番付お圭

活読落語
木乃 伊知郎
木乃 伊知郎

番付お圭・其ノ肆

公開日時: 2021年3月8日(月) 09:46
文字数:2,277

「……落ち着いたかい?」

先とは役割が入れ替わり、今度は貞吉がお圭

を待つことになっていた。


あれからお圭は貞吉にしがみついたまま泣きじゃくり、貞吉も次の行動を決めあぐねていた。考えても良い案は何も思い浮かばないので、傍の立て札に倣い棒立ちしていた。


「貞吉様、私には勿体無い御言葉、感謝致します。」

「なに、本心だ」

深々と礼をした後に顔を上げ、お圭は続ける。

「どこまで話しましたでしょうか……あぁ、身を投げたところまで、でしたね。これで終わりだ、と思っていたのですが、やはり未練を断つこと叶わず。気付けば御覧の通り、夜は姿形が人に見え、昼はそこにいれど誰にも気付かれない幽霊となっていたのです。昼には姿が見えないことが分かり、すぐに私は町の様子を見に行きました。」

お圭の目尻を涙が伝う。だが、今度は顔を伏せることはなく、澄んだ瞳が貞吉を捉えた。


「ですが、私が幽霊になった時には既に2年の月日が経っておりました。私の両親は世間の目に堪えきれず、店を畳んで行方知れずだそうです。弟は知り合いの帯屋に引き取られ、奉公していることも。そして、利八郎様は……」

その続きを貞吉が遮った。

「いや、話さなくて大丈夫だ。」

恐らく、お気に入りの娘と所帯を持ったのだろう。縁談がご破算になり、両親は強く言えなかったはずだ。お圭を紹介し、取り止めたのは自分達なのだから。

お圭の少し安堵した表情から、貞吉は自分の当てが外れていないことを読み取った。


「……やはり、貞吉様はお優しいお方でございますね。でしたら、ここはお言葉に甘えさせて頂きます。その上で、私の話を聞いてくださいませ」

こくりと頷く対面の男に合わせて、物語は続く。


「立場を弁えることもせず、志灘屋にもご迷惑を掛けたことをどうしても利八郎様に謝りたい。そう決心し、夜更けに利八郎様の許へ伺おうとしたのです」

「皆が寝静まっているものだと思っていましたが、一つだけ明かりの灯った部屋がありました。そこには相変わらず赤ら顔の利八郎様がお酒を嗜んでおられたのです。」

なかなか大胆な行動ではあるが、彼女にとっては一番大切なことだったのだろう。

その瞬間までは。


「酔った勢いでしょうか。一人虚空に向かい『それにしても上手くいった。あの女に匂い油を持たせ、暫くして番付を掲げりゃ、ほれ見たことか、親父達も気を変えるってもんだ。自分の持ち出した話が駄目になりゃ、女房も、杜氏とうじも望んだ物が手に入る』と呟いておりました。それを聞いて猪高橋まで戻りましたが、あの時どう戻ったのかは今でも記憶がありませんでした」


夜の風は貞吉の体を冷たく打ち付けているというのに、寒さは全く感じられなかった。

むしろ、この体のどこから沸き上がってくるのかと問いたくなるまでに、彼は熱を帯びていた。



「何てぇ奴だ!人の風上にもおけねぇや!」

利八郎にとっては望んだ将来ではなかったのかもしれないが、それにしてもやり方が姑息過ぎる。

両親と真っ向から言い合うならともかく、裏で一計を案じた上に自分は一切手を汚さないその姿勢に虫酸が走る。


「こうなったら目の前で怨み辛みを浴びせてやろうかと思いましたが、奥様や生まれた子には何の罪もございません。言い訳がましいのは承知ですが、もし私の心を晴らしたとしても、私と同じ辛さを背負って欲しくないのです」


「そうして幾月を経て逡巡していても、答えは出ない日々が続きました。そんな時、猪高橋の立て札を見て、気分転換にでも番付をしてみようと思ったのです。二年の空白を埋めるべく情報を仕入れていましたから、行き交う人々の情報もある程度は自然と入ってきましたので」

立て札は雨風に晒され、所々に染みの跡が点在している。お圭と共に番付に対する町人の反応を見届けてきたそれは、よく見ると立っているのもやっとの状態であった。


「初めの内は何をしているんだろう、という気もしていましたが、皆の反応が面白くて……。私が夜しか見えないものですから、日が登る直前に張れば、後はどうにでも」


初めてお圭がくすり、と笑った。

それにつられて貞吉も笑う。


「はは、そりゃ確かにそうだ。今のお圭さんなら誰よりも特等席で皆の反応が拝めらぁ」

「えぇ、えぇ。思い付いたのは最近ですが、番付を考えている時だけは、心が軽くなるのです。不思議ですね。あれだけ番付に苦しめられたのに、今度は番付に救われるのですから……。」

橋下の川の流れは、会話を遮らないほどの静かな音を刻んでいる。流れる向きは変わらないが、勢いは弱まっているようだ。


貞吉は考えた。

お圭が番付に救われてるのは確かに良いことだが、それも一時しのぎでしかないだろう。

今は心の中で圧し殺していても、いつかは自分に起きた出来事に向き合わなければいけない時がやってくるのだ。




――だったら、やってやろうじゃねぇか。


着物の帯をキュッと締め直し、貞吉は真っ直ぐお圭を見据えた。


「なぁ、お圭さん。ここは一つ、俺に任せちゃくれねぇか」

ぽかんとした相手の顔を決してそらさず、話を続ける。

「怨んでやりたいが、嫁と子を苦しめたくはねぇ。だったら、利八郎だけちょいと懲らしめてやればいいんだろ?」

「それは……。ですが、どうやって……?」

貞吉は胸を強く叩く。まるでお圭の疑問を粉々に砕くかの様に。


「まぁ任せてくれや。ちょいと仕込まないといけねぇから、3日後にまたここで会おう。こうしちゃいられねぇ。じゃあ、またな!」

「あ、あの、貞吉様!」

突然駆け出した貞吉だが、ぴたと足を止め振り返り、意地悪そうな顔で「ちょいとネタばらしだ」と笑った。



「報いは、番付で返してやろうぜ」

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