君の為に翔ける箱庭世界

――神々は彼らを役者に選んだ
かかみ かろ
かかみ かろ

第五十二話 闇

公開日時: 2021年9月25日(土) 12:35
更新日時: 2021年10月8日(金) 07:02
文字数:3,424

 ⑮

 暫くして翔と陽菜が帰ってきた。明らかに興奮した様子だった。陽菜の頬を上気させる姿に、翔が優しく微笑んでいる。少し前に自分に向けられたものとは明らかに違うと、朱里にはそう感じられた。

 ここ暫く感じていなかったモヤモヤに思わず目を背ける。


「寧音ちゃん、ほんと凄かったね!」

「でしょでしょー!」


 陽菜のキリっとした目が細められ、ただでさえ魅力的な彼女をより一層輝かせる。巫女らしい品性を感じる佇まいをそのままに無邪気に笑う彼女が、朱里にはとても眩しく見えた。

 ――陽菜は、可愛い系の顔立ちよね……。


 翔が陽菜を好きな理由とは関係ないと分かっていても、つい彼女と違う点を探してしまう。朱里は綺麗系だった。


「翔、写真を撮ったのだろう? 見せてくれないか」

「うん、いいよ。でも、あんまり綺麗に撮れなかったんだよね」


 翔が手元のカメラを操作すると、保存されていた写真が空中に投影される。光が強すぎるのか、地球のものと若干仕組みの異なるアーカウラのカメラでも青白色が滲んだものになっていた。

 ――これはこれで綺麗ね……。


 もしこれを翔と二人で見れたなら、そんなことを夢想してしまう。


「ほう、これは中々」


 ナイルもそう感嘆の声を上げていた。

 朱里は彼を誘って行こうかと一瞬考えたのだが、護衛対象をあまり連れまわすのは良くないし、何より気乗りがせず、結局黙って写真を眺める。


「現物はもっと素晴らしいのだがな。まあ、仕方あるまい」


 煉二はそう言ってから翔に礼を告げた。


 なんだかんだで夕食の時間だと気が付いた一行は、昼と同じように役割を分けて思い思いのものを食べる。翔が黒い鳥の肉を食べ、陽菜が臭いを処理して、朱里たちと警戒役を代わる。途中、翔が放置していた釣り竿の存在を思い出して取りに行くという事はあったが、それ以外は昼食と全く同じだった。

 しかし、朱里の内心だけは明るく遠くまでよく見える洞窟内と対照的なほどに曇っていた。その雲は、翔と陽菜の会話を聞くたびに厚くなる。

 ――なんで私、翔を好きになっちゃったんだろ……。


 以前にも抱いた疑問だ。

 陽菜の為に真っ直ぐな彼の姿に惹かれたのは、間違いない。共に命を懸けた吊り橋効果もあるのかもしれない。彼女自身気が付いていない理由も考えられる。

 見張りをしている間にあれこれと考えてみた朱里だったが、結局、間違いなく自分が翔を好きだという事しか分からない。

 その事実に、彼女は己へのいら立ちを強める。以前ならば相手がいる男を好きになるなんてと鼻で笑っていただろう。ましてその相手に嫉妬を向けてしまうなんて、彼女からすれば嘲笑の対象でしかなかったはずだ。

 ――嫉妬なんて、私らしくない……!


 心中でどれだけ叫ぼうと、現実は変えられない。自分の心には嘘を吐けない。それでも彼女はそうせざるを得なかった。

 彼女は無意識のうちに腕を組む。

 交代の時間になって床に就くころになっても、胸に燻ぶるその想いはどうする事も出来ないままだった。


 朱里が目を覚ますと、寧音が隣で気持ちよさそうな寝息を立てていた。離れたところには煉二とナイルの気配がある。二人もまだ寝ているらしい。

 体を起こし、〈ストレージ〉に入れていた水で顔を洗って寝ぼけた頭を起こす。それから唯一起きている二つの気配の方へ向かった。


「おはよう、朱里」

「朱里ちゃんおはよう」

「おはよう」


 欠伸を噛み殺し、陽菜とは反対側の翔の隣に椅子を出して座る。


「早いね。まだ寝てても良かったのに」


 陽菜が魔道具で温めていたスープを手渡しながら言った。


「ありがとう。一番最初に見張りをしてたから大丈夫よ」


 朱里は人肌より少し暖かいスープに体温が上がり、頭が冴えてくるのを感じた。

 続けてもう数口飲み、ほっと息を吐いてから寝ている間何もなかったかを聞く。


「なんにも無かったよ。帰りもここで休んでいくのが良さそう」

「そう」

 

 朱里は取り出した拳三つ分程のパンと一緒にスープをちびちびと飲みながら、ぼんやりと洞窟内を眺める。昨日と同じように青白い光に照らされた湖面に動くものは無く、静かな時の流れがその場を支配していた。


 その静寂が破られたのは朱里がパンを三分の二ほど食べた頃だった。

 後ろから近づいてくる三人分の足音に振り返り、おはようと告げる。同じように返ってきた朝の挨拶は、眠そうで間延びしたものが一つに普段通りのものが二つであった。

 相変わらずな寧音の様子に、思わず朱里はクスリと笑う。それに合わせ、以前より少し伸びた茶髪が揺れた。


 全員が朝食を終えてすぐ、地底湖を立つ。ここから先は上りになっていることが分かっていた。

 時折現れる急な坂。頂上付近の見通しは悪く、魔物の奇襲が恐ろしい。しかし彼女らの祈りが届いたのか、未だそのような事は無かった。

 所々魔除け光石の光っているのが見えるが、【調停者】の中でも特に強力な存在の住処に近づいている以上それの効果は期待していなかった。このような魔素濃度の高い場所にはそれだけ強力な存在が生まれやすい。


「この先、何体かいるね。Bランクが……三かな?」


 それぞれに首肯だけして武器を取り出し、足を進める。連携上の言葉しか交わさない時間は、朱里にとっても有難かった。

 見つけたのは蜥蜴型の魔物で、気づかれる前に魔法でさっくりと処理をした。


「みんな、いっそう気を引き締めるよ」


 魔物の死体を〈ストレージ〉に収めながら翔が言った。Bランクが出てきたという事は、魔除け光石の効果が消えた事を意味していた。


 やや歩みを緩め、更に進むこと三時間。広場で一度休憩を取ることになった。

 集中して出来る限り遠くまで探ってみても、魔物の気配は感じられない。朱里は気を緩め切らないまま息を吐き、水分を取ることにした。

 彼女の目の端に、触れてしまいそうな程近い距離で言葉を交わす翔と陽菜の姿が映った。漸く消え去ろうとしていた心の雲が、再び厚みを増す。その光景を、これ以上見ていたくなかった。


「この辺りには魔物の気配が無いみたいだし、ちょっと先まで行って調べてくるわ」


 槍を取り出しながら言う。偵察自体は重要な事だったので、翔は特に反対しない。

 内心安堵しながら、誰かついて来てちょうだいと同行者を募集した。動機はこの場を離れたいという感情的なものだったが、今の彼女にも単独行動を避けるくらいの理性はあった。


「あ、なら私も行くよ!」


 朱里からすれば意外なことに、真っ先に同行を申し出たのは陽菜だった。一瞬言葉に詰まる。


「……ええ。なら行きましょ。ナイルさん、こっちで良かったですよね?」


 広場から伸びる道の一つを指さしながら聞くと、ナイルは地図をちらとだけ見て肯定した。


 長物を武器とする二人だったが、陽菜は魔法もそれなりに使えるという事で朱里が先頭を行く。それほど離れるつもりは無かったため、一つ目の分岐までにしようという話になった。

 しかし中々分かれ道が見えてこない。既に十分近く歩いていた。

 ――これは、この辺りで引き返した方がいい?


 後ろを歩く陽菜にそう提案しようとした時だった。

 前方に分岐路が見えた。


「あそこまで行ったら戻りましょ」

「うん、そうだね」


 その分岐路は今まで歩いていた道に対して直角に近い角度で左右に伸びており、見えていた壁までの距離から想定していた以上に近い位置にあった。

 そして正面にあるのは、大きな穴だ。それは底が見えない程に暗くて、深い。


「先の方を集中的に探るから、近くの警戒をお願い」

「わかった」


 一言断ってから察知系のスキルに集中する。しかし生命の気配は感じられない。少なくとも、生きた魔物はいないらしい。

 ――不死者アンデツド系の魔物がいたらもっと空気が淀むはずだし、そっちも考えなくていいか。


「暫く魔物はいないみたいね」

「そっか。ありがとう。……それにしても、この穴深いね……」


 見ると、陽菜が神妙な顔で縁から穴の底をのぞき込んでいた。その背中は酷く不用意で、少し手を伸ばせば簡単に触れられそうだった。

 ――もし……、もし今陽菜の背中を押したら……。


 そこまで考えて、ハッとした。朱里は出しかけていた手と足を戻し、深呼吸をする。

 ――今私は何を考えていたの……!? そんなこと、ダメに決まってるじゃない……!


 心の内で己を罵り、もう一度深く息を吸ってからそうねと返事した。


「他のみんなにも注意しておかないとだね」

「ええ。それじゃあ、そろそろ戻りましょ」

「うん」


 来た道を戻る途中、朱里はどうにか強張った自分の表情を戻した。しかしその胸に刺さった棘が抜ける事は無かった。


 

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