君の為に翔ける箱庭世界

――神々は彼らを役者に選んだ
かかみ かろ
かかみ かろ

第八十六話 守りたいもの

公開日時: 2022年6月18日(土) 19:45
文字数:4,274

 それからいくつかの扉を抜けた。一度だけ間違えて玄関ホールに戻された時は、石碑の紋章の内上下に伸びる枝が消えており、彼らも少々焦った。しかしその後はどうにか正解の扉だけを選び続けられた。

 そして、もういくつの扉を抜けたのかも分からなくなった頃、それまでとは様相の異なる部屋に辿り着いた。そこには正面に一つ扉がある以外何もなく、部屋自体もこれまでのものより二回りは小さい。両側の壁に目を向けても、明り取りの為の小窓が幾つかずつ並ぶばかりだ。


「この扉、そのまま開くみたいだ」


 何か仕掛けがあると踏んで慎重に手をかけた翔であったが、予想に反してあっさりと開き、そのまま何か起きる様子はない。少し開いた状態でしばらく待ってみてもそれは変わらず、先の言葉を仲間たちに伝えた。


「開けるよ」


 三人に警戒を促すと、勢いよく扉を開き、その影に身を隠す。しかし、やはりと言うべきか、襲撃や罠はなく、ただ差し込んできた光に目を細めた。

 一瞬だけ眩んだ目を開けると、そこには高い生垣と石と水とで作られた西洋風の庭園が広がっていた。相変わらず魔物の気配は無いが、生垣に視界を遮られ、奥の方は見えない。扉から出て左右を見ても、水路の先は低い生垣、芝生と来てすぐに宮殿の壁にぶつかってしまう。


「中庭、か?」

「そうみたい、だね。翔君、そっちはどうなってる?」


 陽菜の声に翔は、生垣で作られた通路から視線を扉の方に戻した。


「たぶん、迷路になってる」

「んー、とりあえずー、【魔王】様クイズ大会は終わりってことなんですかねー」


 いつもの間延びした口調だが、翔にはどうかそうであって欲しいという言葉が聞こえてくるようであった。翔自身がそう思っているから、と言われても否定できないような感覚的な話ではある。が、彼が確信を持ってそうだと言い切れるくらいには、精神の削られるものであったのだ。


「……ここでも道を間違えたら最初のホールに戻されるなんてこと、ないよね?」

「無いと願いたいですねー」


 翔と煉二は陽菜たちのやり取りに首肯で同意を示す。もし次に戻されると何があるか分からないのだから当然だ。


「ヒントらしきものは無いし、大丈夫だと思う」


 実際そう考える他ないというのが現状だ。そこに留まっていて何かが変わるわけでもなく、ならば進むしかないのだが、翔たちにはその生垣の迷路が、庭園の明るさに反して暗闇の内にあるように感じられた。


「……行こう」

「うん」


 少し間があって、翔が言う。

 幸い食料は豊富にある。多少彷徨う分には問題ないだろう。


「行き止まりなら戻ることにして、分かれ道は全部右に行きましょうー」

「そうだね。時間はかかるかもしれないけど、食料は十分にあるんだから闇雲に進むよりはいいと思う。翔君、煉二君、それでいい?」

「うん」

「ああ」


 またホールに戻される事は無いという前提の提案だった。

 不安が消えたわけではないが、四人は罠を警戒しながら生垣の通路を進んでいく。白い石の床の左右に水路が通っているのは入り口付近と同じで、光源が見当たらないにも拘らず不思議と明るい。こんな状況でなければデートに来てもよさそうだ、などと翔が考えているのは、現実逃避の為でもあった。


「戻されるのは無さそう、だね?」


 陽菜がそんな声を漏らしたのは三十分ほど経った頃だ。


「そうですねー」


 寧音の空気が抜けるような声を合図に、全員がため息を吐く。予断の許されない迷宮の中ではあるが、いつまでも緊張したままというのは限界があった。

 そうして力を抜いて、初めてどれだけ自分たちの身体に力が入っていたかを知る。

 ――こんなに緊張してたのか。もし魔物が出てたら危なかったな……。


 自覚してしまえば多少肩の力を抜くのは難しくない。その為の方法も、アルジェから教わっていた。自然と彼らの頬が緩み、周囲の解像度が上がる。

 とは言え、まだまだ緊張状態は続いたままだ。翔はより一層分かるようになった周囲の状況に意識を移し、それから一つ頷く。


「このあたりで少し休憩しようか」

「賛成ですー。お腹すきましたー!」

「ああ、いいと思うぞ」


 床に印を作って進行方向を記録してから、彼らはその場に腰を下ろした。不測の事態に対応できるよう注意はした上でだが、今回は全員が一緒に軽食をとる。


「あ、これ美味しい」

「アルティカさんお気に入りのお菓子だったっけ。翔君、私にも一つちょうだい」

「あ、私も欲しいですー」

「俺も貰おう」


 翔の取り出したのは紅茶の香りのするクッキーで、スズネが初めてお菓子を作った時のレシピだ。彼女たちの地球での母親と共に作ったらしく、今では数少ない両親を思い出させるものなのだと聞いた覚えが彼らにはあった。


「美味しいですねー。さすがスズさんですー!」

「ああ」


 三人も同様に舌鼓を打ち、満足げに顔をほころばせる。次々と伸ばされる手を見て、翔は追加のクッキーを取り出した。


「だが、こればかり食べているとすぐに喉が渇いてしまうな」

「これに使われてるのと同じ茶葉も貰ってるけど、淹れよっか?」

「いいね。俺はお願いしようかな」


 翔に続いて全員が賛同したので、陽菜は少し大きめのティーポットを取り出してお湯の用意を始めた。慣れた手つきなのは、転移以前から彼女が好んで紅茶や煎茶を飲んでいたからだ。こちらは祖母から教わっており、時々一緒に話を聞いていた翔も当時の事を思い出していた。

 石と生垣と水とで作られた庭園で焼き菓子や紅茶を楽しむ。字面だけを見れば優雅なひと時であり、翔自身、そこが死と隣り合わせの迷宮だという事を忘れかけてしまう。これで鳥の鳴き声でもしようものなら、昼下がりのティータイムとしか思えなかっただろう。

 冷静な部分でこんなに寛いでいていいのだろうかと考えつつも、楽し気にお茶の用意をする陽菜やクッキーを頬張る友人たちを見ていると、凝り固まった心が和らいでいくのを感じる。


「家族、か。お母さんたち、どうしてるかな?」


 翔が辺りに漂い始めた紅茶の香りを楽しんでいると、陽菜がそんな声を漏らした。

 

「陽菜の所はおじさんが大変なことになってそうだよね。おばさんは、それを見て逆に落ち着いてると思う」

「あはは、いつもそうだよね」


 特に小学校の帰り道で二人して迷子になった時のことを思い出し、二人は笑う。

 ――あの時は警察沙汰になる寸前だったんだよね。返ったらおじさんが号泣してるのを父さんが宥めてて……懐かしいな。


「二人は幼馴染なんですよねー? いつから一緒なんですかー?」

「えーっと、四歳か五歳くらい、だったかな?」

「うん、それくらいだよ。五歳になる少し前に私がおじいちゃんちに引っ越してきたの」


 その頃より、両親どうしが元々友人関係にだった事もあって二人で遊ぶようになったのだ。他にも遊び仲間はいたが、当時から二人はセットで扱われていた。小学校高学年に上がるころには、二人の交際や結婚について親同士で話がついていたなんて事は、まだ知らされていない。


「じゃあー、もうその頃からお互いの事意識してたんですかー?」

「うーん、私が自覚したのは、中学校を卒業する少し前かな? 一緒にいるのが当たり前すぎて、香ちゃんに言われるまで考えたこともなかったんだよね」

「俺も似たような感じかな? 雄介に言われて、そっか、俺って陽菜のことが好きなんだってなった」


 あまりに翔がはっきり『好き』だなんて言うものだから、陽菜は頬を染め、小さくくねくねしだす。紅茶を淹れている途中だったため、傍で見ている翔としてはティーポットの中身を零さないか気が気ではない。


「一緒にいるのが当たり前とかー、さらって好きだとかー、息をするみたく惚気ますねー。もっとくださいー!」


 目を輝かせ鼻息荒く身を乗り出す彼女に、二人は顔を見合わせて苦笑いする。息のぴったりあったその様子は長年連れ添ったオシドリ夫婦のようで、寧音も満足げだ。


「そういう二人はどうなの? 煉二はあまりそういう話してくれないんだけど」

「私たちですかー? そうですねー、あれは忘れもしません、高二の登校中の事ですー」


 どこか大仰に語り始める寧音に煉二は恥ずかし気に視線を背け、何度か話を聞いていた陽菜はくすくすと笑みを浮かべる。翔はまるで恋愛小説の冒頭のように語られる彼女の話に陽菜の楽しそうな様子の意味を知り、苦笑いした。


「要するに、曲がり角でぶつかった事に運命を感じて告白した、と」

「ちょっと違いますー。ぶつかったのがかっこいい眼鏡男子だったからですー!」


 寧音は強めの口調で訂正するが、大して変わらない。長々と話して、結論がそれなのだからどうしようかとも思った翔だが、彼女があまりに楽しそうに、大事な宝物を見せるように語るものだから止めるに止められず、むしろ彼まで楽しくなってしまった。

 とは言え、思った以上にあんまりな告白の理由に、少し煉二へ憐憫の情を抱いてしまう。


「言っておきますけど、最初だけですからねー? 今はちゃんと、煉二君が煉二君だから好きなんですー」

「ね、寧音っ……!」


 寧音の笑みは本当に輝かんばかりだ。恥ずかしがって止める煉二も、喜びを隠せていない。口の端が上がりそうになるのを必死で我慢しているのが丸分かりで、翔と陽菜はまた、顔を見合わせて笑う。


「それで、煉二君はどうなの? 一人だけ言わないのは無しだよ?」

「なっ、俺は、だな」


 どうにか誤魔化せないかと視線を泳がせる煉二だったが、寧音も含めた三人から機体のこもった眼を向けられては観念するしかない。その端正な顔を少ししかめて、大きなため息を吐くと、視線を朝手の方向に逸らしたままぼそぼそと話し始めた。


「その、だな、一年の時にだな、いつもテストで一位を取るのは、どんなやつなのかと思ってだな、様子を窺っているうちに、気が付いたら、だな……」

「好きになってたんだね! 寧音ちゃん、煉二君、ずっと寧音ちゃんの事見てたんだって!」

「そ、そこまでは言ってないだろう!」

「えへへー。煉二君、もっと早く告白してくれたら良かったですのにー」


 今度は寧音が頬を抑えながらくねくねとしだし、陽菜が楽し気に寧音を揺さぶる。地球にいれば大学生になる歳となった彼女らだが、そういった話が大好物なのは変わらない。そんな恋人の様子に翔は微笑み、煉二もまあいいかと小さくため息を吐いて目を細める。お互いの事を胸を張って好きだといえるのは、ここにいる四人の全員に共通したことだった。


「煉二」

「なんだ」

「絶対、皆で地球に帰ろうね」

「……ああ」


 彼女たちのその笑顔を、これから先も傍で見続けるために。心の内で続けられたその言葉は、言わずとも彼らに共有されていた。



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