⑳
白地に金色の線で雪蔓の刻まれた扉を開けると、玄関ホールと同じような意匠の小部屋があった。小部屋と言ってもホールに比べてという話であり、高校の教室より若干狭い程度の広さがある。蔓草が壁や天井を飾っているおかげもあり、色調のわりには圧迫感が少ない。そして翔たちの入ってきたのと反対側には、二つの扉があった。
「どっちかを選んで進めって事か……」
翔は白と黒の二つの扉を交互に見る。それらには金色で目を思わせる模様が描かれていた。白い扉は瞼を開けた状態、黒い扉は閉じた状態だ。
「どっちだと思う?」
「わからん」
煉二はつかつかと黒い扉に歩み寄り、手をかける。
「が、とりあえず開けてみれば良いのではないか?」
そして三人が止める間もなく、その手に力を込めた。
「あ、煉二っ!」
死につながるような最悪の予想もあった。しかしそれが現実に起きることはなく、扉は隠していたその向こう側を露にした。
「……何も見えないな」
胸を撫でおろす仲間たちに気が付かず、彼は奥に広がっていた闇を眺めて首をひねる。普段はもう少し慎重だったからこそ、翔たちは彼の行動を止められなかった。彼が平時に比べて不用心な行動を取った事を含め、気が緩んでいたのだろう。それを自覚し、翔は気を引き締める。
「煉二君、びっくりするじゃないですかー! もう少し慎重に行動してくださいー!」
「あ、ああ。すまない」
素直に謝る彼に、分かればいいと返す寧音だが、まだ少し頬を膨らませたままだ。そんな彼女に袖を掴まれたまま、煉二は困ったように後頭部を掻いた。
犬も食わないやり取りに助け舟を出すか迷った翔だったが、結局放置することに決めて白い扉へ近づいていく。それは両手で押してもびくともしない。
「開かないね。不正解だから開かないのか、片方を開けたから開かないのか……」
「片方を開けてるからだと思うよ。そうじゃないと、知恵を示すような謎解きにならないし」
後ろから聞こえてきた陽菜の声に、それもそうかと翔は考えた。
「入り口も勝手に閉まって開かなくなっちゃってたから、進むしかないね」
つまり、煉二の開けた扉の先の闇に踏み込まなければいけないのだ。スキルを含め、あらゆる感覚が警鐘を告げていない。それでもつい、彼はゴクリと喉を鳴らしてしまう。
「あー、話は聞こえていた。発端の俺から行くのが筋だろう」
放置されたことでどこか恨みがましい目を向けてくる煉二だが、声音は真剣だ。しかしそれは、翔たちを納得させるには不十分な提案だった。どちらにせよ行くしかないとは言え、先に待つものが不明である以上、先頭の危険度は比較的高い。平等にするのなら全員同時だが、扉の幅は四人で入るには狭すぎた。こういう場合、セオリー通りなら前衛の翔か障壁が得意な寧音が行くのがベターだ。
どうにか彼を説得しようと翔が言葉を選んでいると、その前に寧音が口を開いた。
「ダメに決まってますー! 煉二君、この中じゃ一番とっさの防御が苦手じゃないですかー! 行くなら私も一緒ですー!」
「うっ、それはそうだが、だが、しかし……」
実際にそうではあるが、寧音から言われてショックを隠せない。それでも納得せず、煉二は視線を彷徨わせる。それから翔のいる辺りで目を止めると、お前からも言ってくれと言わんばかりに強い眼差しを翔に向けた。
しかし、翔としては寧音に賛成だ。
「そうだね、二人なら余裕をもって通れるし、対応できる状況も広がる。二人とも、気を付けて。数秒後に俺たちも行くから」
「な、おい!」
「はいー、任せてくださいー!」
煉二の抗議は無視をする。まだ何か言いたそうな様子だったが、やがて彼は頭を掻きながら大きくため息を吐くと、扉の方に向き直った。
「寧音、いくぞ」
それから寧音とタイミングを合わせ、闇の中に入っていく。寧音もそれに続くが、彼女だけは身体の半分ほどを入れたところで動きを止めた。
それからすぐに上体を逸らせて顔を出す。
「大丈夫ですよー、二人も来てください」
やけに確信した様子の寧音。翔と陽菜は互いに顔を見合わせ、首をかしげる。その疑問は、闇の中に入ってすぐに分かった。
「ここは、最初の……」
闇は幕のようなものでしかなかったらしく、視界はすぐに明るくなった。見えたのは、つい先ほどまでいた玄関ホールだ。振り返れば、『星護る霊樹亀』と戦った広間に繋がっているはずの門がある。
「正しい道を行かないと無限ループってことだね」
陽菜の言葉に翔は頷く。
――あれ?
ふと、違和感を感じた。奥の方にある石碑が、記憶にあるのと少しだけ違うように感じる。近づいてみると、何が違うのかはすぐに分かった。
「左側の二本が消えてる……」
雪蔓の紋章の左側に伸びていた枝が消えていた。
「これ、たぶん、間違えたからだよね」
「うん。……陽菜、これ、全部消えたら何が起きると思う?」
「分からないけど、少なくともいい事じゃないよ」
一応確認した翔だが、こうして言葉にされると否応なしに緊張は高まる。最低あと一度、多くても二度しか間違えられないのだから、未だ謎の全貌が見えない状態では仕方がない。
「慎重に行こう」
再度、一番奥の扉を開くと、先ほどと同じ部屋があった。都度変わる訳では無さそうだと翔は安堵する。
まっすぐに白い扉へ向かおうとする煉二を止め、翔は二つの扉を見比べる。
――正解はわかってる。問題は、なんで白が正解かだ。
何故上手くいったか分からないのは怖い。再現性が無いからだ。どれだけこのクイズ式の迷路が続くかも分からない以上、再現性の低いまま進むのは自殺行為だった。
「翔君、写真見せてもらっていい?」
「うん」
再度、台座に書かれていた文を読み直す。翔としては、気になる文章が一つだけ。
「やっぱりこの文がヒントだよね」
彼女の指さしたのは、翔の気にしていたのと同じ文章だ。寧音も頷いて同意を示す。
「『悠久の王に謁見を望む者よ、望み果たしたくば小世界の主を尋ねよ』、か……」
口に出してみるが、翔にはそれが何を示しているのか分からない。いや、何となく【管理者】と【魔王】を示す何かがあり、【管理者】を示す方の扉を選べばよいのではないかと気づいていた。だが目の前のそれを両者に結びつけられず、確信が持てないのだ。
その事を共有したところ、寧音や陽菜も同じ考えだと言う返事が返ってきた。
幸い制限時間は無いようで、それを示すものは見えない。その辺りの公平さは、未だ見えた事のない神が相手ではあるが、師を通じた信用があった。
少しして、寧音が分かりましたと声を上げた。
「世界を見守るモノだから【管理者】さんが目を開けている方でー、封印されてずっと眠っていたから【魔王】さんは目を瞑っている方って事じゃないですかねー?」
確かに、聖国の教会で老神官から彼らの聞いた話では、『旧神』たちとの戦いの後【魔王】は眠りに就いていた。赤ん坊同然になってから眠るまでの経緯は翔たちも知らなかったが、今は関係ない。
「ここだけで確定するのは怖いけれど、一旦この見分け方で進んで行くって事でよさそうだね」
仲間たちの肯定を聞きながら、アルジェから色々と聞いておけばよかったと内心で後悔する。しかし後悔先に立たず、今悔やんでも仕方がないと白い扉に手をかけ、押し開いた。そこには白い幕があったが、先ほどと同じ要領で安全を確認してその内へ進む。
あったのは、一つ目と同じような小部屋だ。唯一違うのは二つの扉に描かれているもの。一方はこれまでに何度も見たものだ。
「これは分かり易いな」
「だね」
四人は何の迷いもなく、雪蔓の紋章が記された黒い扉の方へ進んだ。
「あれが【魔王】さんの紋章なんですねー。初めて見たはずなんですが、何だか見覚えがあるんですよねー?」
どこで見たんでしょう、と首をかしげる寧音の言葉が気になって、翔も白い扉へ視線を向ける。三つの三日月に支えられた真円という形の紋章で、真円の内に二枚貝、二つの三日月の内にはそれぞれ門と鍵、不定形の柱があり、もう一つの三日月の内側は塗りつぶされていた。
「たぶん、アルジェさんの城だ」
「あー、うん。私もアルジェさんの城で見た覚えがある。どこにあったかは忘れちゃったけど」
不思議な文様で、アルジェ達に聞いても知らない方が良いとしか言われなかったのを覚えていた。当時は特段気に留めていなかった翔だが、【魔王】を示すものだと知ると、確かに知らなくて良かったと思える。アルジェに聞いた話や先ほどの石板の内容を思うに、あまり関わるべき存在ではないと感じたのだ。
「そうですそうですー! 会議室とアルジェさんの部屋にあんなのがありましたー!」
満足顔で扉を開こうとする寧音を見ながら、翔はふと思った。
――なんでアルジェさんの城にそんなものがあったんだろう? 【調停者】だからかな?
今更何を言われても彼女の事に関しては驚かない自信がある翔だったが、彼女たちは同じ【調停者】のアルティカに比べても神々に近いように感じられて、少し気になった。
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