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「さて!」
しんみりとしてしまった空気を変えるようにアルティカが声を張り、手を叩いた。彼女の瞳は既に現在を見ており、先ほどまでの寂しげな雰囲気は消え去っている。
「そろそろ前夜祭も終わりね。もうすぐダンスの時間よ!」
「あら、もうそんな時間なんですね」
訳知り顔で言葉を交わす二人の話に、翔たちはついていけない。そもそも彼らは、今行われている祭りがどういったものかすら詳しくは知らなかった。前日に多少聞いた以外は精々、垂れ幕などから『セフィオルティ』がこの祭りの名称だと知るくらいだ。
きょとんとした顔で二人の会話を聞いていると、ローズが説明役を担ってくれた。
「この祭り、セフィオルティが世界樹セフィロトとその恵みに感謝を捧げる祭日って言うのは昨日話したわね。厳密には世界樹が光を放つ三日間の事を指すんだけど、こうして前夜祭と後夜祭も行われるわ」
今この場に集まっている多くの種族は、その世界樹の発光現象を目当てに来ているらしい。一般に蓄えた余分な魔力を解き放ち、世界に恵みを与えるとされているそれは、態々森の奥にあるこの国にまで足を運んで一見する価値がある。
「そして、前夜祭後夜祭を含む祭りの間、一日の終わりに広場へ集まって男女一組の踊りを踊るの。決まった振付とかは無い、その二人だけの踊りをね」
そうして話している間に舞台の方の準備が終わったらしい。前触れもなく、軽快な音楽が流れ出す。木製の楽器で奏でられる少し高めの旋律は、朱の混じった空に広がっていく。
音楽に合わせ広場で踊る人々の表情は一様に楽し気で、心から湧き上がる歓喜を全身で表現しているようだ。
しかし見物人に対して、踊っている人数は少ない。『森妖精族』に限っても半分程度だろうか。更には肩を落としている見物人もいて、翔は首を傾げる。
「この踊りにも一つだけ決まりというか、風習があるの」
その理由は、アルティカの口から語られた。
「前夜祭に踊りを申し込むことは、本祭の三日間を共に過ごして欲しいという意思表示なの。そうして三日間を経て、後夜祭に申し込まれた側が逆に踊りを申し込むことで、二人の婚約が成立するのよ」
アルジェちゃんは婚活パーティーだって言ってたわねと、そう言って、彼女は笑う。そして肩を落としているのは、意中の相手から相手役を断られたか、あの踊っている中にそういう相手がいるのだろうと続けた。
「後者だったら、かなり落ち込んでしまうでしょうね。前夜祭でペアを組んだら、本祭の間他の人と踊る事はできないから」
ローズは言いながら、肩を落とす面々に同情の眼差しを向ける。見下している訳ではない。理由は違えど、同じように意中の相手と契りを結べないが故にだ。自由を尊ぶリベルティアであっても、王族かつ暗部を統括する彼女の立場では好きな相手と一緒になるのは難しい。種族の壁も、身分の壁も全てを乗り越えたアルティカは、かなりの特殊事例だった。
「一応、そうして結ばれた二人はどちらかが死ぬその時まで運命を共にし、幸福を掴めるなんて言い伝えもあるわ。誰が言いだしたのかもわからない、眉唾物だけれどね」
アルティカは寂しげに笑う。きっと、彼女もゲンと踊ったのだろう。そう察しても、誰も何も言わない。寧音でさえだ。普段であれば、こうまでアルティカがその感情を表に出すことはなかった。しかし今は、夫との記憶を思い起こさせるものがあり過ぎた。
――色々あったから、か。
つい先刻のアルティカの言葉を思い出す。その色々に関わるのだろうと翔が考えると、アルティカの笑みが困ったようなものに変わった。
「これ、『森妖精族』でなくても参加していいんですか?」
「いいわよ。ほら、あそこで『猫人族』と『人族』の子が踊ってるでしょ」
アルティカの示した方に目を向けると、確かにそんな男女が見える。よくよく見てみれば、他にも何組か異種族がいるようだった。
翔はホッと息を吐くと、嬉し気に頬を紅潮させる陽菜に向かって手を差し出す。
「陽菜、俺たちも踊ろう」
「うん!」
立ち上がって衣服を整える陽菜。その向こうでは、寧音が煉二に期待の眼差しを向けている。煉二は恥ずかし気に頬を染めて、目を逸らしながら翔に倣った。広い場所まで手を引かれ、寧音も陽菜も、飛び切りの笑顔だ。
空いている位置に着いてから少し困った翔だったが、とりあえず周囲の真似をして両手を繋ぐ。目を輝かせる陽菜の期待は裏切れない。そう思ってちらりと煉二の方を見ると、寧音に振り回されながらただグルグルと回っているのが見えた。それでも二人は楽しそうで、寧音の笑い声が音楽に混じって聞こえてくる。
翔もなんだか色々と考えるのが馬鹿らしくなって、とりあえず動くことにした。
動き出してしまえば、もう、上手い下手は関係なかった。息を合わせようなんてことも考えないで良くて、自然に、互いのしたいことが理解できる。翔にとってそれは、ただただ楽しい時間だった。聖国を旅立ってからは初めてだろう、彼がそんな気持ちになれたのは。
――偶にはこういうのもいいな。
いつもは陽菜の舞っているのを見ているだけで満足している翔だが、今彼女と二人で踊って、そう思った。こんな時間が、ずっと続けばいいのに。アルティカやアルジェたちも嘗て願ったであろう願いを、強く心に浮かべる。弾む濡れ羽色の長髪が、陽菜も同じ気持ちなのだと翔に伝えている。
「ねえ、翔君!」
「なに?」
音楽に負けないよう、二人は声を張り上げる。
「私は、愛せるよ! どれだけ寿命が違っても、悲しい思いをするって分かってても、翔君を愛せる!」
翔は息をのんだ。それからこっそりと息を吐き、小さく敵わないなと呟いた。
翔君はどう? と問いかけてくるオニキスの煌めきに、彼は微笑みを浮かべる。彼女の言葉が、存在が、いつも彼に勇気と自信を与えてくれるのだ。だから、彼は今この時の確信を素直に伝えることが出来た。
「うん、俺も、愛せる。何があっても!」
「そっか!」
今日一番の笑顔だ。この笑顔だけは失いたくないと、彼はその手に力を込める。確実に上がったはずの体温を、そうと感じさせない恋人の手を、二度と離さないように。もう誰も、失わないように。
――強くなろう、もっと。
そうして彼らは、五人で旅立ったあの日の約束を胸に、世界樹へ祈りを捧げるのだった。
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