君の為に翔ける箱庭世界

――神々は彼らを役者に選んだ
かかみ かろ
かかみ かろ

第六十四話 紅舞い散る

公開日時: 2022年1月3日(月) 00:45
文字数:4,921

日曜中に間に合わず。

「朱里っ!」


 彼女の耳に、自分の名を呼ぶ声が聞こえた。それによって自分がまだ生きていることを自覚するが、同時に、逃れ得ない苦痛に意識を飛ばしそうになる。その意識をつなぎ止めたのもまた、耐えがたい痛みだった。


「朱里ちゃん!」


 真っ暗だった朱里の視界に光が映った。寧音が障壁を使って氷をどかしたのだ。礼を言おうとして、しかし痛みがそれを遮る。声を発そうにも、出来なかった。


「全身の骨が……。砕けている所もありますねー。でも、これなら治せますー!」


 寧音の言葉に翔が頷き、陽菜を見る。

 

「陽菜! 足止め!」

「うん!」


 言葉少なに告げられたそれは、寧音への指示でもあった。それを正しく読み取った彼女は血塗れになって横たわる軍服姿の友人を抱きしめ、自らに与えられたユニークスキル〈天衣抱擁てんいほうよう〉を発動する。柔らかな光に包まれると同時に、朱里は全身の痛みが瞬く間に消えていくのを感じた。

 ――これが寧音のユニークスキル。凄い……。


 朱里が〈天衣抱擁〉を受けたのはこれが初めてだ。その力に感嘆の息を漏らす。痛みは無い。それを確認し、朱里は立ち上がった。

 ――これなら、いける!


「寧音、ありがとう。もうだいじょ、煉二!」


 再び〈神狼穿空〉の溜めに入ろうと試しの蒼竜を見て、気が付いた。彼の竜が真っ直ぐと魔力を高める煉二を睨んでいることに。

 寧音がそれに気が付き、障壁を張るのと再び竜の権能が暴威を振るうのは殆ど同時だった。

 それまで翔や陽菜へ向けて幾度もブレスを放った後だ。それを十分に防げるはずだった五重の障壁を貫通し、煉二の咄嗟に放った〈雷矢〉の魔法ごと彼を飲み込んだ。更に、蒼竜は首を振って朱里と寧音をも飲み込もうとする。

 二人は追加で張られた五枚の障壁と咄嗟の〈神狼穿空〉によって辛うじて被害を免れた。威力の減衰した破壊の一撃は空間を断つ力によって二つに分かたれ、真後ろを除く背後の森を消した飛ばした。そして光が収まった時、彼女らが見たのは杖で身体を支える満身創痍の仲間の姿だった。

 もしも彼女らが、水のブレスと竜の権能のブレスの違いに気が付けていたならば、こうはならなかった。しかし現実は甘くない。余りに傷ついた煉二の姿に、寧音は走り出そうとする。


「煉二君、今行きます!」

「か、構うな! 朱里、〈神狼穿空〉を用意しろ!」


 彼の足元に出来た血だまりに顔を顰めながらも寧音は彼の意思を尊重した。せめてもと遠距離で出来る精一杯の治療を施し、忌々し気に朱里や翔、陽菜を睨む蒼竜へと意識を戻す。蒼竜は空へ逃れようとするところを翔と陽菜に妨害されて苛立っているようだった。

 それはつまり、朱里の槍が纏う銀光に脅威を感じているという事の証左でもあった。


 蒼竜はその巨体をその場で回転させ、翔と陽菜に距離をとらせる。それから周囲へ氷の槍をばらまき、どうにか浮かび上がろうとした。しかしブレスの後は反動が大きいのか、生み出された槍の数は最初よりも圧倒的に少ない。それでは翔たちを止めることが出来るはずもなく、不壊の白剣と予備の薙刀がヒレのような両腕を地面に縫いつけた。

 そうしている間にも朱里の銀光はドンドンと強くなっていく。それを守る寧音も本気のブレスでなければ十分に防げるだけ魔力を高めていた。


 蒼竜も馬鹿ではない。未だ反動の抜けない現状、朱里を直接妨害するのは難しい。代わりに目を付けたのは、満身創痍よりはマシといった状態の煉二だった。

 蒼竜は首を少し仰け反らせ、その真っ赤な瞳で煉二に狙いを定める。と同時に、朱里からも意識を逸らさない。もし寧音が煉二を守りに走れば、迷いなく朱里を攻撃するつもりだった。


「っ……!」


 それが分かって、寧音は迷う。最愛の人の安全と、彼を危険に晒した上での確実な勝利。つい先ほどと微妙に異なる状況で、生徒会長というリーダーの経験もある彼女はその二つを天秤にかけてしまった。煉二と朱里の顔を交互に見る。その間にも、蒼竜の口腔に込められる魔力はどんどん膨れ上がっていく。陽菜や翔が魔法で頭を攻撃するも、竜は意に介さない。


「俺の事は心配するな!」


 深紅の双眸を睨み返しながら詠唱を続けていた彼が、振り返って叫んだ。寧音の様子を見ていたかのようなタイミングだ。

 その目に映る力強い光を見て、寧音は頷く。こんな時ではあったが、朱里は二人のその信頼を、関係を羨ましく思ってしまった。

 ――それは後よ。今は目の前の敵!


 今や星見の池の一角を明々と照らすほどに強くなった空間属性の魔力光。それでもまだ足りない。伝聞と経験から知る竜の生命力に、先ほど斬り付けた時に感じた手ごたえ。その両者がもっと溜めろと朱里へ告げる。

 蒼竜の狙いは一撃で自信を殺し得る朱里と煉二を討ち、短期決戦を潰す事に違いない。長期戦は試しの蒼竜が圧倒的に優位なのは両者が理解しているところだ。だからこそ、蒼竜は無理にでも二人を落とそうとしていた。


 まず動いたのは蒼竜だった。

 これまでで最大の溜めによる水のブレスが大きく開かれた竜の口内より放たれ、煉二を穿とうとする。それに一瞬遅れ、煉二が詠唱を完了させた。


「――我が祈りを糧にその怒号を解き放たれよ。[凍雷万招]!」


 星空に彼の声が響くと、そびえ立つ試練へ向けて構えられた黒杖の前方に青白い魔法陣が展開され、畏怖すべき雷帝が顕現する。杖の纏う燐光と同じ青白色の雷霆は幾重にも分かれ、迫りくる死とぶつかった。バチバチと激しくスパークを奔らせ、弾かれたいかずちが周囲をまだらに凍らせる。

 しかしそれも数秒の事。氷とかみなりの性質を併せ持ったその魔法は、水のブレスとの相性が非常に良かった。この試練の内で最大の幸運だ。

 雷霆は激しい圧縮水流とぶつかり合いながらも、その魔素交じりの水を伝って浸食していく。ブレスは見る見る凍り付き、水圧で砕けた。

 徐々にだが、確実に蒼竜へと近づく雷鳴の源。砕けて舞う氷の破片が、焦った深紅の瞳を映す。


 その光景に固唾を飲んでいた寧音がほっと息を漏らす。〈神狼穿空〉の溜めに集中していた朱里の耳にもハッキリと聞こえるほどの大きさだ。


「ッ!」


 何かしらのスキルを使ったのか、一瞬蒼竜の魔力が大きく膨れ上がり、煉二の魔法を押し返した。

 もしも、もう少し早くこれをしていたならば、試しの蒼竜の運命はまた違ったものになっていたかもしれない。それを蒼竜が自覚できたかも定かではない。とにかく、この一手は遅すぎた。

 煉二を心配するあまり狭くなっていた寧音の視野は、つい先ほど前までの光景ですっかり元に戻っていた。ならば寧音が、仲間を〈結界魔導〉で補助するためにを鍛えられた彼女が、その予兆を見逃すはずが無かった。


「させませんよー!」


 そう叫ぶ呼ぶのと同時に寧音は〈神聖魔法〉の秘奥が一つ、[破壊ディアプトラ]を発動した。アルジェに教わった〈神聖魔法〉の中で最大の攻撃力を持つこの魔法は、『破壊』という概念をそのまま形にしてぶつけるものだ。

 込められた力の分だけ対象をへと導くそれは、ただ発動するだけでも膨大な魔力を必要とする。寧音では一撃で殆ど全ての魔力持っていかれてしまい、戦線離脱を免れない。

 それでも、今使うべきだと彼女は確信していた。そう彼女の目が物語っていた。

 輝く闇という矛盾した、しかしある意味で〈神聖魔法〉らしい魔法はバスケットボール大の球状をとって試しの蒼竜へと飛翔する。その危険を知っていても、蒼竜は避けられない。白い杖に縋りつく寧音の視線の先、[破壊]は防御のために上げられた上腕をこの世から消滅させた。


「ァァァァァァァッ!」


 音にならない竜の悲鳴。同時に煉二の魔法が一気に彼の試練を飲み込む。直前で退避していた翔や陽菜からは、蒼竜が雷に焼かれ、凍り付いていく様がよく見えた。


「ちっ。全てを凍らせることは叶わないか。だが」


 息を荒くする煉二の呟きはそれ以上続けられることなく、眼鏡越しの視線で以て朱里へと届けられる。


「ナイス、みんな。行くわ!」


 朱里は収まろうとしている雷雨の中を見つめていた眼を、カッと見開く。そして溜めていた力を解放した。

 銀の閃光に包まれ、試しの竜の目にすら映らない超速で突進した彼女の槍は僅かばかりの抵抗をその手に伝える。限界近くまで溜めて尚抵抗があった事には驚かない。上位竜アークドラゴンとはそう言う存在なのだと、もう知ってしまったから。

 時間にして、瞬きをするのに満たない程度。その間に朱里は蒼竜の後方十メートルほどの所にいた。星夜を昼に変える銀光も既に収まり、辺りを静寂が支配する。振り返ると試しの蒼竜の胴体には大きな穴が開いていた。やや遅れて鮮血が飛び出す。そしてそのまま、蒼い巨体はゆっくりと地面へ倒れ込んでいった。


 ズン、と大地や空気が震え、濃紺の砂が巻き上がる。朱里たちはその様子をじっと見つめて残心していた。

 そのまま数秒。星明かりを同じように反射したまま、蒼竜の身体は動き出す様子が無い。察知系スキルも、それがもう絶命しているのだと告げてくる。


「……勝っ、た?」

「……そのようだ、な」


 どこかまだ信じられない様子で男二人が言葉を交わす。


「……私たち、勝ちましたよー!」

「うん!」


 寧音が疲れを忘れて煉二へ駆け寄り、朱里から少し離れたところで陽菜が頷く。それを聞いて、翔たちもようやく表情を緩めた。そして崩れ落ち、大きく息を吐く。彼らは等しく、満身創痍一歩手前という状態であった。煉二は言わずもがな。翔は全身を打撲しており、彼が身を挺して守っていた陽菜でさえ、その頬から血を流している。唯一目立った怪我の無い寧音も、魔力と気力を使い果たして意識を保つのもぎりぎりという状態だ。


「これで、願いが叶うんだよね?」


 全ての力の源である魂のエネルギーをふり絞ったのか、陽菜の足元も覚束おぼつかない。どうやら一番余裕があるのは自分らしいと知った朱里は、その理由である寧音と〈天衣抱擁〉に感謝しつつ陽菜を支えに向かった。


「陽菜、肩を貸すわ。とりあえず三人の所まで行きましょう」

「うん、そうだね」


 疲れを隠し切れない恋敵の微笑みに、朱里は苦笑いをする。それから胸ポケットに入れていた願いを書いてある紙を取り出して視線を落とした。

 その時だった。

 ふと、海底洞窟に入ったばかりの時の事を思い出した。油断して残心を怠った自分を、陽菜が庇って死にかけた時の事だ。

 ――……一応、もう少し警戒しておきましょう。


 そう思って、視線を倒れ伏した蒼竜へと向けた。

 深紅に燃える双眸が、陽菜を睨んでいた。

 それがどういうことかと思考する間もなく、蒼竜がフラフラと首を仰け反らせ、魔力を高めるのが見える。

 陽菜はまだ気が付いていない。視界の端にいる翔たちも、今ようやく蒼竜へと視線を向けた。

 ――だめ、間に合わない!


 陽菜へ振り返りながらそう悟る。

 しかし、彼女の身体は動き出していた。


「陽菜っ!」


 そう叫んだのが誰だったか、朱里にはわからない。自分の声だったかもしれない。ただ、自分の掌が友人を押す感触だけを自覚した。

 蒼竜の瞳よりも深い赤が飛び散り、彼女の手にあった短冊が、宙に舞う。

 自分の身体が重力に引かれていく最中、友人たちの顔が一気に彼女の脳内を駆け巡り、最後に姉の顔を映した。

 ――お姉ちゃん。ごめん。もう、会えないみたい……。


 ゆっくりになった世界で、目を見開き硬直する陽菜と、蒼竜が同じく力を無くしているのが見えた。

 ――良かった。陽菜は無事ね……。


「朱里ちゃん!」

「朱里!」


 陽菜が倒れ込む彼女を抱きとめた。

 それから、霞む視界に四つの影が映る。


「寧音ちゃん、朱里ちゃんが!」

「分かってます! 分かってますけど、私じゃ、心臓の再生は、無理なんですよぉ!」


 泣きじゃくるような声が聞こえて、朱里はそっと腕を伸ばす。


「陽、菜……。翔の隣には、あなたが、必よ、う、よ……」


 どうにかそれだけ言って、微笑もうとする。掴んだ陽菜の裾が振るえた。上手く微笑めたかは、朱里にはわからなかった。

 ――そう、これでいいの……。


 ぽっかりと穴の開いたはずの胸を、温かいものが埋めてくれる。そんな感覚と共に、朱里は目を閉じる。


「朱里ちゃん……」

 

 星空へ舞った短冊がゆっくりと燃え上がりながら、血だまりへと落ちた。そこには、『大切な人たちが、幸せになりますように』と、そう記されていた。



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