㉕
翔は、そんな……、と呟いて脱力しソファの背凭れへ沈み込む。
それ以上に失意を見せたのは朱里だった。アルジュエロたち姉妹を凝視する彼女の瞳が揺れ、ゆっくりと項垂れていく。髪の毛に隠れて見えない彼女の口からぽつりと、お姉ちゃん、という言葉が漏れた。煉二と寧音、アルジュエロたちグラシア姉妹の痛まし気な視線が二人へと向けられる。
「私たちが連れて行ってあげられたら良かったのだけど、それでは許されないでしょうから。ごめんなさいね……」
眉尻を下げながら言うアルジュエロ。煉二が更に聞いたところ、彼女の言う唯一の方法は『アーカウラ』を作った三柱とその父たる王に直接日本へ帰して貰えるよう頼む事だった。道中には神話で語られるような凶暴な化け物たちが数多く跋扈する上、翔たちではその神々の住む空間にいるだけで、魂が押し潰され死んでしまうという。
沈痛な空気が漂い応接室を支配する。
「ところでー……」
その沈黙を破ったのは、唐突に響いた寧音の声だった。どうかしたのかと朱里を除く全員の視線が彼女に集まり、先を促す。
「お菓子のおかわりってー、貰えないんですかー?」
彼女が何を言ったのか分からず、翔はぽかんとする。徐々に理解が追いつくと共に、その視線を菓子の入っていた筈の皿へ向ける。菓子はいつの間にか無くなっていた。
「ね、寧音、今は……」
翔は朱里へちらちらと視線を向けながら言った。朱里は何の反応も示さない。
「だって、無理なのはアルジュエロさんの言ってた方法がって話でー、他に方法があるかもしれないじゃないですかー?」
だから今考えても仕方ないと寧音は言う。
――確かに、アルジュエロさんが知らない方法があるかもしれない。
翔は期待するようにアルジュエロを見る。
「まあ、私もこの世界の全てを知っているわけではないわね」
それは消極的ながら、寧音の主張を肯定する返事だった。
「ほらほらー!」
寧音は我が意を得たりと胸を張る。そして、これが一番大事だとばかりに言い放った。
「だから、お菓子のおかわりをくださいー」
彼女を除く全員がきょとんとした顔で目をぱちくりさせる。
「ぷっ」
最初に噴き出したのは下を向いたままの朱里だった。
それを皮切りにほかの面々も笑みを漏らす。先ほどとは一転して、弛緩した空気が部屋を満たした。
「あはははっ」
「もう、なんで笑うんですかー!」
目の端に涙を浮かべながら朱里は笑う。寧音はなぜ笑われているのか分からないとむくれるが、それがより一層、朱里たちを笑わせる。
朱里は一頻り笑うと、ふぅ、と息を吐いた。
「そうね、まだ方法があるかもしれないものね。今はそれより、クラスのみんなをどう助けるかを考えないと」
涙をぬぐい、朱里は表情を真剣なものに変える。その眼差しは強い。
「……アリス、お茶とお菓子のお代わりを用意してあげて」
「はい、マスター」
アリスがお茶を入れ直し、〈ストレージ〉から追加の菓子を出す。その横では寧音が、朱里ちゃんはシスコンだったんですねー、と何故かテンションを上げていた。対する朱里は珍しく、少々誇らしげだ。
「とりあえず、急いで出発する準備をしよう。ここから法王国までかなりあるし、作戦会議は移動しながらでいいよね?」
「ああ、それでいいと思うぞ」
善は急げとばかりに翔は腰を浮かせ、グラシア姉妹に礼を言って出発すると告げようとした。それを止めたのはアルジュエロだった。
「まあ待ちなさい」
彼女は飲んでいたお茶を置く。そして、まだ何かあるのかと怪訝な顔をする翔たちに何でもないことのように言う。
「今のあなた達じゃあ死ぬわよ」
翔たちは、すぐには言い返せない。
翔は拳を握りしめ、斜め下へ顔を向けて顔を歪める。
「……実力不足は、分かってます」
煉二たち三人の視線が、翔に向けられる。
でも、と彼はアルジュエロをまっすぐ見つめた。
「やらなきゃいけないんです! 俺は、陽菜を、雄介たちを、助けたい‼」
悲壮な叫びだった。朱里たちには分かっていた。その彼の気持ちが。だから何も言わず、翔と同じようにアルジュエロを見る。
「確かに、上手くやれば戦争に出てる子たちの何人かは助けられるかもしれないわね。でも」
しかしアメジストの瞳が示したのは、無慈悲なまでの現実。
「陽菜って子は無理よ。絶対に」
翔たちでは、どう足掻いても犠牲無くしてグラヴィスには勝てない。儀式の場を守る彼を倒せなければ、陽菜を助けに行けない。アルジュエロはそう静かに語る。
――分かってるよ、そんな事! でも、じゃあ、どうすればいいんだよ……‼
「くそっ!」
らしくもなく悪態を吐きながら翔は拳で己の脚を打つ。愛する人と友人たち。そのどちらかを選ぶ事は、彼に出来るはずがなかった。
再び空気の重くなった応接間に、ブランがティーカップを置くコンという音だけが響く。
「あなた達に残された道は二つ」
翔は勢いよく顔を上げ、アルジュエロの立てた二本の指を見た。彼女は一本だけを残し続ける。
「一つは、私に許される限界ギリギリの助力を得て、大切な人たちだけを助ける道」
彼女ならば、一国の騎士団長を務め、Sランク冒険者と同等の実力を持ったグラヴィスであろうと、鎧袖一触にできる。彼さえ居なくなるのなら、翔たちだけでも雄介と香、陽菜の三人くらいは確実に助けられるだろう。多くのクラスメイトの屍を積み上げた上で、だが。
すぐに否と言えない翔たち。彼らの二つ目の道は、一度握られた二本目の指が立てられると共に告げられた。
「もう一つは、ギリギリまで私の修行を受け、強くなった上で大切な人以外の子たちも助ける道」
彼女のスキルによって大きな影響の出ないぎりぎりまで内部時間を引き延ばす結界を作り、そこで修行をつけてもらう。それは、全世界の武や魔法を志す者たちにとって垂涎ものの提案だった。
翔たちは、助けられるのなら全員を助けたいと飛びつきそうになる。
「あなた達の感覚なら二つ目を選ぼうとするでしょう。でも、よく考えなさい」
彼女がいつの間にか飲み終えていたお茶のカップをソーサーへ戻すと、従者たちが静かに動いてそれらを片づける。スズネやブランのものも、既に空になっていた。
「いくら時間を引き延ばせるとは言え、限界はある。つまり、修行をしている間に戦場で誰かが死ぬかもしれないって事よ。儀式の子たちは助けられるでしょうけどね」
答えが出たら彼女に言いなさい。そう残して、アルジュエロたち姉妹とコルコスは部屋を後にした。
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