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夜営としては明らかに豪華な昼食を終えた翔達はすぐに準備を整え、カイル達の後を追った。何事も無ければ皇帝を送り出す頃に追い付く。
幹部会で聞いた通りの作戦なら、皇帝を送り出した後、ウズペラの襲撃をカイル達に気付かれた場合の足止めを毒島たちがする筈だった。そこが毒島を説得する最後のチャンスだ。
「聞いていた以上に足場が悪いな」
「うん、気を付けないと、落ちたらまず助からない」
赤黒い岩肌の露出した尾根を一列で歩きながら、翔は左右の崖下を覗き込む。ただでさえ狭い上、煉二の言うように足元には大小さまざまな岩が転がっており歩きづらい。周囲にはいくつも水蒸気の結露した煙が立ち昇り、煮えたぎる溶岩が溜まって池を作っている場所もあった。
「魔物が襲ってこないのが救い、かな?」
「ですねー」
陽菜の言葉に寧音が周囲を見渡す。飛行能力のある魔物なら襲ってきてもおかしくはない筈だが、そこはもう火龍の領域なのか、魔物の影一つ見えない。いや、彼らの察知系スキルは竜種と思われる魔物の気配を確かに捉えてはいた。
――示しの儀中は襲ってこないとかかな? 分からないけど、警戒は続けておこう。
今いるような大人二人が辛うじて並べるくらいの足場でSランク級の魔物に襲われては、たまったものではない。
油断のならない状況が続く。熱さと緊張で汗が滲み、集中力と体力を奪う。装備の効果で気候の影響は殆ど受けないはずだが、火龍の力が影響しているのか、茹るような熱さが翔達をつかんで離さない。
――思った以上にきつい。正直、嘗めてたかも。
革命軍や毒島の事などに気を取られて忘れていた翔だが、今彼らがいるのは魔境と呼ばれる場所の一つだ。簡単に人の行き来できぬ領域である。だからこそ長年の間、革命軍は騎士団の目から逃れ続けられた。
後ろから仲間たちの呼吸音が聞こえてくる意味を意識しながら、それでも足は止めない。
無言で歩き続ける事、一時間ほど。尾根の終わりが見えてきた。ほっと息を吐くと共に、自然と歩みは早くなる。
尾根の先は小さな広場となっており、その向こうに絶壁に挟まれた小道が続いていた。
「一旦ここで休憩にしようか。カイルさんたちもここで休憩してたみたいだし」
翔は小道側の隅にある跡へ目を向ける。
他三人の息を吐く音が重なった。誰もが疲れを見せており、特に体力で劣る寧音は若干肩で息をしている。次に疲労が強いのは煉二か。
――やっぱりみんな、このプレッシャーの中進むのは辛いよね。
山頂にある火口の方から感じる強い気配。龍神として『龍人族』たちに崇められる存在に相応しい、圧倒的なまでの強者の威圧感。かつて二度ほど体験した事のあるそれは、出所に近づくほどに強烈になって彼らに圧し掛かっていた。
各々が楽な体勢をとり、寧音が火龍の魔力の影響を少しでも抑える為に結界を張ろうとする、その時だった。
小道の先から甲高い金属音が響いた。反響して正確な距離は分からないが、遠くないように思える。
翔達は目つきを鋭くして顔を見合わせると、誰からともなく走り出した。
曲がりくねった細い小道を、時に壁を蹴って疾走する。急激に高まる圧力で感じる息苦しさは無視せざるを得ない。
――これは、急いだほうがよさそう。
風に紛れる血の匂いと、見知った幾つかの気配が弱まっていくのを感じて、さらに足に力を籠める。
やがて怒号がはっきりと意味を伴って聞こえた。声の主は、目前の角を曲がった先だ。
「っ!? 止まって!」
〈直観〉が鳴らした警笛に従って急停止しようとするが、殆ど全力で翔けていた勢いはすぐには無くならない。固い赤岩の地面に数メートルの跡が残る。
「ち、流石に食らわないか」
「毒島……」
翔は小道の出口を覆う無色の毒霧を風の魔法で吹き飛ばし、少し先の岩に腰かけてこちらを睥睨してくる毒島を見つめる。片膝を上げて抱え、右手をこちらに伸ばす彼の目は、忌々し気だ。
「カケル、か……。不甲斐ない所を、見せてしまったな……」
彼らに挟まれる位置で、カイルが息も絶え絶えに言う。片膝を突いており、剣で支えてどうにか起きている状態だ。なだらかに下る周囲を見れば、騎士団の副団長や他の革命軍幹部達が倒れ伏していた。
――良かった、皆まだ息がある。
ピクリとも動かない彼らだが、スキルがその生存を教えてくれる。
「寧音、皆の治療をお願い」
「革命軍の人たちもですか?」
「うん」
火口への道を塞ぐ毒島からは目を反らさない。彼が妨害行動に出るようであれば、即座に止めるつもりだった。
「心配すんなって、思導。なんもしやしねぇよ。俺だって無駄な殺しはする気がない」
毒島はそう言って肩をすくめる。
「ああ、でもそこの騎士団長だけはやめてくれよ? 俺の毒を食らった状態で他のやつら全員をノしちまう化け物の相手なんざ、そう何度もしたくないんでな」
黒く濁った紫の荊が、檻のようになってカイルを囲む。彼のユニークギフトが生み出した猛毒の荊だ。今のカイルに内側から破る力はなく、外から破るには彼を巻き込んでしまう。毒島の嗜虐心故なのか、荊の隙間からは苦しむカイルの様子がよく見えた。
「カイルさん以外の治療は終わりましたー。副団長さんと近くにいた革命軍の人には〈天衣抱擁〉を使う事になっちゃいましたけどー」
「さすが羽衣さん。俺の毒をもう治しちまったのか。まあ、そいつらはいいか」
毒島はカイル以外気にも留めていないようで、それが、翔の胸を締め付ける。
「タブルさん達を巻き込んだのは、そうするしかなかったのか……?」
「いいや? 単にその方が早かっただけだ」
どうしてと、そう叫びたかった。だが激高が良い結果を生まない事は嫌というほど知っている。今回は、どうにか抑えることが出来た。
同時に気が付く。
――皇帝陛下がいない?
「カイルさん、皇帝陛下はどちらに?」
「陛下は、先へ行かれた……。多少の毒を受けられてしまったようだが、陛下ならば問題あるまい」
息苦しそうに言うカイルの言葉は、決して良い知らせではなかった。翔は血相を変え、仲間たちに叫ぶ。
「追うよ! ウズペラさんが待ち伏せている筈だ!」
「なっ……!? ヤツならばそこに……!?」
カイルの驚愕する声の意味を問う暇は与えられない。
飛来した毒の矢たちに回避を余儀なくされる。
「バラスんじゃねぇよ」
調合すんのけっこう大変だったんだぜと毒島は嘆息してみせる。気安い、日本にいた頃のような態度だが、向けられているのは紛れもない殺意だ。それを示すように地面に突き刺さった毒の矢が紫煙を上げて地面を溶かす。
――くそ、どうにかして追いかけないと、カイルさんの話通りならマズい!
「陽菜、煉二、俺が隙を作る」
「ああ、分かった」
「……翔君、無理はしないでね」
毒島に聞こえないよう小さくつぶやいた声を魔法で届けながら策を練る。
「寧音、カイルさんの解毒、どれくらい必要?」
「そうですねー、あの檻を壊した余波に耐えられるくらいでいいなら、二、三分ですかねー?」
「了解、頼んだよ」
やるべき事は決まった。
その為にする事も。
――いや、そもそも最初からやるって決めてた事だ。
緊張が気付かれないようにこっそりと息を深く吐く。
寧音が魔力を隠蔽しながらの治療を始めた。
――よし!
「毒島、前に、まだ遅くないって言ったよね?」
「……」
毒島は何も言わない。
「今でも変わらない。まだ、遅くない」
ゆっくり、紡ぐように、旧友の心に届くように、翔は語り掛ける。
これで上手くいけば、彼を助けられるうえに隙を作るまでもなく皇帝を追いかけることが出来る。
「今こっちに来てくれたら、少しの間捕まってるだけで済む。そう皇帝陛下も約束してくれた。だから――」
「行かねえつってんだろ」
低く、重い声だった。
以前説得を試みた時ですら聞かなかったようなその声に、翔は思わず口を開けたまま固まってしまう。
「ああ、確かにお前に付いて行けば悪いようにはならねえだろうさ。だがよ、それで俺は何になれる?」
助けたかった友の瞳には、暗い炎が揺れ、そこに映る己を焼いている。翔は口を固く閉じ、視線を下げてしまった。
「俺は、英雄になりたかった。主人公になりたかった! 思導、お前のような!!」
毒島の慟哭が翔の胸を抉る。
空いた左手が、陽菜を求めて彷徨った。
「このままウズペラさんについて行けば成れるんだ! あの人は俺に言ってくれた。皇帝になれば、俺を英雄にしてやれる権力が手に入るって。だから思導、俺は、お前の手は取らない。お前の物語のモブじゃない。俺の物語の主人公になる」
完全な拒絶だった。
毒島の英雄願望は知っていた。だが、これほどまでに強い思いだとは知らなかった。
助けようと伸ばした手が、嫉妬の炎で焼き払われる。
「毒、島……」
返す言葉が見つからない。弱弱しく呟かれた友だった筈の者の名は、今なおそこにある絶対強者の威圧に潰されて消える。
「待って、くれ、ショウエイ……」
翔が唇を噛みしめていると、愕然としたような声が聞こえた。
「ウズペラさんは、自分の権力の為に、革命を起こそうとしていた、のか……?」
岩にもたれ掛かったタブルが瞳を小さくして、問いかける。信じられないといった様子なのは、アメリアを始めとする他の幹部たちも同様だった。
「ちっ、余計な事まで言っちまった。ああ、そうだよ。ウズペラさんは自分が皇帝になりたかっただけだ。『龍人族』としての誇りとか、んなもん考えちゃいねーよ」
タブル達を見下ろす毒島の視線は、蔑みに満ちている。お前たちは利用されていただけなのだと、やけ気味に突きつけ、その苛立ちを、鬱憤を、晴らそうとしているようだった。
「そん、な……。じゃあ、死んでいった皆は……」
「無駄死になんじゃね? 知らねーけど」
棘を隠そうともしない毒島の言葉は、返答を受けたアメリアを放心させるには十分で、彼女はがっくりと項垂れる。
「毒島、もういい。それ以上は、言わなくていい。止めてくれ」
「なんだよ、思導。また、お前の物語にする気か?」
毒島の声が一層低くなる。
「違う」
「お前がどう思おうと、それはお前が主人公の物語だ」
翔の剣を握る手に、力が籠った。
「……ああ、分かったよ。そうだよな、主人公なら、こういう時勝つもんな」
不意に毒島は天を仰ぎ見て、呟く。
「なあ、思導。俺と戦え。お前が勝てば、俺も協力してやるよ」
毒島の向ける片刃の剣の切先が、翔の視線とぶつかった。翔は一度深く呼吸をして、ゆっくりと剣を抜く。漆黒の鞘から引き抜かれた純白の剣身が、噴煙で曇った空を映した。
「分かった。戦おう」
静かで、強い声だった。
己を射貫く様な翔の視線に、毒島は一瞬たじろいだ様な様子を見せる。それは間違いなく、毒島の知らない、神々の箱庭で培われた翔の一面だ。
「乗り気じゃねぇか」
「こうなるかもって、覚悟はしてたから」
真剣な面持ちのままに翔は言う。
「……くそっ」
吐き捨てるように言って、毒島は剣を構えなおした。
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