⑱
焚火代わりの魔道具を囲むのは、女性陣三人だ。アーカウラでは警戒の殆どをスキルに任せられる事もあり、各々が好きなように過ごしていた。
今朱里の手元には姉へ旅路を語る為に綴る日記帳が広げられており、その右手にはペンが握られている。陽菜と寧音は緊急時にすぐ動けるよう武器の手入れをしながらお喋りに興じていた。
――こんな私、お姉ちゃんが見たらなんて言うかしら……。
朱里は自らの中で大きくなった黒い思いを、そしてここに来るまでの自身の行動を顧みて、考える。尊敬してやまない姉は、彼女の中で困ったように笑った。その事が余計に彼女の心を曇らせる。
――なんで翔だったの……。
何度も何度も、彼女の中でぐるぐると回る問がまた脳裏に過る。どうにも出来ないと自覚してからは、その度に仕方ないと言い聞かせた。
ちらと翔の寝ている筈の簡易テントを見ても、何かが変わるというわけではない。そっと息を吐き、止まっていた手を再び動かす。
十分ほど経って、綴るべき出来事を綴り終えた。しかしペンが置かれることは無く、未だ白い紙面へ新しい墨が落とされ続ける。記された文字は下へ進むほどに荒れ狂い、彼女の胸の内を形にしていった。
――なんで、陽菜なの。
陽菜の鈴がなるような声が、朱里の心を大きく揺らす。綺麗という感想すら出てくるそれも、今の彼女には不協和音でしかない。
――幼馴染だから? それが何。たったそれだけで私は選ばれないの? 陽菜じゃないといけない理由になるっていうの?
思ったままに書きなぐられた文字は明らかに滲みが酷くなっており、周囲よりいくらか深く経こんでいた。
――私でも、いいじゃない……。
ページの一番下に、一転してそんな弱弱しい文字が刻まれた。句点を打つ事もなく手は止まる。
――翔……。
日記を脇に置き、心の中でそっと、想い人の名を呼ぶ。しかし脳裏に浮かべた彼が振り向くことは無く、返事も返ってこない。
「ね、朱里ちゃんもそう思うよね!」
突然、かけられた声は、憎々しい恋敵のモノ。朱里には何の話か分からなかったが、そんな事はもう関係なかった。
日記に吐き出す内にハッキリと形を取ってしまった黒い嫉妬はもう、彼女自身では止められない。
気が付いた時には、手遅れだった。
「そうよ……。アンタさえ居なければ……」
「え……?」
「あの時、城でアンタが死んでたら、今頃……!」
そこまで言って、ハッとなる。目の前にはショックを受け、瞳を陰らせた陽菜の顔。その隣で寧音も目を見開いている。
――今、私は何を……。
朱里の顔から血の気が引き、瞳が揺れる。陽菜の顔を直視できず、視線が落ちて左右に彷徨った。
「朱里ちゃん、何、言ってるんですか……?」
信じがたいと言うような寧音の振るえた声がした。普段ある間延びが一切ないそれに、朱里は数歩分後ずさる。
「……一人にして」
それでも謝る事が出来ず、勢いよく立ち上がって逃げるように通路の方へ向かう。
「朱里ちゃん!」
陽菜の声が聞こえたが、それは彼女の背中を押す結果にしかならない。
――バカ! 私のバカ! 何を言ったの! 何を考えたの!!
己への罵倒を繰り返しながらも、足は止まらない。止められない。今は少しでも、陽菜から遠くへ行きたかった。
彼女は意識しなければ陽菜たちの気配が分からない所まで来てようやく立ち止まる。当然声も聞こえない。
壁に寄りかかって少しだけ察知系のスキルに意識を向けるが、二人が追いかけてくる様子はなかった。もし二人が来ていたら、もっと遠くに逃げるつもりだった。ずっと一緒に旅をしてきたのだ。二人もそれは察しているだろう。
ふと天井と壁の境を見上げる。陽菜はさっきの事を翔に伝えてしまうだろうか。陽菜が伝えなくても、寧音から煉二を通して伝わるかもしれない。もし翔が知ったら、きっと自分は嫌われる。そんな風に流れていった思考がまた、彼女自身への苛立ちと失望を募らせた。
――自分の事ばっかりね……。
冷静に考えれば、陽菜が告げ口のような真似をするはずが無いことは朱里にも分かる。煉二には伝わってしまうかもしれないが、彼は地頭が他の面々に比べて良くないというだけで馬鹿ではないし、気も利く。殆ど確実に、翔だけが知らないという状況が出来上がるだろう。
――だからって、陽菜に謝って済む問題なの? それに、それは、無理……。
今自分が陽菜に謝る事は敗北宣言に等しいと、朱里は考えてしまった。危険な場所にいる事を鑑みても、一先ず誤っておくのは間違いでないはずだったが、膨らんだ嫉妬と恋心は、それを彼女に許さなかった。
――もうすぐ交代の時間……。今から戻っても、二人はもう寝ているでしょうね。
〈ストレージ〉から取り出した時計を確認して、来た道の方へ眼を向ける。
――明日、どんな顔をしてたらいいのよ……。
朱里は大きく息を吐き、蹲った。
それから彼女が野営地に戻ったのは、翔たちと見張りを交代するはずの時間より少いくらか後だった。その段になって漸く日記を忘れてしまっていた事に気が付いたが、彼女が戻った時、置いたはずの場所でそれを見つける事は出来なかった。
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