㉓
両膝をつき呆然とする翔と、大きく目を見開いたまま動けない寧音と煉二。その三人の視線の先で、陽菜を飲み込んだ石碑は金色の光となって消える。
広場を、沈黙が支配する。
「……俺のせいだ」
鳥たちの歌も、水の流れる音も、彼の最愛と共に全てが消え去った庭園に、そんな呟きが零れた。
「俺が、陽菜を見たから。俺のせいだ。俺のせいで、俺のせいで陽菜が……」
焦点の合わないままに繰り返される彼の声。
「俺のせいで、また、失って……」
脳裏に浮かぶのは横たわり目を開けない親友と、胸に穴を開けたままほほ笑む戦友。自身の選択と油断の果てに現れた現実。
「翔……」
まだ死んだとは限らない。夢の中で囁かれたような言葉に、彼は生きているとも限らないと胸の内で反論し、静止する。
そのまま動かない翔へかける言葉が見つからず、煉二も寧音も口を開こうとしては閉じるを繰り返す。
「……そうだ、進まないと」
幽鬼のように感情の抜け落ちた声だった。それが翔の声だと二人が認識する間に彼はふらふらと立ち上がり、ゴールへ続く道に足を進める。
「進まないと、ダメなんだ。帰る方法を見つけないと。約束したから」
ぶつぶつと言いながら、ゆらゆら歩く翔の後を二人も慌てて追う。追いかけながら呼びかけても翔の耳に彼らの声は届いていないようで、呟くのを止めない。周囲の警戒をする様子もなく、進まないとと繰り返すばかりだ。
翔と陽菜が互いに依存しているのは煉二たちも気が付いていた。それでも、ここまで不安定になるとは考えていなかった。いや、それでも問題ないと、もしもの時を無意識に考えないようにしていたのだ。
「くそっ、もっと早くに対処すべきだった!」
片鱗は見ていたのだ。儀式を止めるため、法王国に乗り込んだ時に。
悪態を吐きながら、徐々にスピードを上げていく翔を追いかける。
「後悔しても仕方ありませんー。とにかく、今は翔君を落ち着かせないとー!」
「ああ。おい、翔!」
彼は既に煉二たちでは辛い速度で走っており、呼びかける事しかできない。だがそれが翔に届くことのないまま、距離はどんどん離れていく。そして到頭、次の広場が見えてしまった。
煉二たちが前二つと同じような広場につくと、翔が手前の台座に置かれた球体へと手をかざす所だった。
二人は急いで石碑に刻まれた文章に目を通す。
「拙いですー。魔力を捧げないといけないみたいですー!」
「なっ、量次第では死にかねんぞ!?」
魔力は魂のエネルギーと双方向に変異するという特性を持つ。その為、限界を超えて魔力を使うと、魂のエネルギーを急激に変換するために魂の器へ負荷がかかり、最終的に魂そのものが崩壊するかエネルギーの枯渇で死に至る。
【転移者】故に魂のエネルギーを多く保有する翔の場合、エネルギー枯渇はあまり考えなくてよいが、魂の崩壊による死は無視しえないリスクだ。
慌てて翔の魔力を探ると、彼は既に殆どの保有魔力を球体へと注ぎ込んでいた。
「阿呆が! 死にたいのか!」
煉二は相変わらず虚ろな目のまま魔力を注ぎ続ける翔を突き飛ばし、代わりに球体へ手をかざす。
「煉二、邪魔しないで。先に進まないといけないんだ」
魔力の枯渇で青くなった顔のまま、ふらふらと立ち上がり、球体へ近づく翔を、寧音が障壁で拘束する。それから自分も球体に手をかざした。
「翔君はそこで大人しくしててくださいー!」
眦をつり上げ、叫ぶ。その蟀谷には汗が浮かんでいた。
「煉二君、ポーションを飲んでおきましょー。これは思ったより沢山注がないとみたいですからー」
「ああ」
二人が魔力の回復を助けるマナポーションを〈ストレージ〉から取り出して煽っていると、ガラスの割れるようなピキ、という音がした。まさかとその音の出所を見ると、翔が〈限界突破〉の光を放ちながら拘束を抜け出す所だった。
「俺なら大丈夫だから、邪魔しないで」
そう言って彼は球体に近づこうとする。だが、その足取りは危うい。精神的なものとは違った理由で定まらない焦点は二人や球体から少しずれた位置を見ており、危険な状態にあるのは明らかだ。
「邪魔するなら、二人でも許さないよ」
あろうことか、彼は己の剣に手をかけ、二人に殺気を放っていた。その心にあるのは、ただ自分が先へ進むことばかりで、それ以外は彼の目のどこにも映っていない。
「いい加減にしてください!」
ピリピリとした空気に、聞きなれない怒号が木霊した。それに反応して剣を抜きかけた翔は次の瞬間、乾いた音と共に頬に火傷しそうなほどの熱と衝撃を感じた。一瞬停止して再起動しようとした思考は、口にねじ込まれた固い感触で遮られる。
「んぐっ!?」
喉に液体の流れ込む感覚と、独特の味に、それがマナポーションの瓶だと理解する。
「今の翔君になら、素手でも勝てますよ! 辛いのは分かりますが、自暴自棄になられたら迷惑ですー!」
翔は目を白黒とさせながら、どうにかポーションを飲み込み、瓶を抑えたまま手を放してくれない寧音の目を見た。既に〈限界突破〉の光は消えており、呆気にとられていた煉二がほっと息を吐く。
「いいですか、石碑の文章を読み上げますよー? 『果たして神々の願いは叶った。彼女は王の器に足るものとなり、王の魂の下へと誘われる。彼女の魂は偉大なる魂を注がれ、押しつぶされて消え去る筈だった。されど彼女は神々の導きを超え、己の己たる道を残した。神々は王の器たるに相応しい彼女に、共感と慈悲を示し、彼女を彼女足らしめ、その宝を返した』」
寧音は翔の目を見たまま、子どもに言い聞かせるようにゆっくりと、真っ黒な石に刻まれた金色の文字を諳んじた。
「大事なのは、一番最後の文ですー。『神々は王の器たるに相応しい彼女に、共感と慈悲を示し、彼女を彼女足らしめ、その宝を返した』、つまり、生きて【管理者】さんの所に辿り着けば、陽菜ちゃんは戻ってくるんですよー!」
翔の眼が大きく見開かれた。じっと目を逸らさない寧音の瞳の奥にあるものを探るように、彼もまた、寧音をじっと見つめ返す。
「そういう訳ですから、翔君はそこで休んでいてくださいー。魔力枯渇で死なせてしまったなんて言ったら、私たちが陽菜ちゃんに殺されちゃいますからー」
にこっといつもの気の抜けるような笑みを向け、寧音は煉二の所に戻っていく。彼女が再び球体に触れ、魔力を注ぎ始めたのを見て、翔は自分の口に押し込まれたままだったポーションの瓶を抜き取った。
「二人とも、ごめん。俺……」
言いながら俯く翔。
「気にするな。どうぜヒント部分しか見ていなかったのだろう」
「魔力を注ぐってことは『魂を注がれ』で分かりますからねー」
魂のエネルギーと魔力の関係さえ知っていたなら難しい問いではない。だからこそ、彼は先走ってしまったのだろうと、二人は内心で考えていた。
「それより、そろそろですよー」
石碑が白銀色の光を放ったのは、寧音の言い終わるのと同時だった。これまで通り、だんだんと輪郭をぼやけさせて消えていく。
「それじゃあ行きましょうかー」
「ああ」
「うん。……ありがとう」
焦りが、不安が、翔の内から消えたわけではない。ただ、寧音の言葉を信じて、今すべき事をしようと思っただけだった。
――陽菜、どうか無事でいて。
ちょっとしたきっかけで崩れ去ってしまいそうな心を、祈る事でどうにか保つ。同時に寧音と煉二に感謝した。もし二人が居なければ、翔は確実にその魂を崩壊させ、命を失ってしまっていただろう。それが理解できる程度には冷静さを取り戻していた。
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