㉑
「ふぅ~」
もう襲ってくる魔物の気配がないことを確認し、寧音が大きく息を吐く。その顔に浮かんだ明らかな疲労は、先ほどの戦闘で彼女にかかった負担をはっきりと表していた。
「寧音、ごめん……」
その原因は完全に自分にあるのだと、朱里は思っていた。実際、客観的に見てもそういう結論を出さざるを得ないのは確かであり、大丈夫だと笑う寧音も朱里の言葉を否定しない。
「一旦休憩にしようか。ちょうど場所も開けたし」
戦闘の中で周囲の木々はなぎ倒され、そこは小さな広場のようになっていた。近くに魔物の気配もない。
前回の休憩から然程経ってはいなかったが、誰も反対しなかった。
煉二が寧音を労うのを横目に見つつ、朱里はそっと溜め息を吐く。戦闘だけはいつも通りにしようとしていた筈なのに、このざまだ。幸い大事にはならなかったが、これから先もそうだとは限らない。
「ちょっと先を見てくるよ」
「待て、俺も行こう」
翔と煉二が森の奥へ消えていく。それをぼんやりと見つめながら、朱里はこの状態をどうしたらよいのかと考える。しかし妙案は浮かばない。いや、本当は彼女も分かっていた。陽菜と仲直りしさえすれば少なくとも良い方向には向かうと。それでも、ごめんの一言を口にする事は出来ずにいた。
――せめて、寧音と煉二に相談……、いえ、だめね。どうせ陽菜と仲直りしろと言われるだけ。
もしここで相談することが出来ていたら、彼らとの軋轢だけは解消できていたかもしれない。とは言え、朱里の考えている通りの事を二人は言っただろうし、根本的な解決にはならない。
そんな事をぐるぐると考えていたからだろう。すぐ目の前まで来ていた気配に、朱里は気が付かなかった。
「朱里ちゃん」
「……陽菜」
ついつい後ろに下がろうとして、その背中を比較的太い木の幹が叩く。それから無意識に逃げ道を探して視線を左右に走らせた。首の動きに合わせ、また少し長くなったセミロングの髪が揺れる。
「朱里ちゃん、私、何かした……?」
不安げに揺れる陽菜の瞳が朱里の目をじっと見る。彼女の大きな瞳を直視することは出来ず、視線を逸らす。その先では寧音が拳を握りしめ、同じく不安げな視線を彼女たちへ向けていた。
「……何も、してないわ」
「だったらどうして……?」
「何でもいいでしょ」
更に一歩距離を詰めてきた陽菜を拒絶するように朱里は腕を組み、そっぽを向く。それから陽菜を押し退けるようにして誰もいない右方へ歩き出した。
「あ、朱里ちゃん、待って!」
「話しかけないで!」
肩を掴もうとする手を強く払いのける。手と手のぶつかり合うパシンという音が朱里の思っていた以上に大きく、一瞬、彼女はばつの悪そうな表情を浮かべた。叩かれた手をもう一方の手で押さえる陽菜の表情は、悲しげだ。またずきりと朱里の心に棘の刺さったような痛みが走る。
「ま、まぁまぁー。仲良くしましょー!」
駆け寄ってきた寧音が固い声で仲裁しながら、二人の肩に手を置いた。その後ろではナイルが困ったように眉根を寄せている。朱里は一度目を伏せ、それから深く息を吸って、吐く。
「……そうね。寧音、ごめん」
「謝るのは私にじゃないですよー」
一転して寧音の表情から曇りが消え、パァっと明るくなる。朱里は思わず、視線を背けてしまった。
それから陽菜の方を見て、声を絞り出す。
「……その、ごめん、陽菜」
陽菜がほっと顔の筋肉を緩めた。
「でも今は! 今は、話しかけないで……。でないと……」
それ以上は何も言わず、朱里は二人から離れていった。
「あぁっ!」
「……寧音ちゃん、いいの。今はこれで。ありがとう」
朱里の後を追いかけようとする寧音の腕を握って止め、陽菜は苦しそうに微笑む。そこに困惑する様子はなく、こっそりと二人様子を伺っていた朱里には、彼女がなぜこうなっているのかを理解しているように見えた。
――そんな訳ない。もし知ってたら、何かしたかなんて聞かない。……たぶん。
「でもー……」
「大丈夫。まだこれから、いくらでもチャンスはあるよ」
「そう、ですけどー……」
何のチャンスか気になった朱里だったが、今は二人に話しかけることなどできるはずがない。そのままナイルの方へ近づいていき、疲れていないかと確認する。しかし行商で各地を渡り歩いており、加えて元は世間一般に高ランクとして認識されるBランク冒険者だったナイルだ。当然のように大丈夫だと返し、その異様な黒色をした顔を柔らかく歪めた。
「それより、そちらも無理はなさらないでくださいね。何があったかは聞きませんが、冒険者の仕事というものはちょっとしたすれ違いが取り返しのつかない事態を引き起こものですから。」
「……はい、わかっています」
忠告とともに投げかけられた真剣な視線に、朱里は同じものを返した。
間もなくして、翔と煉二が戻ってきた。怪我をした様子もなく、幾分リラックスした様子で森の奥から現れた二人に、朱里はそっと安堵の息を漏らす。それから翔の方へ近づいていく。
「問題なさそうね」
「うん、少なくとも、好戦的な魔物はいなかったよ」
「まるでこの先の領域を避けているかのように、な」
煉二が集まってきた朱里たちにそう補足する。
「それって……」
その意図を朱里は正確に読み取った。陽菜や寧音も気が付いているようで、明るい表情を見せる。
「あぁ、もうすぐ風龍フーゼナンシアの領域だ」
いつものすまし顔を小さくにやりと歪め、煉二はそう言い放った。
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