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「気に入ってくれたみたいね」
「はいー。とっても美味しいですー」
「だそうよ、アリス」
アルジュエロは後ろに控えていた金髪碧眼の侍女を見て言う。朱里たちを案内してきた女性だ。彼女は表情を変えないまま控え目に礼をした。
――この人も俺たちより確実に強いんだよなぁ……。
侍女ですらそうなのだから、自分たちにアルジュエロを討つ事など出来るはずがなかったのだと翔は嘆息する。そして、ふと思った。
――なんで法王国の人たちは俺たちだけに任せたんだろう? グラヴィスさんの様子からして、勝てるはずがないって事は分かってたように思えるんだけど……。
「何故自分たちはたった四人で魔王の討伐に向かわされたのだろうか。法王国の人たちは勝てる筈がないと分かっていたように思えたのに」
「えっ?」
たった今考えていた事と同じ意味の言葉が聞こえ、翔は困惑する。朱里も目を見開いていた。
「ってところかしら? 今あなた達が考えているのは」
薄らと笑みを浮かべたままアルジュエロが言う。それからティーカップに口をつけ、続ける。
「今のあなた達なら考えられるんじゃない? その続きを」
翔、朱里、煉二の三人は恐る恐る自ら抱いた疑念の答えが何かを考えようとする。以前彼らを襲った酷い頭痛や不快感がまた来るのではないか、という恐れを深呼吸やお茶の香で誤魔化しつつだ。
「……囮?」
呟いたのは翔だった。何事もなく思考を巡らせられたことに安堵しながら、彼はアルジュエロへ伺うように視線を向ける。
「まあそんな所でしょうね」
翔たちに意識を向けさせ、自分の足止めをする。それで翔たちが死んでしまっても構わない。それが法王国の目論見だったのだろうとアルジュエロは語る。
だとしたら今現在、法王国の思惑通りになっているという事だが、彼女に焦った様子はない。
「では、何故貴女は動かない? それ程の実力があるのなら、俺たちの足止めなど意に介さず、簡単に法王国の儀式を止めることが出来るのではないか?」
「そうね」
アルジュエロは肯定し、菓子を口へ運ぶ。
「姉さまなら、国ごと地図から消せる」
同じく菓子を食べながらお茶を啜るブランがぽつりと言った。寧音は菓子へ伸ばした手を止め、他の三人も顔を引きつらせる。
「え、えっと、それは、地図から国の名前が無くなるって意味、ですか……?」
「違わないけど、違う。文字通り地図を書き換えて、湖とか、峡谷とかにできる」
翔の質問には、冗談を言っている風ではなく、当然のことを言うような調子の返事が返ってきた。彼らの脳裏に、アルジュエロが戦闘中に一瞬放とうとした謎の超魔法が浮かぶ。
「は、ははは、冗談ですよねー……?」
一応と引きつった笑みの寧音が確認をとる。しかし姉妹は否定しない。
「【調停者】っていうのは、そういう存在だって事! だから迂闊に動けないんだよ、私たちは」
こう言われては彼らも納得するより他にない。世界の均衡を保つ者として、迂闊に力を振るう訳にはいかないのだ。
「今回はそれだけじゃないのだけれどね」
当然その言葉に翔たちは疑問符を浮かべたが、アルジュエロは振り回されるのは大変だと言うばかりでその意味を口にしない。仕方ない、と翔たちは菓子へ手を伸ばして思考を切り替えることにした。
「それにしても、私たちが囮でしかなかったなんて……」
「びっくりですよねー。考えたこともありませんでしたよー」
煉二が寧音の言葉に頷く。
翔も思い返してみると、自分たちの役割について疑問を持ちかけても、その度にこじ付けのような理由で納得していたのだと気付けた。ギルドで食事を取っているときに彼らを襲った不調と言い、これはどういうことなのかと彼は顎に指を当てて考え込む。
その答えはアルジュエロによって示された。
「あなた達は洗脳を受けていたのだから、考えられなくても仕方ないわ」
「洗脳……?」
洗脳、という不穏な言葉。朱里が思わず復唱した。
「ええ。正確には思考誘導と隷属だけど。【選ばれし者】に仕組まれていたのよ」
「称号は魂に直接刻まれるから、それを介して影響を与える方式だよ」
補足するスズネは常の明るい雰囲気を潜めさせ、嫌そうに表情を歪めている。
翔たちは慌てて自身のステータスを表示し、件の称号の効果を確認する。
――ホントだ、ちゃんと書いてある……。でも、過去形?
翔たちは今回初めて【選ばれし者】の称号効果を確認した。これも思考誘導によってそうしないよう強制された結果だった。
「でも大丈夫。姉さまが外したから」
目の前に投影されたそれに釘付けとなっていた翔たちも、その言葉には視線を上げざるを得ない。何気なく言ったブランの言葉は彼らに再び畏怖の念を植え付けた。
スキルや称号はその者の魂へと直接刻まれるものだ。その効果を、当たり前のように外したと言うのだから、絶句するより他にない。信じがたい話ではあるが、アルジュエロならできると思えてしまう。翔たちは改めてアルジュエロに敵意がなかった事を喜んだ。
「……そうだ。陽菜たちは大丈夫なんですか!?」
翔はハッとなりアルジュエロへと確認する。
「大丈夫、ではないわね」
彼女曰く、防衛戦は周辺国家の人々の命をディアスへ奉げるための侵略戦争、『儀式の補助役』は、その役の高校生の一部を除いて生贄として奉げるものだろう、と。
「その『防衛戦役』に就いてるならまだ望みがあるかな。周りの国には事情を話して極力殺さないように言ってあるから。でも、戦争だからね」
平坦な口調で言うスズネに、翔は身を乗り出した。しかしその口が開かれる前にスズネが続ける。
「その子たちは何をさせられてるの?」
「翔の気になってる人たちは、『防衛戦役』と『儀式の補助役』です。ただ、『儀式の補助役』の、さっき名前が出た陽菜って子ですけど、その子はギフト的に本当に補助をすると思います」
「彼女のギフトは強力な強化の効果を持ったものと聞いています」
朱里と煉二が代わりに答えた。その間に座りなおした翔は拳を固く握り、姉妹をじっと見つめている。
「うーん……。あの国の人たち、本気でディアスを復活させられると思ってるから、儀式が始まるまでは大丈夫だと思うけど……」
「そうね」
姉妹は後ろに控える二人の従者へ視線を向ける。彼らはそっと頷き、肯定を示した。
しかし翔には、それよりも気になることがあった。大丈夫という言葉に安心し、一度落ち着こうとお茶へ伸ばしていた手を止めて問いかける。
「ちょっと待ってください。あの方……ディアスを本当に復活させられると思っているって、どういうことですか!?」
「どういう事って……ああ、あなた達は封印されてるって聞いてたんだったわね」
翔たちは頷いた。そう聞いていたからこそ、彼らは魔王と呼ばれていたアルジュエロの元まで来た。彼女を討ち、ディアスを復活させて日本へ帰るために。翔はもしもディアスを復活させられないなら……、と不安を抱く。
「復活させるも何も、ディアスはもう完全に滅びてるわよ? どこぞの三柱がサクっと消し飛ばしちゃったわ」
どこか投げやりな様子で言うアルジュエロだが、翔たちの胸中は穏やかではない。三柱が以前、街の教会で聞いた創世記に出てきた神々だという事は翔にもわかった。ならば一柱の神を完全に滅ぼす事もまったく不可能ではない、と考え生唾を飲み込む。それから恐る恐ると言った様子でその疑問を口にした。
「じゃ、じゃあ、儀式をしたとして、その生贄になった人たちは……」
「……無駄死にね」
一度緩んでいた彼の手が再び強く握りしめられる。
「……それじゃあ、私たちは、日本に帰れないってことですか?」
朱里の震える声が続けて問う。
「……まあ、一つだけ方法が無いわけじゃないけど、あなた達じゃ無理ね。道中で気が狂って死ぬことになるわ」
「だね。私たちでもきついから」
「もう、二度と行きたくない」
異世界『アーカウラ』における絶対者の一角が言う言葉。それは、日本へ帰りたい翔たちにとって、絶望以外の何物でもなかった。
読了感謝です。
夜もう一話上げます。
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