわしゃわしゃと頭を撫でられ、それを鬱陶しそうに退ける。それから私の方へ手を差し出した。


「よろしく、アズ」


 そっと手を握ると、きゅっと力が篭もる。応えるように、私もそっと力を込めた。


「よろしくお願いします。カオルさん」




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