番付お圭

活読落語
木乃 伊知郎
木乃 伊知郎

番付お圭・其ノ伍

公開日時: 2021年3月12日(金) 16:30
文字数:1,931

お圭と出会ってから三日後の深夜。

約束通り、貞吉は猪高橋の前に立ち、それに呼応するかの如くお圭が姿を見せた。

貞吉は利八郎への仕返しに於ける彼女の役割を説明した。


「ええと……。私はこの番付を張れば良いのですね?」

不思議そうな顔をするお圭に、貞吉は力強く頷く。

「あぁ、それで大丈夫だ。後は俺に任せろ」


この三日間、お圭の胸の奥には何とも言えない不思議な感情があった。

貞吉の計画がどんなものか、そもそも三日後にここに来てくれるのだろうか、という当然の疑問ももちろんなのだが、それだけではなかった。



――どうして自分は出会ったばかりの彼を信じているのだろうか。


確かに身の上話を共感してくれたのだから、情に厚い人ではあるのだろう。

だからといって、それだけで利八郎に対する怨みを誰かに預けるなど到底考えられない。


自分の心情も良く分からないまま、今も話が進んでいるこの状況に、お圭は戸惑っていた。


「……お圭さん、どうかしたかい?」

暫く動きがなかったからだろう、心配した貞吉がお圭の表情を確かめようと下から覗きこんだ。

「あ、いえ。この番付がどう利八郎様への仕返しになるのか考えておりまして……」


慌てて顔を上げ、取り敢えずは当然の疑問で場を繋いだ。

お圭の考えなど微塵も読み取れない若者は、「あぁ、確かに全ては説明してないから、心配になる気持ちも分かるってもんだ。まぁ、長くて十日もありゃあ、全部カタが付くから、楽しみにしていてくれや」

そう言って腕を組んだ。


どうやら貞吉はこの計画にめっぽう自信があるらしい。その言葉が出てくるくらいには、今日まで色々と仕込みをしてきたのだろう。

「さて、明日は早いからもう寝ないとな。次は日が登ってからだから、お圭さんの姿は確認出来ないけど、必ずここに来てくれよな」


返事を待たず、この前と同じ様に貞吉は走り出した。

お圭も今度は声を掛けることもなく、ただその後ろ姿を見送った。


とにかく、貞吉の計画に従おう。

複雑な感情を脇へ押しやり、立て札にそっと番付を貼り付けた。






翌日。

朝一番から、猪高橋の前には多くの人だかりができていた。


貞吉も人混みのすぐ後ろで様子を伺う。

町人達の反応を見るためだ。


「おお、流石は清兵衛さんだ。大関だとよ」

「いやいや、宗太さんのなかなかのもんだとは聞いてたけどね」


こりゃ思った以上だ、と貞吉は舌を巻いた。


今日まで誰が書いたのか分からない番付だから、というのもあるが、今回ばかりはそれだけではない。

町の人々にとって、この番付は間違いなく興味をそそられるものだからだ。



“江戸における酒豪百選”



この御時世に飲み食いほど人の関心を引くものはなかなかあるまい。

ましてや酒が強いと言われるのは悪い気は起きないもので、ひょっとしたら……と皆が目を皿のようにして番付を見比べていた。

因みに、貞吉の名も一番下の端に載せられている。最も、そうでなくてはこの計画が成り立たないからなのだが。



皆が想い想いに話していると、何処からか強めの口調が響いた。


「しっかし、この番付は本当かねぇ? 全てを疑うつもりはねぇが、あんまり聞いたことのない奴も混じってるぜ」

その抗議を聞き、

「確かになぁ。実際のところは分からねぇ」

今度は反対側の方から抗議が続く。


それを発端に町人達が口々に騒ぎ出した。

番付に文句があるのか、いやこの番付は公認じゃあねぇだろう、終いには俺の方が強いという者まで現れる始末で、いつ喧嘩が起こってもおかしくない剣呑な状況になってきた。



「こら、何を騒いでいるか!」


あまりの騒音に、誰かが読んだのであろう役人が二人、険しい顔で駆けつけて来た。

流石に役人相手には分が悪いのか、騒いでいた者らは、日の光を得られなくなった植物の様に背中を丸め、押し黙った。

役人の一人が人を押し退け、立て札に目をやると、

「ははぁ、またこの番付か。さてはお前達、この内容を鵜呑みにしてつまらん小競り合いでもしていたのだろう」

町人達はその言葉にぐうの音も出ない。

貞吉もそれに倣いつつ、周囲の状況を確認する。ここが勝負どころだ。

恐らく大丈夫だろうが、上手くいかなかった場合は自分が動くしかない。


町人の様子を見て確信した、もう一人の役人が片眉を大きく下げる。

「こんな公に認められてもいない番付に振り回されるんじゃあない。それにしても、いつまで続けるんだか……」

そう言いながら番付された張り紙を剥がそうとしたその時。



「少し、お待ち頂けませんか」

何処からかゆったりと上品な、しかし何処か威圧感のある男の声がした。

皆がその方向を振り返る中、貞吉はほくそ笑んだ。読み通り、を表舞台に引きずり出すことに成功したのだから。


黒と白のまだら模様の帯が人目を引く。

志灘屋の店主、利八郎が皆の衆目を一手に集めていた。


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