㉗
夜が明け、二つの陽が天頂を過ぎても答えは出ない。陽菜とも何となく顔を合わせづらくて、翔は一人で夕食をとりに町へ出ていた。
一人で考えていると、翔の思考はぐるぐると同じところばかりを巡る。陽菜の言うように一人宿で待っているべきなのか、無理してでも付いて行くべきなのか。
――無理してでも、か。無理はしてるんだな、やっぱり。
無意識に言葉にして、改めて自覚する。そうするとまた、誰かに寄りかかりたくなって、拒否されたことを思い出して、やっぱり宿にいるべきなんじゃないかと最初の思考に戻る。
そんな事を繰り返しても、きっと意味は無いと、翔は宿に戻ってきた。煉二に相談したら何か違うものが見えるかもしれないと思って、男部屋として借りている一室のドアノブに手をかける。
「仕方ないって言うのは簡単だけど、それじゃダメなんだと思う。これは、翔君が自分で乗り越えないといけない事だよ」
陽菜の声だ。
ドアの向こうには寧音もいるらしい。三人分の気配を感じて、つい、〈隠密〉を使ってしてしまう。
「意外だな。お前たちの事だから、どんな事があったも自分が側にいる位は言うと思っていたのだが」
「それじゃあ、ダメなんだと思ったから。翔くんにとっても、私にとっても」
陽菜の声から強い意志を感じた。
彼女と同じことは、翔も考えていた。だけど、日本に帰るのならそれでもきっと問題ないと、そう思いたくて、深く考えないようにしていた。
だからだろう。陽菜の意思に打ちのめされた様な気がして、ドアから数歩下がってしまう。
再び溶岩に落ちていく毒島の笑顔が脳裏を過った。目の前が暗くなる。世界が、凍りつく。どうやったら先にすすめるのか、支えもなくまっすぐ立てるのか、それすらも分からない。縋りたい相手は、目の前の扉の向こう。扉を開けて、一歩踏み出せば手が届く。その筈なのに、鍵を見つけられない。
一人で立てるようになったばかりの赤子のような気分だった。
気が付けば、翔は宿の屋上にいた。西の空はもう幾らか朱く染まっている。
「あ、ほんとに居ましたー」
「……寧音」
少しがっかりした自分には気が付かないふりをした。
「ここにいるってよく分かったね」
「ふふん、女の勘ってやつですー……って言いたい所なんですがー、陽菜ちゃんからきっとここにいるからって頼まれましてー」
中央付近で立ち尽くす翔を追い越して、寧音は手すりから身を乗り出す。もう夕方ですねーと、無邪気な様子で言う彼女が少し羨ましくなって、愕然とする。陽菜のいない自分の余裕の無さが現れているように思ったのだ。
翔は夕食に何を食べて来たのか、いや待て、当てるから、と背を向けたまま楽し気に話す寧音の向こうで、朱色に染まった雲が流れる。
「……ねぇ、寧音」
唸る寧音の思考を遮るように、呼びかける。彼女にしか聞けないと思ったことを、聞きたくなったから。
「陽菜は、朱里の事、どうやって乗り越えたのかな」
風の音が沈黙を埋める。
彼女との会話では珍しい間だ。
「……さー、私にも分かりませんー」
そうだよね、と足元に向かって呟こうとして、しかしそれは寧音の続く言葉に遮られた。
「でもー、陽菜ちゃんは、それを自分の罪として受け入れて、背負っているのは確かだと思いますー」
「受け入れて背負う、か。俺にできるかな?」
常の彼らしくない、弱々しい問いかけだった。
「私に聞かれても分かりませんよー。一つ言えるのはー、私たちは他の何かの犠牲無しに生きられないって事ですかねー。ほら、いただきますって言うじゃ無いですかー。あんな感じでー」
彼女なりに慰めようとしたのだろう。自分で言っておいて、何か違いますねー、と首をかしげる彼女になんだか可笑しくなって、つい、笑い声を漏らしてしまう。
「あー! 今笑いましたねー?」
振り返った彼女は笑みを浮かべており、非難するような色は見えない。
「ずっと暗ーい顔しててー、辛気臭かったんですからー。やっぱり笑ってる方がいいですよー! 陽菜ちゃんも翔君の笑顔が好きだーって言ってましたしー?」
初めて聞く話に、翔はつい小首をかしげる。
それからまた空を見上げて、そっか、と呟いた。雲の隙間から見える紫色が少し、眩しく感じた。
翌朝、翔は日の出と共に目を覚ました。いつもの装備を身に纏い、靴紐をいつも以上にしっかりと締める。
「早いな、翔」
「煉二、おはよう」
隣のベッドから聞こえた声に彼が振り返ると、煉二が眼鏡を探して手を彷徨わせているところだった。
「……いいのか?」
「何が?」
反対の足の靴紐を締めながら翔は少しだけ、口角を上げる。
「分かっていて惚けるな。……別に俺たちだけで行っても何ら問題ないのだ。無理はするな」
「……大丈夫、って言うと、嘘になるかな。正直、〈心果一如〉を使うのは怖いし、大火山を見るだけであの時の事を思い出して、手が震える。でも、ここで立ち止まったらダメになっちゃう気がするから」
翔自身、理屈は語れない。それでも、進まない訳にはいかなかった。陽菜達の提案に甘える訳にはいかなかった。
「まあ、何とかするよ。ほら、俺って主人公らしいからさ」
苦し気な笑みになってしまったのは翔も自覚した。じっと見つめてくる煉二の視線が痛い。
「……はぁ」
翔が意思を曲げる気のない事を察したらしく、煉二は酷く諦観のこもった溜息を吐く。
「お前が自立しようとしているのは分かっている。だが、それは頼ってはいけないという話ではない。それだけは忘れるな」
「……うん、ありがとう」
わざわざ改めて釘を刺された意味は、翔も分かっている。それを胸の内に再度刻み込み、翔は煉二よりも一足早く部屋を出た。
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