君の為に翔ける箱庭世界

――神々は彼らを役者に選んだ
かかみ かろ
かかみ かろ

第四十七話 竜種という壁

公開日時: 2021年8月28日(土) 13:54
更新日時: 2021年9月11日(土) 02:20
文字数:4,517

 つぶらな瞳に獰猛な光を宿すその竜は、氷の槍を眉間から生えた刃状の角で叩き落とす。

 

湿潜竜プロテウスSランク、中位の水竜だ! 目は弱いけど他の感覚は鋭い! 注意して!」


 一気に距離を詰めながら翔が早口に捲し立てる。これを聞いた五人はより一層気を引き締めた。

  ――竜種……。ていう事は、ブレスもあるのね。


 竜種と呼ばれる魔物たちの最大の攻撃手段についてはアルジェからも聞かされていた。短い溜めで高威力を生み出すそれは、過去の第二次人竜戦線においてアルジェでさえ手を焼いた代物だ。

 ――さっきのガスがアイツのブレス?


 朱里は電気的な受容器があるらしい鼻先を翔が切りつけるのを見ながら前方の水竜を観察する。眉間の剣角に加え、棘のある背ビレと胸ビレを持ったイモリのような見た目で、喉の辺りが膨らんでいる。全長は二十メートル程で暗緑色の体躯。長く太い尾にはヒレがついている。そして爪は、短いが硬い岩の地面を容易く抉るほどに鋭かった。

 ――あっちから近づいてこなかったのは狭い通路だと身動きが取れないって判断したから? 知能も高そう。


 通路と異なり、今いる広間は竜の巨体が暴れるのにも余裕があるほど広い。

 とりあえずブレスと爪を最優先で警戒すると決め、陽菜の舞いで限界を超えた力を込めて彼女のユニークギフト、〈神狼穿空〉を発動した。神をも喰らう狼の牙に、翔に気を取られていた湿潜竜プロテウスも緊急回避を優先する。あわよくば一撃で仕留めたいと喉元を狙ったこれはしかし、素早く跳躍した水竜の尾ビレを小さく削るに留まった。

 陽菜の舞っている側の壁際に着地したプロテウスは、朱里へより一層剣呑さを増した視線を向ける。それから彼女の纏う力の一端、その出所である陽菜へ狙いを定めた。


「陽菜ちゃん、尻尾です!」


 〈神舞魂放〉を続けながら距離を取ろうとする陽菜へ、巨体に隠して振られた尾が襲いかかる。離れた位置でナイルを守っていた寧音には、これが良く見えた。

 回避できる体勢にないと判断した朱里と寧音はそれぞれにフォローへ回り、傷を癒す用意をする。しかしその必要がないとすぐに知った。

 低い姿勢にあった陽菜はそのまま流れるように跳躍し、尾を躱す。あくまで舞いの一動作として行われたのだから、強化が途切れる事もない。

 巨尾で空を切る事となったプロテウスは即ち、確かな隙を作ることになった。それを突いて放たれた翔の一閃が大きく膨らんだ喉元の袋を切り裂く。


「グルルァァアッ!?」


 驚きと痛みで仰け反った水竜。その傷口から梔子色クチナシいろの気体が漏れている。


「これでもうブレスはないわよね!?」

「たぶん!」


 飛び退きながら返事をする翔と入れ替わりに肉薄した朱里は、槍を振りおろして前足の付け根を切り裂き、すぐに離脱する。直後、傷つけた足が振り上げられて先ほどまで彼女のいた空間を引き裂いた。その足から垂れる血は極僅かだ。


「硬すぎでしょ……!」


 悪態を吐きながら湿潜竜の狙いが自分と翔に向いたのを自覚する。それから頬を流れる熱に、避けきれていなかったことを知った。

 彼女の視線を向ける先で一瞬湿潜竜の姿がぶれたかと思うと、すぐ横を影が通り過ぎ音を立てて壁に衝突する。ちらと視線を向ければ、そこにあったのは剣を盾にした体勢で壁にめり込む翔の姿だ。


「翔!?」

「ぐ、だ、大丈夫……!」


 壁から両腕を使って剥いでようとする翔。その彼を庇える位置へ陽菜が移動する。

 それを確かめ、前方へ視線を戻した朱里の目に映ったのは突進してくる湿潜竜だ。口が大きく開けられ、二列に並んだ鋭く大きな歯が凶暴に光る。

 ――上、は角にやられる……!


 咄嗟に上方へ飛ぼうとした力の方向を強引に斜め後ろへと変えるが、僅かに遅い。どうにか間に挟んだ槍の柄を竜の爪が捉え、剛力が容赦なく朱里の細い体を吹き飛ばした。体重の乗った一撃。乾いた嫌な音が彼女の耳に響く。

 ――っ……! 左腕が折れた……!


 背を打つ衝撃と折れた腕が神経を圧迫する痛みに顔を顰める。

 パーティの回復役を担う寧音は当然これに気が付いた。朱里との距離を測り、ナイルを守るのに支障がないことを確かめて走る。その時間を稼ぐのは煉二だ。

 朱里に飛び掛かろうと姿勢を低くしたプロテウスの眼前で[風爆ふうばく]がその力を発揮し、圧縮空気が解放される。突然の出来事で怯んだ所へ彼は[雷矢らいし]で追い打ちを試みた。


「ちっ、障壁を張れるのか」


 しかし強化のない雷の矢では湿潜竜の障壁は破れない。一条の雷光は不可視の壁に阻まれて霧散する。

 それでも構わず[雷矢]を打ち続ける煉二に、湿潜竜は苛立ったような唸り声を上げる。それから息を多く吸うような動作をして喉の袋を膨らませた。

 ――ブレス!?


 寧音の治療を受けながら朱里は目を見張る。同時に治療が中断され、ナイルと煉二を守る位置に障壁と結界が展開された。

 プロテウスの喉から漏れるガスの量が増える。

 結果として寧音の障壁が役目を果たすことは無かった。生成する傍からガスが漏れだす事に苛立ちを強めた様子のプロテウスは、吐き出す動きに移ることなく魔力の操作を始める。

 やや間があって、煉二を襲ったのは水で形成された巨大な槍だ。真っ直ぐに彼へ向かったこれは、雷とぶつかって相殺された。

 ――それなりに強化された状態の煉二の魔法と同等の威力……。一発でも受けたら死ぬと思わないと……。


 苦手な〈魔力察知〉により強く意識を割き、同時に最優先警戒対象からブレスを外す。

 治療を終え、ナイルを庇う位置に移動する寧音と逆方向に動いた朱里を湿潜竜の視線が追った。最大火力は朱里であると理解して警戒する動きだ。

 だからこそ彼女はユニークギフトによる攻撃の姿勢を見せながらも踏み込むことはせず、水竜の巨体の周りで大きく弧を描いた。

 左回りで走る彼女の視線の先で鏡合わせに動くのは、亡き親友の遺品を下段に構えた翔だ。

 朱里は彼と目が合ったと感じた瞬間、一気に踏み込み、水竜へと肉薄した。狙ったのは、紅色の薄く滲む左前腕。

 迎え撃つ[水槍]の魔法を右方へのステップで躱し、一瞬のブレーキでフェイントをかける。当然、中位の竜種がその程度に対応できない筈はない。その強靭な爪で朱里の命を切り捨てようと、左前腕に力を込めた。


「ガァッ!?」


 直後、朱里を睨みつける顔が歪み、彼女から見て奥方向へと崩れ落ちる。プロテウスの右前腕は肘から両断されていた。そのすぐ脇には白い片手半剣バスタードソードを振り下ろした翔の姿がある。

 間髪入れず朱里の槍が鈍色の軌跡を作り、左前腕を空間ごと削り落とした。鮮血が溢れ、洞窟を濡らす。

 それぞれ追撃を試みるが、これは叶わない。湿潜竜は翔のいた空間を喰らい、同時に尾で朱里を吹き飛ばす。前腕無しに出来る動きではないと驚いていると、朱里の目に魔法で生み出された氷が切り落とした両前腕の代わりを務めているのが見えた。


 翔は陽菜と水竜の間で剣を構え直し、朱里も空中で体勢を整えてから後衛二人の前方に着地する。即席の足による不十分な支えでは、彼女の防御を抜くのに力不足だ。

 ――行ける! このまま押し切れる!


 喉の袋を裂いて最大の攻撃手段であるブレスを封じ、先の攻防では両の前足を奪った。改めて観察するプロテウスは、どうみても満身創痍だ。

 明らかに自分たち優勢の状況に、朱里は勝利を確信する。

 背後で急激に高められる魔力に、慌てて飛び退き射線をあけた。ブレスが無いと判断できた時から進められていた魔法の準備が、今完成しようとしているのだ。


「これだけ広ければ大丈夫だろう。[凍雷万招とうらいばんしよう]!!」


 煉二の眼前に展開された魔法陣より、幾重もの凍てつく雷が飛び出してプロテウスを襲う。青白い閃光で洞窟内を煌々と照らすそれは、中位の竜種が相手であろうと致命に足る威力を秘めていた。

誰もが自分たちの勝利だと再び確信する。と同時に、想定外の早期決着に気を緩めた。


 その時だった。

 プロテウスの体内で急激に魔力が膨れる気配がした。〈魔力察知〉の苦手な朱里でさえ分かるほどの膨大な魔力だ。この時になって、やっと朱里は思い出した。竜種のブレスとは純然たる魔力による暴力であり、ガスが混ざっている筈がないと。

 青白色の雷光たちが水竜の巨体を貫こうとする直前、強大に高められた魔力が一気に解放された。プロテウスの口より僅かばかりの溜めで放たれた真っ白な閃光は、あのグラヴィスさえ限界のその先へ突き落した[凍雷万招]の氷雷を容易く飲み込んで朱里たちへと迫る。プロテウスの胴体よりなお太い極光は、翔と陽菜を除く四人を飲み込もうとしていた。

 ――だめ、ナイルさんもいるし、煉二と寧音じゃ避けきれない!


 彼女だけなら辛うじて致命傷は避けられた。だが魔法を主軸に鍛えた後ろの二人やBランク程度の実力しかないナイルは無理だ。〈高速思考〉のスキルで引き延ばされた時間の中、亜光速に近い速度で近づいてくる白。朱里の決断は早かった。

 〈神狼穿空〉を発動する余裕はない。可能な限りの気力を槍の穂先へ集め、苦手な〈身体強化“魔”〉で体を強化する。そして迫りくる絶望へ、突進するように突きを放った。


「朱里ちゃん!?」


 朱里の耳に彼女の名前を叫んだ声が聞こえた。だが、それが誰のものだったのかを考えている余裕はない。少しでも気を抜けば力の奔流に呑まれてしまいそうになるのを堪え、放出され続ける竜の吐息を割る。二つに割られた破壊の力が煉二達を避け、通路を挟んだ左右の壁を深く抉る。


「くぅっ、翔! 攻撃! 煉二も準備してなさい!」


 歯を食いしばりながら惚けた仲間たちに活を入れる。直後、槍に込められた気の力が増幅されるのを感じた。

 ――これは、強化が攻撃力に集中した? ……陽菜ね。助かる!


 ブレスに遮られて朱里には見えなかったが、彼女の喝を聞いた陽菜は満遍なく強化する『四方拝しほうはい』から攻撃重視の『剣の舞』に切り替えたのだ。それから少し遅れ、寧音の障壁が朱里の槍を起点に展開されていっそう負担を減らす。

 だがしかし、余裕の生まれる余地はない。じりじりと彼女の体は後退していき、守るべきものへと近づいていく。その威力は竜種が何故恐れられるかを知るに十分すぎた。


 何時間にも感じる数秒が経ったのち、漸く朱里は水竜を再見できた。プロテウスの下顎は真下に体を滑り込ませた翔の蹴りでかち上げられ、強引に閉じさせられていた。

 行き場を失った魔力はプロテウスの口内で暴発し、少なくないダメージを与える。そうして晒された喉元に狙いを定めようと、朱里は槍を握る手に力を込めた。

 しかし腕は上がらない。どころか崩れ落ちそうになる体を支えるために槍を杖にする他なく、己に力が残されていないことを理解させられる。

 その左肩に、彼女のモノよりも大きく力強い手が置かれた。


「朱里、もう下がって休んでいろ。次は確実にやつの息の根を止めてやれる」


 手の主は左手に持った杖を前へ突き出し、再び魔法陣を展開する。杖に蓄えられた一度目の残滓ざんしがそれに更なる力を与えるのを見て、朱里は素直に従った。


「外すんじゃないわよ」


 当然だ。そう答え、煉二は詠唱の最後の一説を唱える。


「――我が怒りを糧にその怒号を解き放たれよ。[凍雷万招]!!」


 青白く染められた世界が本来の姿を取り戻した時、そこには一体の猛々しい氷像が鎮座しているのみだった。

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