君の為に翔ける箱庭世界

――神々は彼らを役者に選んだ
かかみ かろ
かかみ かろ

第七十八話 クレドの密林

公開日時: 2022年5月7日(土) 00:44
文字数:2,624

 気がつくと、彼らは大小様々な草木の生い茂る密林の入り口にいた。

 門を開けた感覚は無かった。代わりに有ったのは、落ちているような、昇っているような、不思議な浮遊感。異世界『アーカウラ』に召喚された時とも違う、奇妙で静かな異空間転移だ。


「うっ……」


 周囲の状況を確認しようとした翔だったが、唐突に襲ってきた吐き気に口元を抑える。どうにかスキルで危険がないのを確認すると、同時に陽菜達も気分悪そうにしているのが分かった。特に陽菜が強く影響を受けているようで、赤銅色をした薙刀を地面に突き立てもたれ掛かっている。


「三人とも大丈夫ですかー?」


 そんな中で寧音だけは平気らしく、キョトンとした顔で三人の顔を覗き込んでいた。


「何かされてる訳じゃなさそうですしー、転移酔いってやつですかねー?」


 そういうものがある事は知っていた。しかし経験した事は無く、慣れない感覚に戸惑う。もし彼らがお酒を飲みすぎた事があったなら、その時の感覚に近いと気付けただろう。

 ――ようやく少し落ち着いてきた……。


 翔は未だ酩酊感のような感覚の抜けきらないままに、改めて周囲へ意識を向ける。

 前方に広がるのは、一見すればただ深いだけの密林だ。しかしよくよく見ると、サイズ感がおかしい。極端に巨大な下草があるかと思えば、極端に小さな古木らしきものもある。ならば大きさが逆転した世界なのかと言えばそうではなく、一般的に想像されるような大きさのものもあった。


「これ、落ちたらどうなるんですかねー?」


 彼女の声に釣られて、翔は初めて前方以外へ視線を向けると、その向こうにあったのは玉虫色に埋め尽くされた奇妙な空だった。密林とは違った意味で距離感の掴めない、じっと見ていると気分が悪くなる空間だ。それが、地面の途切れた先の見える範囲全てに広がっていた。


「距離の概念がないんだよね。アーカウラのどこかに放りだされるのかも?」


 陽菜はそう言いながら、同じように下を覗き込む。その顔色は随分よくなっているが、まだ少し青い。


「あー、ありえますねー」


 翔もそんな二人へ近づき、崖のようになった地面の縁から顔を覗かせた。そこに大地のようなものは無く、玉虫色の世界がどこまでも広がっている。

 彼がその広がっていると表して良いのか分からない空間をじっと見つめていると、案の定また気分が悪くなってきて、地面の方へ目を逸らした。

 ――ここ、世界樹の枝の上?


 同じような色の土が覆いかぶさっていて分かりにくいが、側面を見ると、土の下に覚えのある樹皮が見える。『クレド宮殿』は、世界樹の内部へ伸びる枝の上に作られた迷宮だった。

 内部、それも亜空間にまで枝が伸びるなど、翔からすれば訳の分からない話ではあるが、アーカウラは地球とは違う法則に支配された異世界だ。ましてや神の住まう世界樹。そういう事もあるのだろうと深く考える事をやめる。それから、先ほどから視界の端に映っていた巨大な門へと目を向けた。

 色こそ逆転しているが、その門はつい数刻前に見たものと同じ装飾に見える。右下へ伸びる蔓に刻まれた文字も同じだ。

 ――やっぱり、あの密林を抜けるしかないかな。


 もし迷ってしまえば、あの森から出る事は難しい。森はただでさえ方向を見失いやすいのだが、サイズ感がでたらめで距離感が分からなくなるのだから、一層危険なのは言うまでもない。経験上それが分からない翔ではなく、不安が募る。

 ――門を潜るだけじゃ、勇気を示すには足りていないって事か。


 金色の文字をじっと見つめながら考えた。

 

 そうこうしている内に、翔たちの体調はすっかり良くなった。寧音は兎も角として、一番影響を受けていた陽菜も大丈夫そうだと翔は頬を緩める。


「みんな、もう大丈夫そうだね」

「ああ」

「うん、大丈夫」


 誰も無理をしている様子は無い。翔は一つ頷いて、愛剣に手をかけた。休憩をしている間に一応の点検も済ませてある。


「それじゃあ行きましょうかー」


 最後に響いた間延びした声を合図に、彼らは密林へ向けて歩き出した。


 森へ入ってまず気が付いたのは、デタラメなのがサイズ感だけでないという事だった。見た目と重量が一致していないのだ。例えば今翔たちの跨いだ小さな木。すぐ横にある同じ見た目の木とは、大きさに蟻と象ほどの差があるのだが、蟻の方が象の数倍重たい。

 ――戦闘中、いつも以上に足元に気を付けないと……。


 無視して蹴とばすつもりの小石が大岩並の重さだった場合、躓いてしまって大きな隙を晒すことになる。

 彼も危険なのは分かっていたが、想定した以上に難しい世界に、一層緊張してしまう。地面だけはその不自然さの例外になるようで、誰もが内心、その事に安堵の息を漏らしていた。

 翔が密林へ踏み込むことに不安を覚えた原因はそれだけでない。目的地も分からぬままに、どんな危険が潜んでいるか分からない森へ入ることになるのだ。食糧は十分にある筈だが、有限なのは確かな事実。どれだけ彷徨う事になるかもわからない。先に述べた特殊性もある。加えてあらゆる危険への警戒も必要となると、なるほど、勇気を示す為の試練には十分なものだろう。

 ――森で訓練することが多かったからまだどうにかなってるけど、この状況が続くのは精神的にきついな。でも、これ以上ペースを上げるのは警戒が疎かになっちゃう。せめてもう一人いたら……。


 察知系のスキルは全員が鍛えているが、それも完全なものではない。特に精神的に負荷の大きい今の状況でペースを上げようと思えば、一人当たりの警戒能力が確実に下がってしまうだろう。もしも、もう一人警戒出来る人間がいたならば、そうして減じた分を補うに足りただろうが、いくら願った所でいないものはいないのだ。


 陽の光が差し込んでいるわけでもなく、発光する草木があるわけでもないが、何故か密林の中は明るい。その為か陰樹と陽樹が無秩序に入り乱れて葉を生い茂らせている。その恩恵を受けているのは森の木々ばかりではない。今密林を進む翔たちもまた、それに助けられていた。

 ――もしこれで暗かったら、とっくに限界が来ていたかもしれない。


 彼がそう考えた時だった。


「囲まれてる!」


 突然、彼のスキルにいくつもの気配が引っかかった。

 誰にも気づかせないままに包囲を完了した魔物たちがその気配を示したのは、もう隠す必要が無くなったからだ。それを直感的に感じ取ったからこそ、翔は気づいている事がばれるのも厭わず仲間たちに警告を発する。

 次の瞬間、十を超える影が翔たちへ躍り掛かった。


読了感謝です。

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