㉗
[風爆]で砕けた四肢を一瞬で再生した武神の残滓は、隙を晒した愚か者を見逃しはしない。樹人の身体が自然落下を始めたかと思えば、次の瞬間超加速し、翔へ向けて凶刃を振るう。
辛うじて剣を合わせるが防ぎきれずに左腕を深く切り裂かれ、暗い青緑色のシャツが鮮血に染まる。
「くっ……!」
更に武神は上段に振り上げた刀の切っ先を摘まんで引き寄せ、力を溜めた。
――やば、『迦具津血』……!
流れるように放たれたそれは、以前に師より見せられた奥義の一つ。デコピンの要領で振り下ろされる一撃に、どうにか剣で受けた翔の膝が地を打つ。寧音と陽菜が咄嗟に張った多重の障壁が無ければ、愛剣が[不壊]の性質を持っていなければ、今の一撃で彼は竹を割るが如く両断されていただろう。
[雷矢]を避けて距離をとる武神の残滓樹を見送りながら目前まで迫った死に冷や汗を流す。
手が震えるのは、強烈な一撃を受け止めた為か。バクバクと鳴って煩い心臓を深呼吸で無理やり沈め、剣を握りなおして樹人を睨む。
視線の先で樹人は陽菜の追い打ちを舞う葉のように躱し、時折剣閃を閃かせては彼女へ血化粧を施していた。
――陽菜っ!
「はぁっ!」
これ以上傷付けさせてなるものかと敢えて声を発し、切りかかる。
互いを良く知る二人の連携は見事なもので、アイコンタクトすら無しに間断なく斬撃の雨を降らせたが、それでもまだ届かない。避ける動作のままに振るった刀が真空の刃を生み出し、魔法で援護する二人にまで襲いかかる。
――だったら全方位からの同時攻撃!
翔は一瞬のアイコンタクトと魔力を使ったサインで意図を共有すると、すぐさま起点となる[風爆]の魔法を樹人の頭上に発動した。これによって生じる爆風は寧音の障壁によって遮られ、内側へ返って荒れ狂う。流石の樹人もこれには体勢を崩さざるを得なかったようで、刀を杖代わりに床へ突くのが彼らの眼に見えた。
その間に樹人をそれぞれの得意な魔法が幾重にも重なって囲む。そして爆発の影響が消えるのと殆ど同時に、それら全てが牙を剥いた。
雷が爆ぜ、光が瞬く。
魔法の発する閃光に自分たちの目も眩む中、翔は頼むから効いていてくれと祈り、追い打ちをかける準備をして視界が回復するのを待つ。
時間にして刹那。体感ではその数倍の時間の経った頃、漸く確認できた樹人の姿は殆ど無傷。打ち刀は砕け、身体の端がいくらか焼け焦げているが、その程度だ。
悪態を吐きたくなるのを堪えて『鎌鼬』を放ち、全速力で距離を詰める。
勢いそのままに放った袈裟切りは当然の如く躱され、振り下ろした剣に合わせて沈み込みながら繰り出した足元を刈る脚撃も、ひょいと跳んだ樹人の足の下を通り過ぎるばかり。
――でも跳ばせた!
空中ならば自由に動けない。その常識に従って狙い撃つ陽菜たち三人の魔法。雷の矢と光の槍が再び雨となって降り注ぐ。
迎え撃つ樹人は着地の間に合わぬままに中空で踊る。素手と刀身のない打ち刀で魔法を受け流す。時には反動で体勢を変えて完全に躱してしまうのだから開いた口が塞がらない。
何故こうも自分の周りの剣士は化け物揃いなのかと、翔は嘗て自らの手で切り伏せた聖騎士団長や師匠達を思う。しかし集中は切らさない。その剣は既に化け物の一人である亡霊へ向けて振り上げられている。
煌々と輝く光は〈限界突破〉した事を示すもので、流石の樹人とて空中で受け流すには無理のある威力を秘めていた。
だがしかし、その一撃は少しばかり遅かった。
いつの間にか再生を終えていた木刀は光り輝く一閃とぶつかると、小気味のいい音と共に弾かれて樹人の体を回転させる。そしてそのまま凶刃へと姿を変え、翔の右腕を切り飛ばした。
「あぁぁぁあああああっ!」
何度も味わった慣れない痛み。吹き出す赤と共に吐き出された悲鳴が木霊する。もう一太刀で彼の命の灯は容易く消されてしまうだろう。
その事実を示すように刃は煌めき、周囲に死の宣告を聞かせる。
「嫌ぁぁぁああああ!!」
確定された未来に陽菜はただ、絶叫する。その未来を覆すには、実力的にも物理的にも遠すぎるのだと、彼女には理解できてしまったから。最愛の彼は彼女にとって半身も同然で、自分の死では無いのに走馬灯を見てしまう。そうして加速された思考の中でどうにか足掻こうとする程に、絶望しかないのだと悟らされる。
それは今まさに死を突きつけられている翔も同じだ。瞳に写る一太刀は美しさすら感じさせながらどんどんと大きくなる。
迫りくる恐怖に全身の力が抜け、膝をつきそうになる。
脳裏を一気に駆け巡るのは、これまでの記憶。最愛の彼女との出会いから始まり、箱庭世界へ召喚された月夜を経て、覚めぬ眠りに着いた親友と戦友の顔が蘇る。
――ダメだ……。まだ、死ねない!
約束をしたのだと、誓ったのだと、声にならぬ声を冷えかけた胸の内に響かせる。
契りを果たせと奮い立たせた心は、彼に与えられた唯一の力に従って、結果を改変する。
脳裏で朱里と祐介が笑った。彼女らは自分たちに向う翔を振り向かせると、背中を押す。死の間際の夢であった筈が、本当に背中を押されたような感覚がして、気が付けば、翔は一歩踏み出していた。
――そう、このタイミング。バンプの要領だ。
いつか祐介が同じバスケ部のクラスメイトにしていたアドバイスを思い出す。二の腕の半ばから先がない右側の肩を突き出し、タックルをするように、全身に力を込めた。
急加速した翔の動きは樹人の意表を突き、その間合いの内側へと踏み込ませる。〈限界突破〉と〈心果一如〉、そして体捌きによって生み出された破壊力は、樹人の胸部を打ち、吹き飛ばす。
どんどん姿の小さくなる死を、彼らは放心して見つめた。
「あ、ひ、陽菜ちゃん、翔君、生きてますよー!」
最初に気を取り直したのは寧音だった。滂沱の涙を流したまま目を見開き固まる陽菜へ呼びかけると、自分のやるべき事を思い出し、慌てて翔へと走り寄る。
「翔、君……?」
「うん、陽菜、ごめん、心配かけて」
フラフラと近づきながら消え入りそうな声で己の名を呼ぶ陽菜に、翔はどうにか気丈な声を返した。未だ心音は周囲の音をかき消さんばかりで、痛みは大量の脂汗を彼に流させている。
「良かった、本当に、良かった……」
彼の胸に手を当て、その熱を確かめた陽菜は、安心して全身の力が抜けたのだろう、崩れ落ちるように膝を折った。慌てて支えようとする翔だが、左腕だけでは上手くいかない。
その様子に、煉二もほっと息を吐く。それから樹人の飛んで行った方を見て、目つきを鋭くした。
「感動の場面に水を差すようで悪いが、まだ終わっていないぞ」
彼の言葉に頷き返すと、翔も同じ方向を見る。
「何か、決心したって顔だね」
まだ少し上ずった声でそう言ったのは涙を袖で拭いながら立ち上がった陽菜だ。
「さすが陽菜。うん、たぶん、いける」
彼の脳裏にあるのは、アルティカの助言と、油断した彼を襲った時の武神の残滓樹の動き。そして、つい先ほど自分が彼の樹人を吹き飛ばした時の事だ。
「皆、今から全力であいつの動きを止めて欲しい。出来るよね?」
「ふん、当然だ」
「もちろん!」
「当たり前ですー。止めるだけなら何にも問題ないですよー!」
でないと次にアルジェさんの屋敷に行ったときどれだけ扱かれるか、そう言って寧音が怯えた声を出す。笑ってしまいたいが、翔たちも同じ未来を幻視して身を震わせる。
最後に再生の度に硬くなっているのかもしれないという情報を共有し、剣を握る手に力を込めた。
「それじゃ、行くよ!」
翔が睨むのは、いつの間にか百メートルに満たない辺りまで近づいていた武神の残滓樹。彼の告げるのに合わせ、それぞれが準備を開始する。
まず動いたのは煉二だ。避けられるものなら避けてみろとばかりに正面から放ったのは、彼の持つ最大範囲の魔法。[水蒸気爆発]の声と共に解き放たれた運動エネルギーが樹人を再び吹き飛ばし、今一度時間を稼ぐ。
心構えの出来たこの一撃では然程距離を開ける事は叶わないが、次の一手までは十分だ。
再び距離を詰めようと走る樹人へ、陽菜と寧音の二人がかりで多重に展開した光の槍が五月雨の如く襲い掛かった。
「なんで速度、落ちないんですかねぇ!」
「でも躱さずに弾く頻度は増えてる! 時間の問題だよ!」
陽菜の言う通り距離のある内は余裕をもって躱していた樹人も、近づくほどに刀で弾く頻度が増える。
「あと五十メートルですー!」
「十分だ!」
未だ少しずつ近づいて来てはいるが、地球の一般人が走る速度。足止めの本命が完成する方が早い。
それを感じ取ったのか、樹人は立て続けに『鎌鼬』を放って無理やりに間を作ると、これまでで最大の威力を秘めた飛ぶ斬撃で以て煉二を害せんとした。
瞬く間に近づく一撃は煉二を死に至らしめるには十分。しかし煉二は動かない。不敵な笑みを浮かべ、詠唱を続けてそれを待ち構える。
直後、現れた三重の障壁。寧音の生み出したそれは三枚目が砕けるのと同時に斬撃を相殺した。
「――汝の怒りを一身に受けるべき者ならば 我が祈りを糧にその怒号を解き放たれよ [凍雷万招]!」
青白く光る魔方陣から放たれた幾条もの雷光は絶対零度の冷気を纏い、敵へと迫る。例え相手が神の名を関する者であろうと、帝は容赦しない。神を地へと墜とし、縫い留めんと、危険を察知して逃げる樹人を追う。
だが流石は武神と呼ばれていた者の残滓か。時にこの凍てつく雷霆すらも切り伏せて、捕まらない。かすめる程度では引きちぎってしまい、尚も近づいてくる。
――やっぱり、やるしかないよね。
翔は、居合の体勢で今持てる全てを剣に込めながら、その様子を見ていた。
技量で大幅に勝る相手なのは、ローズとの模擬戦と同じ。圧倒的に硬く、凄まじい再生能力を持つのは、星護る霊樹亀と同じ。
必要なのはその技量の差を覆す速度と、それに伴う破壊力。これを兼ね備えた技は、川上流の奥義、ただ一つ。
きっかけは、霊樹亀を屠った時に掴んだ。
ピースも揃っている。
――うん、いける!
気が付けば、武神の残滓樹は一息で間合いに入って自分たちの誰かを切り捨てられる距離まで来ていた。
それはつまり、翔の間合いでもあるということ。
「いい加減、捕まってくださいー!」
樹人が一気に最後の距離を詰めようと足に力を込めた瞬間、寧音と陽菜の魔法が間に合った。
瞬間的な重力の増大は達人の感覚をほんのコンマ数秒だけ狂わせ、ついに雷帝の手を届かせた。焼け焦げながら凍りつく樹木の体。だが、やはりと言うべきか、その拘束をも武神は一瞬にして断ち切る。
そう、一瞬だ。
その一瞬を、翔は何よりも求めていた。
氷の戒めを解いてすぐ、樹人は自分が翔を見失ったことに気が付いた。武神の残滓すら虚を突かれたそれは、世界最大国家の、諜報の長から教わった技。完璧からは程遠いが、今この瞬間の最大限の効果を発揮する。
そうして作った十分すぎる隙に、翔は、ふっと全身の力を抜いて、倒れこんだ。
――息抜きも大切、でしたね。アルティカさん。
彼の体は重力に引かれ、地面へ急速に近づいていく。
そして必要な筋肉を魔道で生み出した電気で強化し、緊張させ、一歩を踏み出した。
――川上流 『迅雷』……!!
煌めくのは、彼の限界を超えた、最速の一撃。剣の放つ光はこれまでで一番静かだが、それは威力を示さない。ただ放たれる迫力が、込められた力の大きさの証であり、破壊力を物語る。
それだけではない。
直前に見た武神の動きが手本となって、彼の体になぞらせる。即ち最適解の模倣であり、そうして完成した閃きは、彼史上で最速最強。
その事実を示すように、武神は刀で受ける事すらできず、その身に銀色の一線を刻まれ、別たれて、閃光と共に、弾け飛んだ。
剣を振り切った体勢のまま残心する翔。広間に静寂が訪れるが、誰もが警戒を止めない。そんな彼らの視線の先で、武神の残滓樹の身体が急速に枯れていき、やがて両断された見覚えのある宝石を残した。その戦友の名を思わせる真っ赤な宝石は、誓いを果たした彼らを称えるようにして、静かに光を反射していた。
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