③
すっかり暗くなっても人通りの絶えない大通りを抜け、住宅街を進む。周囲の家々から漏れる明かりは地球のそれと比べて幾らか柔らかく、安心感のようなものを翔たちに与えていた。
時折漏れ聞こえる声は、祭りを楽しみにする子ども達の声。それと、それを寝かしつけようとする家族のものだ。翔たちの感覚で言えば小学生だってまだ起きていても許されるような時間だが、この辺りではそうでないらしい。
「こっちよ」
女性が入って行ったのは、街頭の殆どない路地裏。彼女は直ぐに右折して細い階段を上っていく。立体的なつくりをしたセフィロティアにはよくあるような道だ。その突き当りまで進み、よく見る装飾の扉の鍵を開ける。
「入ったら直ぐに閉めてね。鍵も」
一見すれば何ら変わった所の無い民家だ。とは言え彼らからすれば初めて見たセフィロティアに住む『森妖精族』の生活の場であり、翔以外はつい警戒を忘れて興味深げに視線を巡らせてしまう。家具は建物そのものと異なって木製が多く、いずれにも蔦を模した彫刻が施されていた。
「家具ぐらいなら間伐材と自然に折れた木なんかで十分賄えるのよ」
陽菜たちの視線に気が付いたのか、女性がそう説明する。それを聞いて、翔は地球のイメージ通り『森妖精族』たちが不用意に森を傷つける事を嫌うという話を思い出した。
――そういえばアルジェさん、一部の種族がイメージ通りなのはなるべくしてなったって話だったけど、どういう意味だったんだろう? 結局教えてもらえなかったけれど。
そこまで考えて、自身の思考が脇に逸れている事に気が付いた彼は慌てて警戒し直す。そんな彼の様子は気にも留めず、女性は窓際にあるベッドの方に足を進めた。彼女はそのままベッドの裏側、壁際にある枕の丁度真下辺りに手を入れ、何か操作をする。
何をしているのか察した翔の心は知らず知らずのうちに浮き立つ。煉二も表面上は平静を装っていたが、どこか浮ついた雰囲気を周囲に伝えていた。女性陣はそんな二人の様子に、このような状況に拘わらず微笑ましいものを見たという風な笑みを浮かべてしまう。
そんな彼らの視線の先には、男二人の期待を裏切らない光景があった。カチリと小さな音が聞こえたかと思うと、ベッドが横に滑って移動し、その下の床を顕わにする。それからその一部もベッドと同じようにスライドした。かと思うと、継ぎ目の見えなかったはずの石床に地下へ進む階段が姿を現す。
「さ、この先よ」
慣れた様子で急な石の階段を降りていく女性。翔たちは互いに視線を交わし、一つ頷きあってからその後を追った。
階段を下りた先にあったのは、奥が真っ暗で見えない石の通路。その片側には魔力を隠蔽した明かりの魔道具が備え付けられており、一行が進むのに合わせてオレンジ色の光を灯す。コツコツと響く足音は、そこがどういう空間なのかを示していた。
石材と靴のぶつかる音だけが聞こえる中、彼らは温かな光を反射する暗紫の髪を追う。翔の手は剣の柄から離れない。得物を振るうにはギリギリの広さだが、もしこれが罠であっても陽菜だけは守れるようにだった。
その通路を進み続けて、十分程が過ぎた。結局心配していたようなことはなく、同じような仕掛けで隠された階段を上ることになった。
階段の頂上は木製の何かで塞がれており、女性がその右端を押し込むと、通路を塞いでいた何かは音もなく横にずれる。もし階段を上る直前に聞かされた事が嘘でなければ、そこには目的の相手がいる筈だった。差し込んできた明るい光に目を細めながら、翔は汗ばんだ手で改めて剣の握りを確かめると、こっそりと深呼吸をする。
「アルティカ様、連れてきましたよ」
「ええ、ありがと」
何の気負いもなく行われる会話。その後ろで、翔たちは理解した。アルティカと呼ばれた人物がどういう存在なのかを。と同時に、安心した。その圧倒的上位者から発せられるプレッシャーが、覚えのあるモノであったから。
女性がその場を退き、翔たちに場所を空ける。それに従い、彼らはその部屋へ入った。誰も武器には手を添えていない。
「あなた達が、【選ばれし者】ね?」
執務室と思われる部屋の中央で『森妖精族』に見える女性が言う。本や書類に囲まれていながら、武人の気配を纏う彼女。どことなくアルジェにも似た風貌は、多くの生物に死を連想させるような存在感を放っている。
「はい、そうです」
彼女の言葉にどこか憐みが含まれていた理由は、少年たちには分からない。それでも自分たちを指す称号には間違いがなく、肯定で返す。
「話はアルジェちゃんから聞いているわ。ようこそ、セフィロティアへ。私がこの国の女王であり、世界樹セフィロトの巫女、アルティカよ」
よろしくね、と言ってアルティカは笑う。嘘を吐く必要のない、強者の微笑みは、翔たちが着実に目的へと近づいている事を示すものでもあった。
警戒を解いた様子の翔たちに、彼らを案内した女性がくすくすと楽し気に笑う。それからハッとして、向き直った。
「そういえば私、自己紹介もせずに連れてきちゃったわね? ごめんなさい。私はローズ。リベルティア王国の王妹、まあ、公爵よ」
見た目だけならセフィロティアの民衆が着ているのと同じ、丈の長い無地のシャツの裾をつかみ、ローズはカーテシーをする。翔たちとは違った意味で選ばれた立場に相応しく、その所作は非常に洗練されたものだ。彼らがついつい見惚れてしまったとしても無理はない。すぐに気を取り直して以前に教わった挨拶を返せたのは、アルジェ達と日常を共にしていたからだろう。
自己紹介を済ませ、アルティカの勧めに従って彼女が〈ストレージ〉から取り出したソファに腰掛ける。
「そういえば、ローズ様はどうして俺たちの事が分かったんですか?」
ローズは翔を見つめ返し、瞬きを一つしてから彼の手元を指さした。
「その指輪よ。一応〈鑑定〉もさせて貰ったけれどね」
彼女の示した先、右手の人差し指にはグラシア家を示す紋章の刻まれたシンプルな指輪が光を反射していた。
――そうか、これを見せれば良かったんだ。
「やはりその指輪の事を忘れていたか」
「あー、だからあんなに悩んでたんですねー」
寧音の言っているのは街に着いて直ぐ、ローズに声をかけられる前の事だろう。翔と陽菜は恥ずかし気に右頬を掻いた。
「なんか、戒めって意味の方を強く感じちゃって」
「アルジェさん、お守りとも言ってたね、そういえば」
そんな彼らの様子を、アルティカとローズは微笑ましそうに見守る。それからアルティカはティーセットを取り出し、手ずから人数分のお茶を淹れてそれぞれの前に並べた。
ローズは慣れた様子で、翔たちは恐縮しつつそれを受け取る。どうしたものかと横目に視線を合わせる翔たちだったが、アルティカの感想が欲しいと輝く視線に負けて、カップを口まで運んだ。
「あ、美味しい……」
「そ、良かったわ」
思わず漏れた陽菜の言葉に返されたのは、老母の様でいて、同時に少女の様でもある笑みだった。僅かに残っていた緊張が、温もりに溶けていく。
――それにしても、いつの間に〈鑑定〉されたんだろう? 全く気付かなかった。
それはローズが翔たちよりも格上だと示す事実ではあったが、既に分かった事だ。それよりも、〈鑑定〉したことを気づかせない技術の方が翔の興味を引いた。
「さて、あなた達は【管理者】様のいらっしゃる迷宮に行きたいのよね?」
不意にこれまで通りの調子でそう問われ、翔は意識を隠蔽技術から戻す。
「はい」
真剣な表情を向ける翔たちに、アルティカはお茶を一口飲んでから静かに続ける。
「アルジェちゃんが送り出したんだから改めて決意を問うような事はしないけれど、今はあなた達をそこに連れていくことは出来ないわ」
「どうし――」
前のめりになって詰問しようとする彼を止めたのは、袖の肘の辺りを引っ張られる感覚だった。言いかけた言葉を飲み込み、脇を見ると、陽菜の黒目がじっと彼を見つめていた。それから彼女は小さく首を横に振る。
陽菜の言わんとする事を察し、小さく深呼吸をする翔。そんな彼に、煉二はそっと安堵の息を吐く。
「それで、アルティカ様。貴方は今はとおっしゃったが、どういった意味なのでしょうか?」
「あの迷宮、『クレド宮殿』への扉が開くのは数年に一回。世界樹セフィロトに感謝を捧げる祭りの最終日だけなの」
そう、ですか、と声を絞り出した翔の手に力が入る。翔としては、少しでも早く元の世界に帰る方法を見つけたかった。直ぐに見つかるようなものではないと分かっていても、ついつい焦ってしまう。それは、自分たちがもたついている間にまた誰かが死んでしまうかもしれないという不安からくるものだった。ましてや、朱里を失った心の傷を癒すのにそれなりの時間を使ってしまった現状だ。
そんな翔の内心を見透かしてなのか、アルティカがふっと微笑んだ。
「あら、あなた達、街の中は見てなかったの? 次の祭りは、明後日からよ?」
ティーカップ片手に向けられたそれは、どこぞのシスコン魔王を彷彿とさせる、悪戯っぽい笑みだった。
読了感謝です。
連続更新は一旦ここまで。
次回は週末か来週になります。
どちらになるかは進捗次第……。
今忙しい時期なので期待しないでください。
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