⑯
月日は流れ、薄明の中、翔たち『魔王討伐役』の四人は、今日も完全武装で城門の前に集まった。
「さて、みんな、準備はいい?」
「ああ」
「いいですよー」
「ええ」
じゃあ行こうか、と翔は歩き出す。
「それにしても、いい加減あの森も飽きてきたわね」
「ずっと通ってますからねー」
この数か月、何度も通った道を歩きながら四人は笑う。そこに気負った様子はない。
そして街の入口を守る門兵に見送られ、彼らは今日の訓練へ出発した。
一つ目の陽が完全に沈んだ頃、彼らは以前アラニアスエイプと死闘を繰り広げた森を進んでいた。その足取りは滑らかで、かつ警戒も怠っていない。もう何度も来た場所とは言え、彼らは確実に成長していた。
「もうそろそろ日没だ。野営場所を探すか?」
煉二が木の葉の隙間から二つの陽の位置を確認して言った。割れたはずの眼鏡は魔法で元通りに直されている。
「いや、もうすぐ迷宮だし、このまま行ってしまおう」
「そうですねー」
それから翔たちが迷宮の前で待つグラヴィスに姿を見せたのは、僅か一時間後。日没までは一時間半ほど残した頃だった。
「もう着いたか」
「はい。俺たちも成長してますから!」
グラヴィスは余裕のある翔たちの様子を見て、少し考える素振りを見せる。それから一つ頷くと、今夜はその広場で夜を明かすよう言って自分の天幕へ姿を消した。その日は雲一つない星空の夜だった。
翌朝、グラヴィスは迷宮を囲うように立てられた石の東屋の前で待っていた。
「おはようございます、グラヴィスさん」
翔に続き、他の三人も挨拶をする。寧音は少し眠そうだが、昨夜に中々寝付けなかっただけらしく、特に問題はないと言う。
「ああ。おはよう」
短く挨拶を返すと、グラヴィスはついて来いと言うように踵を返して東屋の中へ向かって歩き出した。翔たちは一度顔を見合わせ、その大きな背中に続く。
「今日は、この最奥にいる魔物と戦ってもらう」
歩きながら、グラヴィスは言う。
「君たちとは、因縁のある相手だ」
東屋の中央には、ぽっかりと開いた暗闇へ続く下り階段があった。洞窟のようなゴツゴツとした壁に対し、階段は不自然なほどに滑らかな表面だ。
――これが、迷宮の入口……。
今までは迷宮前の広場に着いてすぐ、転移魔法陣に乗って城へ帰還していた。初めて見る迷宮の入口に、翔はごくりと喉を鳴らす。
彼は煉二と一瞬視線を交わし、一段ずつ段差の高い階段を下りていく。コツコツと反響する足音が四人の鼓膜を揺らし、そこは地上とは異なる世界なのだと知らせる。
五分ほど降りた時、初めて道が二つに分かれた。
「順に迷宮を攻略するなら左の道を降るのだが、今回はこちらへ行く」
グラヴィスが指示したのは、右の道だ。そのまま歩き続ける彼に従い、水平に続くその道を行く。
再び無言の時間が続き、やがて行き止まりに突き当たった。そこは小さな部屋になっており、中央では翔たちにも見覚えのある魔法陣が光を放っている。
「グラヴィスさん、あれってもしかして、転移魔法陣です?」
彼は朱里の質問に、ああ、とだけ返し、魔法陣に乗って翔たちを待った。
何故迷宮内にそれがあるのかを知らない彼らだったが、今更気後れすることもなくその上に乗る。
「迷宮には一定階層ごとに『守護者』がいることは知っているな」
「はい」
迷宮を守護するために存在するという『守護者』。相応の力を持ったその存在の名をグラヴィスは確認し、説明を続ける。。
「これは別の階層にある転移魔法陣まで跳ぶ為のものだ。魔法陣はその階層や迷宮の核を守る『守護者』の部屋にある」
その間にも光はどんどんと強まっていく。
「今回向かうのは、先ほども言ったように最奥。君たちには、最下層にいる『迷宮の守護者』を相手取ってもらう」
そして転移した翔たちの目の前にいたのは、筋肉質な四肢と鋭く長い牙を持った、サーベルタイガーのような魔物。異世界『アーカウラ』に来たその日彼らの心に刻まれた、一つのトラウマだった。
ソレは突然の侵入者に動じる様子もなく、冷徹で鋭利に光る眼光を排除すべき敵に向ける。
「アサルト、タイガー……」
翔の呟きが、薄暗い洞窟のようなその広間に響いて、消える。
じゃり、というのは、誰かが半歩、足を引いた音だった。
「今の君たちなら、問題なく勝てるはずだ。恐れるな。自分を、仲間を、信じろ」
緊張を隠せない翔たちにグラヴィスはそう言い残してごつごつした石の壁に背を預け、気配を消す。
――そうだ。大丈夫。今の俺たちは、アラニアスエイプと戦った時よりずっと強い!
翔たちの目に強い炎が宿る。
「やるよ! みんな!」
「ええ!」
「はいー!」
「ああ!」
翔たちの準備ができるのを待っていたわけではないが、アサルトタイガーが動き出したのはその掛け声と同時だった。
以前同様、一瞬で加速し、ものすごい速度で翔たち目掛けて駆けてくる。
――見える! 前は全然わからなかったけど、これなら……!
まず動いたのは、前衛の翔だ。前へ飛び出し、すれ違いざまに足元を切りつけてその虎の勢いを殺す。
若干足を縺れさせた隙を突くのは朱里の短槍。振り上げられた一撃は、アサルトタイガーの顎へ吸い込まれる。
「グゥアゥ!?」
翔たちの攻めはまだ終わらない。
かち上げられ、虎の姿にあるまじき二足歩行の体勢をとって晒した腹は、煉二の[乱風斬]によって無残に傷られ、その土色の体毛を鮮血に赤く染めた。
傷の痛みに呻きながらも、アサルトタイガーはAランクの名に恥じない剛腕を奮い、その爪を追撃を狙った翔へ突き立てようとする。かつて翔の命に手をかけたそれは、地を割り、風圧で彼を吹き飛ばした。直撃すれば今の翔でも危険だっただろうが、当たらなければ問題ない。宙で身を捻り、着地する。
その間にアサルトタイガーは朱里を狙っていたが、パーティーで一番の俊足を誇る彼女を捉えることは出来ていない。油断して受けた尾の一振りは、短槍を盾に受け流していた。
朱里が攻撃を受け流すために後方へ跳んだ結果、アサルトタイガーとの間に距離が生まれ、四人は同じ所に集まる形になった。これを一網打尽にしようとしたのだろう。
「! 寧音、障壁準備! 大きいの!」
「もうしてますよー!」
翔たちの視線の先でアサルトタイガーがぐっと身をかがめた。そして魔力を込め、大きく咆哮する。アラニアスエイプのそれとは比べ物にならないほど強い衝撃が指向性を持って放たれ、寧音の張った障壁とぶつかる。
人の可聴域を超えた音の兵器は迷宮の壁を揺らし、天井からはパラパラと砕けた石の破片が落ちてくるが、寧音の障壁は割れない。以前は三枚でも簡単に破られたが、今ではたった一枚ですら、ヒビ一つ入る事無くその衝撃に耐えていた。
「へへーん! どうですかー!」
少し余裕が出来、いつもの調子を見せる寧音。それに苦笑いしつつ、翔は力を溜める。
〈心果一如〉によって高められた力はアサルトタイガーの本能を刺激し、優先的に妨害する体勢に導く。
「させると思う!?」
しかし朱里が前脚の関節に槍を突き立て、寧音が[光槍]で目を穿ち、煉二が[炎槍]の雨を降らせてその場に縫い留めた。この隙は、見逃されない。
――アサルトタイガー、これで終わりだ!
彼我の距離は、およそ十メートル。それでも構わず、翔は剣を振り下ろした。
剣の軌跡をなぞるように魔力が放たれ、衝撃となってアサルトタイガーへ迫る。進むほどに拡散し巨大化していく斬撃は地を抉り、土埃を巻き上げながら突き進んで、そして、アサルトタイガーを一刀両断にした。
彼らのトラウマは、こうして、あっさりと打ち砕かれた。
「…………やった」
「……ええ」
「……やった、な」
「こんなあっさりでいいのかってくらい、あっさりでしたねー……」
あまりにも簡単に勝ててしまったことに放心する翔たち。その耳にパチパチと拍手する音が響いた。
「よくやった。これが、今の君たちの力だ」
この結果は、彼らの自信となり、魔王討伐への希望を大きく高める。旅立ちまで、残り一か月を切った日の出来事だった。
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