君の為に翔ける箱庭世界

――神々は彼らを役者に選んだ
かかみ かろ
かかみ かろ

第百二十話 雲間に覗く

公開日時: 2023年6月16日(金) 07:09
更新日時: 2023年7月12日(水) 06:38
文字数:2,272

 夜が明け、二つの陽が天頂を過ぎても答えは出ない。陽菜とも何となく顔を合わせづらくて、翔は一人で夕食をとりに町へ出ていた。

 一人で考えていると、翔の思考はぐるぐると同じところばかりを巡る。陽菜の言うように一人宿で待っているべきなのか、無理してでも付いて行くべきなのか。

 ――無理してでも、か。無理はしてるんだな、やっぱり。


 無意識に言葉にして、改めて自覚する。そうするとまた、誰かに寄りかかりたくなって、拒否されたことを思い出して、やっぱり宿にいるべきなんじゃないかと最初の思考に戻る。

 そんな事を繰り返しても、きっと意味は無いと、翔は宿に戻ってきた。煉二に相談したら何か違うものが見えるかもしれないと思って、男部屋として借りている一室のドアノブに手をかける。


「仕方ないって言うのは簡単だけど、それじゃダメなんだと思う。これは、翔君が自分で乗り越えないといけない事だよ」


 陽菜の声だ。

 ドアの向こうには寧音もいるらしい。三人分の気配を感じて、つい、〈隠密〉を使ってしてしまう。


「意外だな。お前たちの事だから、どんな事があったも自分がそばにいる位は言うと思っていたのだが」

「それじゃあ、ダメなんだと思ったから。翔くんにとっても、私にとっても」


 陽菜の声から強い意志を感じた。

 彼女と同じことは、翔も考えていた。だけど、日本に帰るのならそれでもきっと問題ないと、そう思いたくて、深く考えないようにしていた。

 だからだろう。陽菜の意思に打ちのめされた様な気がして、ドアから数歩下がってしまう。


 再び溶岩に落ちていく毒島の笑顔が脳裏を過った。目の前が暗くなる。世界が、凍りつく。どうやったら先にすすめるのか、支えもなくまっすぐ立てるのか、それすらも分からない。縋りたい相手は、目の前の扉の向こう。扉を開けて、一歩踏み出せば手が届く。その筈なのに、鍵を見つけられない。

 一人で立てるようになったばかりの赤子のような気分だった。


 気が付けば、翔は宿の屋上にいた。西の空はもう幾らか朱く染まっている。


「あ、ほんとに居ましたー」

「……寧音」


 少しがっかりした自分には気が付かないふりをした。


「ここにいるってよく分かったね」

「ふふん、女の勘ってやつですー……って言いたい所なんですがー、陽菜ちゃんからきっとここにいるからって頼まれましてー」


 中央付近で立ち尽くす翔を追い越して、寧音は手すりから身を乗り出す。もう夕方ですねーと、無邪気な様子で言う彼女が少し羨ましくなって、愕然とする。陽菜のいない自分の余裕の無さが現れているように思ったのだ。


 翔は夕食に何を食べて来たのか、いや待て、当てるから、と背を向けたまま楽し気に話す寧音の向こうで、朱色に染まった雲が流れる。


「……ねぇ、寧音」


 唸る寧音の思考を遮るように、呼びかける。彼女にしか聞けないと思ったことを、聞きたくなったから。


「陽菜は、朱里の事、どうやって乗り越えたのかな」


 風の音が沈黙を埋める。

 彼女との会話では珍しい間だ。


「……さー、私にも分かりませんー」


 そうだよね、と足元に向かって呟こうとして、しかしそれは寧音の続く言葉に遮られた。

 

「でもー、陽菜ちゃんは、それを自分の罪として受け入れて、背負っているのは確かだと思いますー」

「受け入れて背負う、か。俺にできるかな?」


 常の彼らしくない、弱々しい問いかけだった。

 

「私に聞かれても分かりませんよー。一つ言えるのはー、私たちは他の何かの犠牲無しに生きられないって事ですかねー。ほら、いただきますって言うじゃ無いですかー。あんな感じでー」


 彼女なりに慰めようとしたのだろう。自分で言っておいて、何か違いますねー、と首をかしげる彼女になんだか可笑しくなって、つい、笑い声を漏らしてしまう。


「あー! 今笑いましたねー?」


 振り返った彼女は笑みを浮かべており、非難するような色は見えない。


「ずっと暗ーい顔しててー、辛気臭かったんですからー。やっぱり笑ってる方がいいですよー! 陽菜ちゃんも翔君の笑顔が好きだーって言ってましたしー?」


 初めて聞く話に、翔はつい小首をかしげる。

 それからまた空を見上げて、そっか、と呟いた。雲の隙間から見える紫色が少し、眩しく感じた。


 翌朝、翔は日の出と共に目を覚ました。いつもの装備を身に纏い、靴紐をいつも以上にしっかりと締める。


「早いな、翔」

「煉二、おはよう」


 隣のベッドから聞こえた声に彼が振り返ると、煉二が眼鏡を探して手を彷徨わせているところだった。


「……いいのか?」

「何が?」


 反対の足の靴紐を締めながら翔は少しだけ、口角を上げる。

 

「分かっていてとぼけるな。……別に俺たちだけで行っても何ら問題ないのだ。無理はするな」

「……大丈夫、って言うと、嘘になるかな。正直、〈心果一如しんがいちによ〉を使うのは怖いし、大火山を見るだけであの時の事を思い出して、手が震える。でも、ここで立ち止まったらダメになっちゃう気がするから」


 翔自身、理屈は語れない。それでも、進まない訳にはいかなかった。陽菜達の提案に甘える訳にはいかなかった。


「まあ、何とかするよ。ほら、俺って主人公らしいからさ」


 苦し気な笑みになってしまったのは翔も自覚した。じっと見つめてくる煉二の視線が痛い。


「……はぁ」


 翔が意思を曲げる気のない事を察したらしく、煉二は酷く諦観のこもった溜息を吐く。


「お前が自立しようとしているのは分かっている。だが、それは頼ってはいけないという話ではない。それだけは忘れるな」

「……うん、ありがとう」


 わざわざ改めて釘を刺された意味は、翔も分かっている。それを胸の内に再度刻み込み、翔は煉二よりも一足早く部屋を出た。



読了感謝です。

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