⑲
キン、と固いもの同士がぶつかり合う音が響く。
翔は剣を振り切った体勢のまま静止し、星護る霊樹亀も動こうとしない。
どうなったのかと、陽菜たちが固唾をのんで見守る中、その結果は示された。
霊樹亀の身体を構成する巨木が急速に枯れ、塵へとなって消えていく。それはつまり、彼の剣が堅牢な甲羅ごと核を両断したのだと示していた。
「勝った、のか?」
「そうみたい、ですねー」
霊樹亀が完全に塵となっても、煉二たちは実感がわかない。時間が経って徐々に現実を認識し始めると、彼らの全身から力が抜け、その場にへたり込む。
そんな二人が翔へ改めて視線を向けると、陽菜が彼へ駆け寄ったところだった。
「翔君! やったね、私たち、あんな大きな魔物を倒しちゃった! ……って、どうかした?」
「あ、いや、何でもないよ。ただちょっと、何かが掴めた気がしたんだ」
翔は先ほど剣を振るった自身の右手を見つめ、そう答える。そんな翔を見て陽菜は嬉しそうにほほ笑むと、少し離れたところに落ちていた核だったものを拾い上げた。
「奇麗だね。星護石だって。箱庭世界の管理者が住まう宮殿の番人がその核とする、かー」
「へぇ、魔石とは違うんだ」
翔は陽菜から受け取った二つの星護石を上にかざし、黒色の瞳を映す。不思議な力を感じる気もするが、〈鑑定〉しても陽菜の言った以上の情報はわからない。嫌な予感はしなかった為、そのまま〈ストレージ〉にしまうと、寧音と彼女を支えながら近づいてくる煉二を待った。
その後翔たちは入ってきたのと反対側の扉付近で休息をとった。誰もかれもが持てる力をふり絞ったのだ。攻略を続ける余裕はない。異変があればすぐに扉から脱出するつもりだったが、幸いなことに特に何か起きることもなく、十分魔力が回復するくらいの長時間をそこで過ごせた。
「そろそろ行こうか」
「ああ」
各々もう一度装備を確認すると、翔に続いて傍にある門へ歩いていく。この門にも雪蔓の紋章が描かれているが、金色の文字はない。だがしかし、彼らには不思議と不安はなかった。
翔は特に気負うこともなく門に手をかけ、押し開く。向こう側に見えたのは、白と黒を基調として蔓草に飾られた宮殿のホールだった。彼らが宮殿の様式に詳しければ、ロココ様式に近いと感じたかもしれない。
門はホールの中央付近にあるらしく、その内に踏み込むと後方にも宮殿が広がっているのが分かった。
視線を正面に戻せば、奥の方に漆黒の雪蔓の紋章の刻まれた白い石碑が見えた。流れ出る水が窓から差し込む光を反射してきらきらと煌めき、石碑を飾る。その手前には、白い石で出来た腰ほどの高さの台座が一つ。
翔たちは互いに顔を見合わせ頷きあうと、周囲を警戒しながら石碑の方に近づいていく。
魔物の気配は、感じられない。
「静かですねー……」
「うん、そうだね……」
陽菜たちの言うように、水流の音以外には何も聞こえない。四方から差し込む光がただ、宮殿内を美しく照らしている。
その静けさは翔たちが石碑の前まで辿り着いてからも続いた。
「何も起きず、か。薄々感じてはいたが、随分親切な作りになっているのだな」
「そうだね。門の前でも、さっきの部屋でも、十分休憩できるようになってたし」
一応は警戒を続けているが、四人とも、何となくここには魔物がいないという確信があった。それは翔たちの会話に示される内容やこれまでの経験上あるはずの感覚、肌がひりつく様な緊張した空気を感じられないことに由来していた。
「『知恵を示せ』、ですかー。次は謎解きでもするんですかねー?」
寧音の視線は大きな石碑に刻まれた雪蔓の紋章、その右上の枝に向けられていた。やはり金色で記されたその文字は、今回もただそれだけを語る。その石碑の周囲をぐるりと回ってみた翔だが、裏側にも全く同じ内容があるだけで特に変わったものは見受けられない。分かったのは、進むべきは石碑の向こう側にあった扉の先という事だけだ。
「裏も同じ内容だった」
「じゃあ、これを読み解くしかないって事だね」
陽菜が見つめているのは、石碑の前にポツンとあった台座だ。四人でそれを囲み、見覚えのある金で綴られた文章を読む。
『其は世界の柱。王の箱庭の中心にて世界を支える夢世界。其は何処にも繋がっていて、何処にも繋がっていない。其に住まい世界を見守るモノは、偉大なる彼の王に比すればあまりに小さく、しかして箱庭に住まう者からすればあまりに大きい。悠久の王に謁見を望む者よ、望み果たしたくば小世界の主を尋ねよ。王を暇とせぬ限り、汝らが願いは叶えられるだろう。だが努々忘るる事なかれ。矮小なるものが偉大なるものに望むとき、決して傷無きに済むことのあり得ぬことを』
其で示されるものが、今彼らのいる世界樹の迷宮、『クレド宮殿』である事は翔にも分かった。見守るモノや王が示す存在も、箱庭も、その意味を取るには難くない。文章そのものの意味も、当然の如く読み取れた。しかし、それの意図するところが分からない。これをどう謎解きに活かすのかが分からないのは、まだその謎を見ていないのだから当たり前だとしても、行間に隠されている筈の真意を、翔は見つけ出せなかった。
――見守っているのは【管理者】セフィロス、王は【魔王】で間違いない。前に聖国の教会で聞いた神話の通りならだけど。箱庭も、前にアルジェさんがこの世界の事を箱庭世界って言ってるのを聞いたことあるし、アーカウラでいい筈。矮小なるものは、俺たちアーカウラで生きる存在か……。
「小世界とは何のことだ?」
「アーカウラか、この世界樹の中の世界の事じゃないかな」
「地球のある世界のこともありますしー、複数存在する小世界とー、それら全てを含む世界ってとるかー、アーカウラという世界に対する小世界の夢世界、つまりこのクレド宮殿ってとるかのどちらかだと思いますー」
陽菜と寧音の示した考えに、翔は脱帽する。翔は世界樹の中の世界が小世界の示すものだという見方しかできなかったからだ。
――確かに、アーカウラを創造したのも【魔王】じゃなくて【副王】の方だって話だし、同じような世界がいくつもあるなら【魔王】はそれら全ての頂点で一つの世界の主程度に収まらないって見方もできるのか。さすが、万年一位と学年一桁。
今の会話だけで理屈の一部にまで辿り着けた翔も優秀な方ではあるのだが、如何せん、二人が優秀すぎた。特に寧音は学年一位以外を取った事がない強者であり、あのマイペースさで生徒会長として人望を集める傑物だ。比べる対象が悪い。
「ねえ、寧音ちゃん、これって……」
「そうで無いことを祈るしかありませんねー……」
小声で話す二人の声は、翔と煉二には届かない。寧音が二人に気づかれないよう結界を張ったのだ。その意図に気づき、陽菜はごめんと一言。目は、翔の横顔を見ている。
「それにしても、なんでこの文章がここにあるんだろう? 俺たち、【管理者】セフィロスに会いに来てるんだから、【魔王】は関係ないはずだよね?」
「それがヒントなんだとは思うけれど、これだけじゃどう使うかまでは分からないね。翔君、とりあえずこれの写真を撮っておいてくれない?」
それもそうだとカメラを〈ストレージ〉から取り出し、写真に収める。特に問題なく保存されたのを確認すると、再度それを仕舞ってから石碑の向こうの扉を見た。
「行ってみるしかない、よね」
「ああ」
煉二がかぶせ気味に返事をしたのは、ここまでの話についていくので精一杯だったからだが、それを態々指摘するつもりは三人の誰にもない。ただ、率先して歩き出した彼に苦笑いを零すばかりだ。
――反復するのは得意なんだけど、ってそうか。だから〈廻星煌昂〉を貰ったのか。
煉二の後に続きながら、今更ながら自分たちに与えられたユニークギフトについて考える。陽菜の舞に、寧音の抱擁、雄介の障壁、どれをとっても、彼ら彼女らの性質に合わせたものだ。翔自身のそれは、ここ最近の自分の行動を顧みると納得するしかない、と先ほどと同じ笑みを自分に向ける。
――もう少し余裕を持った方がいいのかもね。
しかし言うは易し。ユニークギフトとして現れるほど深く結びついた性質を、簡単に同行できるとは彼も思っていない。これまであまり問題にならなかったのは陽菜がフォローしてくれていたからだと、彼は隣を歩く彼女に感謝した。
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