君の為に翔ける箱庭世界

――神々は彼らを役者に選んだ
かかみ かろ
かかみ かろ

第八十九話 ゴール

公開日時: 2022年7月10日(日) 22:33
文字数:2,382

 やがて三人は、迷路の終わりに辿り着いた。また石碑のある広場に出るかもしれないと警戒していただけに、それはあまりに唐突で、拍子抜けするような終着だ。


「あの扉がゴール、でいいんだよね?」


 翔の視線の先にあるのは庭園に出た時と同じような両開きの扉。左右が水路、生垣、ときてすぐに建物の壁にぶつかる所も同じだった。余りに似ている為に、入口へ戻されてしまったのかと不安になる。


「その筈ですー」


 寧音もどこか自信なさげだ。扉の目の前まで来ても、疑念を払拭できない。


「ここで考えていても仕方なかろう。……開けるぞ?」


 扉に備え付けられた取っ手に手をかけ、翔たちへ視線を向けた煉二に、二人は首肯で返す。

 警戒は忘れない。最低限の魔力は回復しているが、心もとないのは変わらない。それが最も顕著なのが翔だ。普段なら彼が扉を開ける所を、煉二が行う。

 勢いよく開け放たれた品の良い扉に、翔たちは目付きを鋭くする。しかし何かが起きる気配はなく、動く影の無い豪奢な廊下が静かに彼らを迎えた。


「……何もなさそうだね」

「ああ」


 翔がほっと息を吐く。


「行こうか」


 逸りそうになる足を寧音たちに声をかける事で制御し、ゆっくりと扉の先へ進む。真っ直ぐに続く廊下の先には真っ白な大階段が見え、左右に窓や扉の類は無い。

 何かを話す暇も余裕もないまま、大階段の足元に辿り着いた。そこはちょっとした広間のようになっており、天井から垂れ下がる蔓草とロココ様式に近い内装が美しい。蔓草の中にはガラスのような物もあって、もし平時に訪れていたなら、翔たちもきっと荘厳さに息を呑みその目を楽しませた事だろう。だがしかし、それを許さぬモノの存在を、大階段の奥に感じ取っていた。

 ――いる。この奥に、【管理者】が。


 翔たちの蟀谷こめかみを伝う汗は、風生れの島でナイルの流していたものと同じ種類だ。気を抜けば意識を失ってしまいかねないと、彼らは武器を握る手に力を込める。

 翔は大きく息を吸って、吐き、それから寧音や煉二と視線を合わせてから、慎重に大階段へと足を進める。

 奥に見える金色の雪蔓が刻まれた純白の扉は、十秒も歩けば辿り着ける距離のはずだが、今の翔たちにはその道程が千里の道に思えてしまう。

 踊り場を過ぎた頃には息も上がり始めた。だがこれは、試練という訳ではない。この重圧に耐えられるのは、の神の前に立つ最低条件に過ぎない。

 アルジェ達姉妹の言葉を思い出す。

 ――これで抑えてくれてるのか……。ただそこにあるだけで魂を砕かれかねないって話も納得だ。


 そう、これは魂へかかる重圧だ。跳ねのけたいなら、魂そのものを強くするしかない。この箱庭世界アーカウラでは比較的容易なことだが、あくまで比較的の話。その域とは即ちアルジェ達【調停者】の立つ位置であり、彼らはまだ、その足元にも居ない。最後の扉の前に来た時には疲労困憊と言う他ない状態で、その事をまざまざと思い知らされた。


 翔は額に浮かぶ脂汗も拭わないままに、雪の結晶の形をした蔓草の紋章へと両手をかける。その雪蔓のどこを見ても、文字は刻まれていない・


「開けるよ」


 後ろから、二つの頷く気配。それを合図に、彼は両腕に力を込めた。


 して重いわけでもないのに、扉はゆっくりと開いていく。その先は宮殿の主の待つ謁見の間。凡百には覗く事すら許されない、英雄を迎える特別の部屋。その事実を示すように、ゆっくりと、重々しく、開いていく。

 されど、翔の求めるのはそんな栄誉では無い。ただ最愛が、最愛と共に望んだものが、その先にある事だけを願った。そして、


「ようこそ」


 その願いを、意思を告げるべき神が、


「我らが王の慰みに選ばれし者たちよ」


 彼らの前に、顕現した。


「翔君!」


【管理者】の言葉の意味を考える暇は無かった。それよりも大事なものがそこにあったから。


「陽菜!」


 開いた扉の向こうから駆け寄ってくる最愛の人に、翔は表情を輝かせる。それが偽物だなどと疑う必要はない。それが紛れもない陽菜本人であると、翔に分からないはずが無かった。未だその場に満ちる重圧すら忘れて二人は互いを抱きしめる。


「良かった、本当に……。俺、もう」

「全部見てたよ。全部……。寧音ちゃん、煉二君。翔君を止めてくれて、ありがとう」


 声をかけられた二人も緊張したままではあるが、安堵の表情を見せ、気にするなと首を振る。そんな二人に翔も改めて礼を言った。


「そろそろよろしいですか?」


 声を張ったわけではないのに、意識を強引に引き寄せるような声だった。迎えられた時にも、同じ感覚を彼らは覚えていた。それでも陽菜に意識を向けられたのは、鈴のような声の彼女が意図して言葉に力を込めなかったからだと、翔は本能で理解した。

 改めて声の主、玉座の前に立つ【管理者】へと視線を向ける。彼女は黒髪黒目で、墨を水に溶かしたような肌の色をした美しい人形を思わせる女性だった。いや、女性の姿をしていた、と言う方が正しいだろう。神々にとって、性別などあってないようなものだ。翔はその容姿に一瞬、ナイルの顔を思い浮かべたが、すぐに意識を逸らす。


「はい」


 翔の返事に【管理者】は無言で頷く。感情の感じられない無表情で、彼らはどうしても不安になってしまう。そんな彼女の薄墨色の肌を隠す白いワンピースは、無機質な雰囲気とは対照的に柔らかい質感で、そこだけが浮いているような違和感を覚えた。


「私は箱庭世界の【管理者】であり、セフィロス、或いはイブの名で呼ばれるもの。勇なる賢者よ、あなた方の意思を示しなさい」


 抑揚の無い鈴の音が一段高い位置から翔たちへ向けられる。勇気を示し、力を見せ、知恵を以て自らの下に辿り着いた少年たちに、【管理者】セフィロスは意思を示せと言った。即ち、願いは何かと問うたのだ。

 翔は一度深呼吸をして、煩いほどに拍動する心臓を落ち着かせる。

 それから、ゆっくりと、間違いのないように、自らの意思を音にした。



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