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十分ほど暴れまわると各天幕へ火を放ち、馬を人数分連れ出す。騎獣として飼いならされた一本角の魔物だ。乗馬訓練は法王国時代に受けていた。
夜の闇の中、月明りを頼りに二つ目の戦場を目指す。明々と平野を照らす月が翔の横顔を浮かび上がらせた。
「翔、気を張りすぎだ。次の戦場はまだ遠いぞ」
「……うん」
一瞬月に雲が懸かり、彼らの顔を隠す。再び照らされた翔の顔は、いつもの柔らかさを取り戻していた。
一方の空が薄く白み、雲が紫だった頃、見覚えのある天幕の姿が四人の視界に入った。翔が速度を上げる。
「……もう戦いは始まっているみたいね」
戦場になる辺りには最近に地面の抉れた跡や折れた剣など、戦いの形跡がいくつも残っている。
――対魔法障壁は無し、か。
「……今回は先に騎士たちを無力化しよう。ちょっと魔力を余計に使うけど、陣地丸ごと真空に近い状態にしたらいけるはず」
気配の探れる距離まで来た翔は、『アーカウラ』の人々が魔力などで地球の人間より身体的に強いことを加味して、そう指示を出した。三人に異論はない。
「じゃあ私は、結界係ですねー」
「うん。俺と煉二で空気を抜く。準備している間に、朱里は寧音に皆のいる天幕を教えて」
わかった、と頷く朱里。四人は馬の足を止め、すぐに行動に移った。
翔、煉二は術式の構築を始め、朱里が気配を探る。寧音はとりあえずと陣地全体を囲う障壁を張った。魔導スキルを使い熟せるようになったからこそ可能な大規模結界だ。
閉じ込められたことに気が付いたのか、陣地内が騒がしくなる。
「いた。一番外側、右手の方にある灰色っぽいやつ。でも、これって……」
「これですかー?」
「……あ、そう。それ」
その天幕を新たな結界で囲むことで寧音は朱里に確認をとる。朱里の肯定の返事を受けて、寧音はその天幕だけを効果範囲から除外した。
「煉二君、翔君、こっちは準備オーケーですよー」
「わかった。煉二、いくよ」
「ああ」
二人の魔力を受け、土属性の力が結界内の空気に作用する。操作された空気は結界の頂点に設けられた通気口からどんどん排出されていく。軽いものが風に巻き上げられる様は、まるで掃除機に吸い寄せられているようだ。必要な量の空気を排するのにかかった時間は、十分ほどだった。
「もういいよ」
「はいー。上閉じちゃいますねー」
通気口が閉じられ、陣地内は外界から完全に遮断される。
「……ふう、上手くいったね」
「だな。やはり法王国には碌な魔法の使い手がいないという事か」
今回翔たちがとった方法。それは本来、簡単に通用するものではない。多少魔力の感知能力に長けた者がいれば、事前に結界の発動を知って破壊する用意を整えられていただろうし、そもそも対抗する防護結界が施されている筈なのだ。後者が無かったのは、指揮官が長期戦に備え兵站の節約を指示していた為だったのだが、今回はそれが翔たちに味方した。
何にせよ、圧倒的な実力差があることは明白だった。
「それじゃあ、皆のところに急ごうか」
馬に再度跨り、結界の範囲外にある天幕を目指す。天幕に着くと同時に結界の方には通気孔が設けられた。誰も悲しませないため、というアルジェに告げた翔の言葉には、法王国の無辜の市民や騎士たちも含まれていた。
「皆、無事⁉」
最初に天幕へ入ったのは、足の一番早い朱里だった。翔、煉二、寧音の順で続く。
「朱里⁉ 会長たちも! 無事だったんだね!」
「翔、良かった……!」
最初に声を上げたのは朱里の友人の一人だった。彼女は朱里に駆け寄り、ハグをして再会を喜ぶ。彼女たちは既に騙されていたと知っているらしく、四人の健在な様子を喜んだ。
「助けに来ましたよー!」
寧音の変わらぬ様子に緊張が緩んだのか、何人かは涙を流す。煉二はそんな彼らにアルジェ達の事を告げ、彼女たちの待つ森まで急ぐように言った。
「わかった。四人とも、助かったよ。ありがとう……!」
「羽衣さん、今度甘いものを御馳走するね!」
わー、ありがとうございますー、と飛び跳ねて喜ぶ寧音。煉二も、改めて友人たちと再会を喜び合いながら、恋人の様子に頬を緩めている。
そんな中、翔はキョロキョロと天幕の内を見渡していた。
――いない……。
翔は胸騒ぎを覚えていた。この日、前の戦場を飛び出してからずっと。
「翔ぅ! この恩は忘れねーからな!」
翔と仲の良い男子生徒が彼の片へ腕を回す。その腕を掴んで、翔は聞いた。
「……ねえ、祐介と音成さんはどこ?」
友人の体が強張ったのを翔は見逃さなかった。彼だけではない。その場にいた『防衛戦役』の全員が動きを止め、表情に影を落とす。その中には朱里も含まれていた。
無言で彼らを見つめる翔の視線は不安で揺れ動き、答えを求めてクラスメイト達の間を彷徨う。それに耐えかねたのか、何人かがちらとカーテンで区切られた先を見た。
翔は無言で歩き出す。
「し、思導君……」
「邦護は! 邦護は……」
声をかけてきた朱里の友人たちには目も向けず、そのカーテンの奥を目指して進む。彼を目で追う者、俯き歯を食いしばる者、彼らの反応は、その先にある暗い現実を如実に表していた。
どんどん早くなっていく鼓動に足を止めそうになりながら、翔はカーテンに手をかける。そしてそのまま、一息に開いた。
「…………翔、君?」
「音成さん……」
彼女は他の面々同様に見慣れた鎧を身に纏い、地面に座り込んでいた。違いがあるとすれば、彼女の鎧は土に汚れたままになっている事か。その頬には、一筋に流れるような土の跡が残っている。傍らにあったのは、溶かされて大穴の開いた、白い大楯だ。
「音成さん、無事でよかった。……祐介は?」
翔は香の向こう側を見て聞く。彼女は、答えようとしないまま、視線を元に戻す。その先には、ボロボロの鎧下に身を包む、翔もよくよく見慣れた誰かが寝かされていた。
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