君の為に翔ける箱庭世界

――神々は彼らを役者に選んだ
かかみ かろ
かかみ かろ

第六十六話 雪蔦の道標

公開日時: 2022年4月3日(日) 17:18
文字数:4,047

お久しぶりです。

中々時間が取れず、四月となってしまいましたが、ようやく三万字弱程書けたので更新を再開します。

とりあえず今日から三日間は毎日投稿予定。

以降は進捗次第で決めます。

 西大陸北部、その中央。青い空を雲が流れ、風が魔境と呼ばれる森の木々を穏やかに揺らす。その世界に生きる殆どの人々にとっては死地にも等しいはずの森の中心。しかしそこに絶望の影は無く、二つの石碑が静かに陽の光を反射させている。


「はぁ、はぁ、はぁ……」


 一心不乱に振るっていた剣を収め、思導翔しどうかけるは芝の禿げた地面に倒れ込んだ。そのまま視線を上げれば、見えるのは慣れ親しんだ彼の師、アルジュエロの屋敷だ。窓の向こうには、そこを横切るいくつもの人影が見える。


「調子はどう?」


 翔の顔を影が覆った。彼は逆光に目を細めながら、声の主、アルジュエロのアメジスト色の瞳を見返す。


「アルジェさん……。正直、上手くいっていません……」


 アルジェの手を借りて立ち上がると、地面にはくっきりと残る努力の証。それを補うように彼は師から受け取った水を一気に煽った。

 そんな彼をアルジェはじっと見つめ、小さな溜め息を一つ吐いてから焦る事はないわと微笑む。それから彼の周りに散乱する巻き藁の残骸に目を向けた。そのまま、一番近くにあったモノの切断面を手でなぞる。


「少し休みなさい。あなた、あの日以来全く休んでいないでしょう」

「そう、ですね……」


 朱里を見送ったあの日より、翔は殆どずっと、剣を振るい続けていた。それは悲しみや苦痛から目を背けるためであり、己の力不足を悔やんでのことでもあった。それを理解していたアルジェはこれまで何も言わず見守っていたが、疾うの昔に四十九日は過ぎている。それに、彼の目標としていることの為にも、休息は挟むべきだと彼女は判断した。


「そんなに焦っても、『迅雷』は修得できないわよ」

「焦ってなんてっ! ……いえ、はい。分かりました。汗を流してきます」


 グラヴィスとの戦いで雌雄を決した『川上流』の奥義、『迅雷』。翔がそれを完全な形で放てたのは、あの時だけだったのだ。風生れの島に向かっている時も、星見の池で試しの蒼竜と戦っている時も、彼は一度も『迅雷』を放っていない。いや、放てなかった。スキルなどの箱庭世界アーカウラの理によって多くの補助を受けているとはいえ、奥義とはそう簡単に修得できるものではない。


 魔法で訓練用の服についてしまった砂を落とし、歩き出した彼にアルジェが並ぶ。


「それで、もう大丈夫なの?」


 何がとは言わない。


「……はい。一応は。四人になって、もう、随分と経ちましたから」


 翔の横顔に僅かばかりの影が差す。それでも、その視線は前を向いていた。『迅雷』については未だ修得の見えない状況だが、確実に前へとを進めていたのだ。

 だからアルジェは優しく微笑み、そう、とだけ返した。


「アルジェさん」


 唐突に翔が振り向き、アルジェの美しい銀髪をその真っ黒な瞳に映す。


「うん?」

「一時間後くらいに皆を集めて貰えますか」


 そう言った彼の目には、強い意志が宿っていた。どこまでも真っ直ぐなその眼差しに、アルジェは彼の内心を正確に汲み取った。と同時に、止められないであろうことも悟ってしまった。

 

「……ええ、いいわよ。談話室に来るよう伝えさせるわ」


 だから彼女は師として、彼を信じる事に決めた。


 翔が心の準備を終えて談話室に入ると、既に全員が揃っていた。入り口側の大きなソファに舞上まいがみ陽菜ひなたちパーティーメンバーの三人、奥の三人掛けのソファにグラシア姉妹が座っており、その後ろには執事姿のコスコルが控えている。


「あ、翔君」

「陽菜、みんなも。突然ごめん」


 申し訳なさを表情に出しつつ、翔は陽菜の隣に腰を下ろす。反対側に羽衣はごろも寧音ねね、その向こうに黄葉きば煉二れんじという並びだ。陽菜と寧音は風呂から上がったばかりらしく、石鹸と陽菜自身の香りが翔の鼻腔をくすぐる。その香りと青を基調とした談話室の内装に、彼は緊張が和らぐのを感じた。


「気にしなくていいですよー」

「ああ。それよりもだ。全員を集めたという事は、そういう事なのだろう?」

「うん」


 煉二の問に力強く頷いた翔に、三人も真剣な表情を返す。

 彼らのやり取りがひと段落したのを見計らったのか、そのタイミングで談話室の扉が開いた。入ってきたのは人数分のカップを持ったアリスと使用人の恰好をした音成おとなりかおりだ。二人は紅茶のようなお茶の入ったそれを翔たちの前に置くと、そのままアルジェたちの後ろ、コスコルの横に控える。


「地球への帰還は香にも関係する話だし、一応来てもらったわ」


 香のいる理由を説明する館の主に客人四人は頷きを返し、それから陽菜と翔は心配そうに自分たちを見つめる香へ微笑みかけた。


「それはそれとして、あなた達、もう少し離れて座ったらどう? スペースはあるんだから」


 呆れたように言うアルジェに、翔たちは互いに目を合わせる。実際、左右には十分なスペースがあったのだが、四人、というよりはカップル同士でぴったりと身を寄せ合って座っていた。無意識の行動ではあったのだが、翔からして態々座り直す意味が思い浮かばない。それは陽菜も同じだったようで、このままでいいんじゃない? と言ってますます翔の方に寄りかかった。その隣では煉二たちも同じような事をしている。唯一違うのは、煉二が頬を染めて照れ臭そうにしている事か。寧音はそんな煉二を愛おしげに見つめて微笑むと、そのままアルジェへと反論した。


「アルジェさん達もじゃないですかー」

「……二人とも、少し離れなさい」

「えー、しょうがないなぁ」

「ん、姉さまがそう言うなら」


 口では離れると言いつつ、ススネもブランもアルジェから殆ど離れない。後ろにいるコスコルとアリスが微笑みながら互いの距離を近づけた気配に、アルジェは頬を染めて、あからさまな溜め息を吐いた。

 重要な話をしようとしている割に空気が甘く、香が居心地悪そうに視線を彷徨わせる。それから遠い目をして、開き直ったように陽菜と翔へと笑みを向けた。


「んんっ。さて、そろそろ本題に入っていいかしら?」

「はい。お願いします」


 ピンク色の空間を作り出していた事などなかったように返事をする翔。これについて呆れるのは香と煉二の二人だけだ。とは言えそれも一瞬。もう慣れてしまっている二人はすぐに気を取り直す。

 アルジェは煉二達二人の様子を確認すると、〈ストレージ〉から一つのペンダントを取り出して側面に猫の文様が掘られた木製のローテーブルに置いた。翡翠色のそれは蔦が六方向に延びて雪の結晶をかたどったもので、不思議な力を感じる。星見の池で元の世界へ帰る事を願った時、願いを書いた短冊の燃えた直後に陽菜の眼前に突然現れたものだ。風生れの島から帰ってきた後、翔たちはそれが何なのかを調べてもらう為アルジェへ預けていた。


「あなた達が手に入れたペンダント。これは世界の中心にある、とある迷宮へ入る為に必要なものよ」

「世界の中心……」


 翔の呟きにアルジェが首肯で返す。


「そしてそこにいるのは、この世界の【管理者】。彼女はアーカウラの空間を管理する神の一柱だから、もしかしたら、本当にあなた達を地球に返して貰えるかもしれないわね」


 真剣な表情のままに告げられたこの言葉は、翔たちに光を見せないわけが無かった。互いに顔を見合わせ、期待に満ちた表情を鏡映しにする。


「ただし」


 しかし、それを遮ったのもまた、アルジェだった。

 注意を向けるように一度言葉を区切ったアルジェへ翔たちが視線を戻すと、絶対強者であるグラシア姉妹の三人が三人、どこか険しい表情を彼らに向けていた。彼女らの表情と神という言葉が結びついて、翔が思い出させられたのは、以前帰る方法を聞いた時に言われた言葉。

 ――道中で気が狂って、死ぬ、か……。


 翔は知らず知らずに手を握りしめ、視線だけをちらりと陽菜へ向ける。

 そんな彼の内心を読んだのだろう。アルジェはふっと表情を緩め、優し気な視線を向けた。


「大丈夫よ。前に言っていたのは別の場所だから。そっちへ行っても彼女には会っていたでしょうけれど」

「うん。気配も、その迷宮でなら抑えてくれる、はず」


 『管理者』や主神である『魔王』らは、ただそこにあるだけで普通の人間の魂を破壊しかねない存在だ。ブランの補足で四人はその事を思い出して一瞬身を強張らせ、それから安堵の息を漏らす。


「でも、だからって楽に会えるわけじゃないよ。誰一人辿り着けないで、全員、死んじゃうかもしれない」

「スズの言う通り、神に会うというのは並大抵の事ではないわ。場合によってはそれだけで願いを叶える対価として成立してしまう程に、ね」


 再び表情を厳しいものに変えたアルジェ達。スキルや魔力で威圧をしているわけではない。それなのに翔たちは、初めて対峙した時のような強烈な圧迫感を感じていた。翔の耳に誰かの喉を鳴らすゴクリという音が聞こえる。


「問うわ。これから示す先で何があろうと、あなた達は自分の意思を貫く覚悟がある?」


 周囲にの空気がピンと張り、翔の心臓を締めつける。それでも、彼の答えは決まっていた。それ以外になかった。意思を確かめる為に翔が陽菜たちを見ると、帰ってきたのは強い光を宿した眼差しと、頷き。一抹ほどあった迷いも、塵と消える。だから彼は、問いかける師の目を真っ直ぐと射貫き、ハッキリと告げた。


「はい。必ず元の世界に戻って、日記を朱里のお姉さんに届けます」


 数秒の沈黙。短い筈なのに永遠にも感じてしまう。アルジェが認めなければ、行くべき場所を知る事すらできないのだ。だからこそ、彼女が口を開くまでのその間、翔はじっとアメジスト色の輝きを見つめ続けた。


「そう、ならいいわ」

 

 ピンと張られたままになっていた糸が、不意に緩んだ。再びアルジェの浮かべた微笑みに、【選ばれし者】全員が大きく息を漏らす。特にこういった空気に成れていない香などは膝が抜け、アリスに支えられる始末だった。その様子にスズや使用人夫婦が苦笑いを浮かべる横でアルジェは翔たちに告げる。


「あなた達が行くべき場所は、東大陸中央にある、セフィロティア。世界樹セフィロトを守る『森妖精族エルフ』の国よ」

「セフィロティア……」

「そこで女王アルティカを尋ねなさい。きっと力になってくれるわ」



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