⑫
存外に歩きやすい根の上を、未だ目を細めたくなる光の源目指して進む。この頃になると、なんとか直視できるようにはなっていた。
進むほどに鼓動が早くなり、呼吸が浅くなる。それは決意と不安によるものだと翔は自覚していたが、どうこうできるはずもない。やる事はいつもと変わらないと自分に言い聞かせながら、手の汗を緑がかった青いシャツの裾で拭った。
「着いたわよ」
そんな状態だったからだろう。幹部分の前で足を止めたアルティカに、彼はぶつかりかけた。慌てて少し下がると、陽菜たちが追いついてきて横に並ぶ。
「特に他と変わる様には見えんな」
「そうですねー。もっとこう、魔力がグワーッてなってるかと思ったんですがー」
翔たちの視線の先にあるのは、余りにも巨大ではあるが、樫の木に似た何の変哲もない樹皮だ。門らしい物も、あると予想した魔力の奔流も、片鱗すら見えない。
一般の伝承と異なり、世界樹の発光現象はクレド宮殿への扉が開き【管理者】セフィロスの力が溢れだすことで起きる。尤も、世界の魔素濃度の調整を目的としており、根を通じて過剰な魔素の吸収も行われている事を考えると、ある意味では蓄えた魔力を放出しているというのも間違いではないのかもしれないが。兎も角、先の発言は道中に説明を受けたこれらの事実から出た感想だった。
「ここまでは来ようと思えば誰でも来れるからね。私の持つ、理の外にある力で隠してあるのよ」
翔が真っ先に思い浮かべたのは、最大レベルの〈鑑定〉でも本人の許し無しに見る事の出来ない、【調停者】たちのステータスだ。続けて、かつて見たアルジェのそれにあった項目と彼女の発した世界の機密という言葉を思い出した。
――『理外スキル』だっけ……。
「あら、アルジェちゃん、そんな物まで見せたのね。なら聞いているかもしれないけれど、『理外スキル』に対抗できるのは『理外スキル』と、極一部のユニークスキルだけ」
「ユニークスキルですか」
「ええ。期待してるところ悪いけれど、あなた達のじゃ無理よ。いえ、もしかしたら翔君の……ううん、何でもないわ」
理外スキルに対抗できる力ならアルジェ達にただ死にに行くだけだと言われた神々の空間にも行けるのではと考えた翔たちだったが、アルティカに否定され、肩を落とす。アルティカは何か引っかかっている様だったが、聞いても答えてくれそうにない雰囲気だったため諦める事にした。
――それにしても、やっぱり心読んでますよね?
心の内でそう語りかけてアルティカを見ると、彼女はにっこりと微笑む。無言の肯定だった。
「あ、門の事、これもあまり広めちゃダメなやつだから、よろしくね。最悪色々消しに行かなくちゃいけなくなるし」
「ア、アルティカ様、消すって、何を……」
「何って、ローズちゃん、色々よ、色々」
アルティカの表情は、翔に向けたモノのままだ。ローズは来るんじゃなかったと頭を抱える。
それを視界の端に映したまま、翔は地上へ向かって伸びる世界樹の上方へ視線を向けた。
――結局、『迅雷』は修得できなかった……。
翔の内に暗雲をもたらす一番の理由はそれだった。
その不安を息と共に吐き出したくなるのを堪え、正面に視線を戻す。そうしたところで、仲間たちにまで不安を与えるだけだと思ったからだった。しかしそれを隠しきれるほど、浅い関係ではない。
「そう固くなる必要はない。もう少し俺たちを頼りにしたらいい」
「そうだよ、翔君。それとも、私たちってそんなに頼りない?」
肩に手を置かれる感覚と共に、そんな言葉をかけられる。振り向けば、煉二の仏頂面と陽菜の微笑みがそこにあった。
「翔君、『迅雷』のこと、まだ気にしてたんですかー? きっと大丈夫ですよー。道中で上手く出来るようになるかもしれませんしー」
遅れて気が付いたらしい寧音からも、そう言われる。
上手く隠せなかった事をこっそりと恥じつつ、同時に、感謝を心に浮かべる。
「そう、だね。うん、そうだ。皆、頑張ろう」
一瞬下に向けられて、それから陽菜たちに向け直された翔の顔は晴れやかだ。祭りに行く前に逆戻りしたような影は消え去り、強いばかりで硬かった瞳の光にも柔らかさが戻った。
「それじゃあ、隠蔽を解くわよ」
頷きを返した次の瞬間、わざわざそれを伝えたのは彼女の気遣いだったのだと翔は知った。突如、魔力の奔流に押し流されそうになったのだ。光と暴風という物理的な力になったそれが、彼らの体を、魂を、攫わんばかりの勢いで溢れてくる。翔の脳裏をアルジェが魔力を解放した時の状況が過った。その時も同じように、魔素のエネルギー形態に過ぎないはずの魔力が暴風となって吹き荒れた。しかし今翔たちを襲うそれはその時の比ではなく、気を抜けば簡単に吹き飛ばされてしまうだろう。やや前傾になり、顔を歪めながらその場に留まる。精霊種であるローズは特に辛そうにしていたが、翔たちに気を遣うような余裕はない。こんなものの存在を感じられないよう隠蔽していたアルティカに改めて畏敬の念を抱く。そして、目をかばう腕の隙間からそこにあるはずの暴威の源を覗き見た。
そこには、いつの間にか巨大な白と黒が存在していた。門だ。全てを塗りつぶすような白の門は、漆黒の蔓草がその中心から全体を覆うようにして六方へ広がった意匠が施されており、それは雪の結晶を象っていた。その印を、翔は知っていた。
――この紋章は、あのペンダントの……!
「大丈夫そうね。翔君、雪蔦のペンダントを出しなさい」
激流の中平然と立つアルティカに促され、翔は星見の池で手に入れた翡翠色のペンダントを〈ストレージ〉から取り出す。今初めて名を知ったそのペンダントが一瞬煌めくと、荒れ狂っていた魔力の流れが途端に穏やかになった。
「はぁ、はぁ……凄まじいな」
荒れた息を整えながら、そう零したのは煉二だ。翔たちは弱弱しく肯定を返す。
――門から放出される魔力だけでこれ……。神様と直接対峙したら死ぬって、こういうことか……。
戦慄する翔の意識を引き戻したのは、同じ幾息も絶え絶えなローズの抗議だ。
「ちょ、ちょっと、アルティカ様、なんで私まで、これ、受けてるんですか……」
先ほどのそれが一種の試練だったことを察した上での言葉に、アルティカは忘れていたのだと謝ると、改めて翔たちに向き直った。
「さて、もういいかしら?」
「……はい」
アルティカは頷きを返してから脇へ下がり、門までの道を開ける。
「この門を潜れば『クレド宮殿』よ」
促されるのに従って門の前まで進めば、右下に向かって伸びる蔓に金色で文字が刻まれているのに気がついた。
――『勇気を示せ』、か。
その先に待つ数多の脅威を思い、翔は一度、大きく深呼吸をする。それから仲間たちへ目を向けた。同じ言葉を目にしたはずの彼女らは、翔に向けて力強い視線と頷きを返す。だから翔も同じように返し、門へと手を添える。
「大丈夫よ。あなた達なら、きっとあのお方にも気に入っていただけるわ」
「はい、ありがとうございます」
その言葉に押されるようにして、翔は添えていた手に力を込めた。
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