君の為に翔ける箱庭世界

――神々は彼らを役者に選んだ
かかみ かろ
かかみ かろ

第十話 鬼蜘蛛猿(後編)

公開日時: 2021年5月13日(木) 19:46
更新日時: 2021年5月16日(日) 16:51
文字数:3,888

 弧を描くように近づいてくる翔をアラニアスエイプは目で追う。その側頭部へ煉二の風魔法が炸裂した。ダメージこそ多くはないが、その衝撃は一瞬の隙を作り、翔と朱里に攻撃のチャンスを生み出す。

 脱力した状態から一気に振り上げるバスタードソードの一撃が顔を庇うように持ち上げられた猿の前腕を切り裂き、短槍が体の正面、上半身と下半身の継ぎ目へと突き刺さった。

 先ほどとは異なり、深く刻まれた傷。アラニアスエイプは痛みと驚きで一瞬動きを止める。そこへ煉二と寧音の魔法が降り注いだ。


「ちょっと、煉二! 森で[炎槍フレイムランス]なんか使ってんじゃないわよ!」

「そうですよー、火事になっちゃいますー!」

「む、す、すまない……」


 寧音にまで怒られ、少しシュンとする煉二。その横で腕を振り上げぷんすこと怒りながらも、寧音は光の弾丸を撃ち出し続けている。

 そんな二人に呆れつつも、前衛二人は手を休めない。

 十全に力を発揮する〈見切り〉により翔が攻撃を捌き、やや後ろから朱里が槍で叩く。時には穂先で関節を切りつけ、傷を増やしていく。どうしても躱せない攻撃は寧音の〈結界魔法〉による障壁が防いだ。そうして注意が逸れた隙を突いて、煉二が高レベルの〈風魔法〉叩きこんでいく。

 四人は完全に場を支配していた。

 ――いける!


 四人が四人、そう思った。そう、思ってしまった。

 鬼蜘蛛猿が突然守りを堅め、大きく息を吸い込んだ。異変に気が付いた翔が距離を取ろうとする。


「キィィイイアアァアアッ!!」


 しかし間に合わなかった。

 魔力を乗せ、その上で〈咆哮〉スキルを使用しての叫びは、衝撃波となって翔たちへ襲い掛かる。地を抉り、木々を歪めた音の一撃だ。寧音が咄嗟に張った障壁では防ぎきれるはずもなく、彼らは受け身もとれないまま土にまみれる。


「みんな大丈夫⁉」


 反射的に後ろへ飛んだ翔はすぐに起き上がって安否を問う。


「はいー」

「あ、ああ」


 即反応できたのは離れた位置にいた煉二と寧音だ。


「ええ……ゴホッゴホッ」


 やや遅れて朱里が返事をする。彼女は位置が悪く異変に気が付けなかった結果、至近距離でまともに衝撃を受けてしまっていた。それでも軽い打撲程度で済んでいたのは、しっかりと魔力で体を強化していたからだった。

 全員が一応無事なのを確認し、ほっと息を吐く翔。

 ――油断してた。死にかけたばっかりだったのに……。


 彼は改めて気を引き締め、剣を握りなおす。そして未だ鬼蜘蛛猿に動く気配が無いのを良い事に、体勢を立て直そうとする。しかし翔は気が付くべきだった。出会い頭の咆哮とは違う結果をもたらした、それが何を意味するかを。

 翔と朱里のスキルが捉える鬼蜘蛛猿の気配が膨れ上がり、四人全員の〈危機察知〉スキルが喧しい程に警鐘を鳴らす。

 弾かれたようにその気配の出所を見ると、ソレの全身に纏う魔力の質が、量が、明らかに変わっていた。

 ――そうか、認めたんだ。敵だって。俺たちはただの餌じゃないって……。


 鋭く細められた猿の目が翔たちを睨む。両手で地を掴むように前のめりになり、一瞬ぐっと体を沈める。明らかな突撃体制だ。

 翔たちは、いつでも動けるように準備をしていた。寧音も二重の障壁を全員の前に張って備えていた。それでも、防げなかった。

 空気の膜を突き破るドンという音を翔が聞いた時、既に煉二が吹き飛ばされた後だった。数瞬前まで煉二がいた場所に黒と紫の巨体が佇み、遠くで折れた木が倒れる。すぐ横にいた寧音は驚愕に動けない。目を見開いたまま、自分に向けて猿の剛腕が振り上げられる様を見ていた。


「寧音さんっ!」


 翔の叫びで彼女は何とか追加の障壁を作り出す。最初の二枚と合わせ、計四枚の壁は簡単に破られてしまったが、それでも攻撃の軌道から逃げるだけの時間は稼げた。


「寧音さん、煉二を! 朱里さんは俺と時間をかせ、いや、全力でアイツの機動力を奪う!」

「はいー!」

「わかった!」


 死を目前に全力回転する脳みそでリーダーとしての責務を果たす翔。寧音と同じく呆然自失となっていた朱里も再起動を果たし、〈身体強化〉の出力を意図的に上げる。自分たちに後を考えて戦うという選択肢は残っていないことを理解しての行動だ。

 ――落ち着け、煉二はまだ生きてる……!

 

「化け物! こっちだ!」


 翔が声を張り上げ鬼蜘蛛猿の注意を引く。同時に無詠唱で[光槍フォトンランス]を顔面へ向けて撃ち出した。

 翔の心はまだ折れていないと示すように威力の増した魔法の一撃。これをアラニアスエイプは腕で防御する。光子の槍はそのエネルギーを熱へと変換し、紫の剛毛を焼く。

 そこへ朱里が短槍に雷を纏わせ大きく振り回し、脚の一つを切りつけた。


「キィィッ⁉」

 

 朱里が持つ〈付与エンチェント〉スキルにより槍に込められた雷は、アラニアスエイプの全身を巡り一瞬動きを止める。

 続けて翔が体力を気力というエネルギーに変換し、片手半剣バスタードソードに集中させて斜めに切り下ろした。その袈裟斬りはたった今朱里が付けたばかりの傷を更に深くする。


「くっ……!」


 切り落とすつもりだった翔は顔を歪めながらもすぐに離脱する。入れ替わるように、朱里がその傷を突いた。同じく気力で強化された一突きは、半ば近くまで入っていた傷を押し広げる。

 直後、あと一撃と意気込んだ朱里の顔に影が落ちた。


「朱里さん、上!」

「くっ!」


 降ってきたのは巨大な拳だ。

 反射的に槍を振るい軌道を僅かに逸らしたことで直撃は免れたが、すぐ横の地面が割れ飛び散る破片に視界を奪われる。土煙を掻きわけるように現れた手の甲は、朱里の胴を強く打ち付けた。そのまま盛り上がった地面に背中から叩きつけられ肺の空気を漏らす。


「カハッ……! ……だ、大丈夫、だからっ! ゲホッゴホッ……」


 駆け寄ろうとする翔を制止した彼女の口からは、血の混じった咳が出た。肋骨を何本か折って肺を傷つけてしまったのだ。

 続けて、一瞬注意を逸らした翔目掛けアラニアスエイプは腕を振り上げる。


「キィアァァッ!」


 その拳はしかし、振り下ろされることはなかった。アラニアスエイプの後方から飛来した真空の刃が、その脚に残った傷を穿ち切り飛ばしたのだ。アラニアスエイプは悲鳴を上げながらバランスを崩し、倒れこむ。やったのは煉二だ。

 煉二はレンズのひび割れた眼鏡の位置を直し、次の呪文の準備をする。


「朱里ちゃん、今行きますから―!」

「大丈夫! それより一瞬でいいから、あいつの動きを止めて!!」


 アドレナリンに任せて痛みを誤魔化し、朱里は叫んだ。そして加速のための魔力を溜めつつ彼女のギフトを放つ体勢に入る。このまま放っても当たるかもしれないが、万全を期す為だった。


 翔たちは頷き、寧音は詠唱を開始する。

 何かするつもりだと察したアラニアスエイプが朱里へと飛び掛かろうとするのを翔が間に割り込んで詠唱を短縮した、土の壁を生む魔法を発動した。


「土よ壁と成れ! [土壁クレイウォール]!」


 壁にぶつかって止まり、焦りの声を漏らすアラニアスエイプ。そこへ上空から空気の塊が叩きつけられる。不完全だが、煉二の対軍魔法[暴天墜ダウンバースト]だ。本来であれば着地後広範囲に強風と冷気を広げる魔法だが、今の煉二では小範囲へ強烈な下降気流を生み出すのが精々だった。それでもその役割は十二分に果たしアラニアスエイプをその場に縫い留める。

 煉二は魔力切れ間近で膝を突き、風はどんどん弱っていく。しかし寧音の〈結界魔法〉が脱力させる領域を生み出し、アラニアスエイプは抜け出せない。


「オーケー! 行くわ!」


 その言葉を受け、翔は一気に横へ跳んだ。空間が歪み引き込まれる感覚と共に、彼のすぐ横を通る尋常ではないエネルギーを彼は感じる。


「キィィィイアアア!」


 前後の隙は大きいが、ある程度までの相手なら一撃必殺足り得るスキルだ。翔たちは今度こそ勝利を確信する。だが、鬼蜘蛛猿は最後の最後で意地を見せた。翔が跳ぶのと同時に鬼蜘蛛猿も同じ方向へ跳んだのだ。

 朱里の一閃は残った蜘蛛脚の一本のみを奪い、その命には届かない。

 煉二はもう動く力がなく、寧音は攻撃力に欠ける。そんな状況で、死に体になっていた翔へと鬼蜘蛛猿は狙いを定める。残った両腕を使って方向転換をし、大きく口を開け、その鋭い牙で彼のはらわたを食いちぎろうと迫る。

 ――今度こそ死ぬ、のか……? こんなところで?


 彼の脳裏にこれまでの思い出が過ぎる。何十倍にも引き延ばされた時の中、ゆっくりと近づいてくる化け物の口を見つめながら、まず親友の笑う顔を思い出し、家族の泣く顔を思い浮かべて、最後に、月夜に顔を真っ赤に染めた、恋人を思い起こす。

 ――嫌だ。


 彼の頬にあの夜の熱い感触が蘇る。

 ――陽菜を置いて行くなんて、独りにして死ぬなんて、絶対嫌だっ!!


 それは魂の叫びだった。

 今日、この日、最も強く発露されたその思いは、彼のユニークギフト〈心果一如しんがいちによ〉によって莫大なまでのエネルギーへと変換され、彼の身体を、剣を強化する。

 死を間近に引き延ばされただけの時間が彼の生きる時となり、普段と同じ動きで左腕が前へと伸ばされる。彼の命を喰らう筈だったアラニアスエイプの口腔は、その腕を喰らうのみで閉じられて、巨躯はゆっくりと勢いを無くしていく。

 その首へ向けて閃いたのは、右手に握られた片手半剣だ。

 煌々と輝く剣の煌めきは真っ暗な森の中に一足早い朝日をもたらし、醜悪な猿の顔と、翔の顔に現れた強い意志を克明に浮かび上がらせる。


「ぁぁぁぁああああああああ!!」


 空中で体勢を崩していたとは思えないほど速く、引き延ばされた時間であってもなお速く、その刃は振り下ろされ、一際強い閃光と共にアラニアスエイプの肉へと沈んでいく。そしてそのまま、頑強な化け物の骨さえも無きが如く切り裂き、猿の巨頭を地へと落とした。



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