㉗
修行を初めた翌日、一つ目の陽が天頂に差し掛かった頃、青空にピピピピと電子音を思わせるアラームが木霊した。結界内では既に二日分の時間が過ぎ、今は三日目の夕方に中る時間だ。
「今日はここまでね。お風呂へ入ったら夕食にしましょう」
アルジェがそう告げるのと同時に翔たちは倒れこむ。そこは翔たちがアルジェに負けた広場だった。
四人は荒い呼吸を繰り返すばかりで起き上がろうとしない。緩やかに吹く風が彼らの頬を撫でる。
「はぁ、はぁ、はぁ……翔、あんた、何回斬り飛ばされた?」
「……覚えてないけど、左腕だけで、五回は越えてる」
翔は重い左腕を顔の前に持ってきて手を開閉し、それが確かにある事を確認する。翔だけではない。他の三人も四肢に触れ、動かし、それらの存在を確かめた。
「これを、二か月も、続けるのか……」
未だに整えられない息のままに、翔は辟易とした声を漏らした。法王国の儀式予定日までの期間は本来の時の流れで一か月。結界内の時間の流れは約二倍の速さだ。
「少なくとも、死ぬことは無い。いや、許されないというべきか……」
遠い目をする煉二が思い出していたのは、アルジェ達姉妹と従者二人の〈神聖魔法〉。以前翔の腕がアラニアスエイプによって食い千切られた際には数週間をかけ、何度か儀式をすることでやっと完治させていた部位欠損を、彼女たちは一度の[再生]で瞬時に直して見せた。特にアルジェなどは、その超絶技を模擬戦の中で息をするように行うのだから、翔たちに休む間が与えられる事はない。
――コスコルさんが生暖かい目を向けてきた意味がわかったよ……。あの人たちも同じように鍛えられたんだろうなぁ……。
修行が始まってから翔たちは、午前中に基礎訓練をみっちりとやり、昼食後から夕食前までアルジェたちとの模擬戦を繰り返しながら〈身体強化〉の練度を上げていくという一日を繰り返していた。必要な箇所を必要なだけ強化する。それが反射的にできれば各部位を何度も斬り飛ばされたり消し飛ばされたりする事も減る筈だが、未だ三日目。誰一人それができる段階には至っていない。なお、煉二と寧音も〈杖術〉の訓練を受けている。
余談だが、彼らが教わっているのはアルジェがまだ日本人だった頃に学んでいたある古武術の技を、『アーカウラ』の理に合わせて研鑽したものであり、その技を学ぶためだけに全財産を捧げようとする者もいるような術理だ。
「……ふぅ。法王国の訓練が天国に思えるよ」
「ですねー……」
ようやく息を整えられた翔が上体を起こす。他の三人も同様に起き上がり、同意した。
「強くはなってると思うんですけどねー。スキルレベルもぐんぐん上がりますしー」
「怖いくらいに、ね」
朱里の呟きに改めて己のステータスを開き、ため息を漏らす翔。〈剣術〉が〈剣王〉になってから途端に上がらなくなっていたはずのスキルレベルは、この三日で既に一レベル上がっていた。前回は一つレベルを上げるのにひと月を要していたにも拘らずだ。
「しかしそうなると、何故法王国の連中は限界まで訓練するように命令しなかったのかが気になってしまうな」
その方が効率が良さそうだが、そう続ける煉二の疑問に答えたのは、ちょうど水を持ってきたスズネだった。
「隷属状態だと色々効率悪くなるからだと思うよ。少なくとも私の時はそうだった」
彼女は四人に水の入ったペットボトルを配る。これらのペットボトルは翔たちが召喚されると分かった時にアルジェがスキルで作り出したものだ。ちょっとした悪戯だったと当人は言っている。
水を半分ほど一気に飲み干しながら、翔たちは疑問の視線を向ける。
「私があなた達と同じ【転移者】って話はもうしたよね。それだけじゃなくてね、召喚されたのも同じなんだ」
そこまで言って彼女は腰を下ろし、体育座りをした。
「召喚したのは、グロスフィルデ神聖王国」
「それって……」
翔はその名前に覚えがあった。翔だけではない。他の三人もはっとした顔をしてスズネを見る。
「そう。あなた達を召喚したナーヴフィルデ法王国と同じディアスを崇める国で、ディアス教を生んだ国だよ。千年前、お姉ちゃんに滅ぼされたね」
翔たちは驚くより他に無かった。翔の目には微笑んでいるように見えるスズネだが、彼はその奥に何か隠された感情があるのではと考えてしまい、しかしかと言って、何と返すべきか分からずにただ水を口に含む。
そうこうしている内にスズネは続きを話し始めた。
「【勇者】として召喚された私は、あること無いことを吹きこまれて、魔王の討伐に向かわされた」
「魔王……。もしかして」
「うん、お姉ちゃんのことだよ」
本来の魔王はディアス教で神王って言ってる神様の事だけどね、と彼女は付け加える。
「それで、どうしたんですか……?」
「その時は混乱で動けなくなっちゃったから、一旦神聖王国まで連れ帰られたんだけど、動揺して【勇者】の守りが弱くなった私を、あいつらは隷属させた。そして、また、お姉ちゃんと殺し合わされたんだ」
変わらず静かに語るスズネ。しかし両脚を抱えるその手は強く握りしめられており、目付きもどことなく鋭くなっていた。
「お姉ちゃん曰く、その時の私は本来の力の八割も出せていなかったんだって。隷属前と同じ訓練も続けていたけど、スキルはあまり育ってなかったし」
「だから効率が悪いのだ、と」
スズネは頷いて肯定する。
――隷属、か……。陽菜や雄介たちとも、戦わなきゃいけないかもしれないのかな……。
翔はその時を想像し、生唾を飲み込んだ。
朱里がふと、何かに気が付いたような顔をした。
「……もしかしてですけど、アルジェさんが神聖王国を滅ぼしたのって」
「そうだよ。お姉ちゃん、私のことで本気で怒っちゃって、そのまま神聖王国の、この城に乗り込んだんだよ」
彼女は呆れたような口調で、しかし嬉しそうに背後の城を振り返って言った。一国に一人で攻め込むんだから、馬鹿だよね、と笑う彼女の声は幸せそうで、その内心を翔たちにはっきりと伝える。アルジェの居城が元々神聖王国の城だった事は聞いていた。
――陽菜のために、俺はそこまで出来るんだろうか?
翔たちの中でアルジェへの畏敬の念がより大きくなる。そんな四人を見て、スズネは微笑んだ。
「お姉ちゃんはね、私たちのためなら神様にだって戦いを挑む、そんな人なんだよ」
戦闘狂って事もあるんだけど、スズネはそう言って目を細めた。
改めて翔は、自分の恋人や親友たちのことを思い浮かべる。
――キツいなんて言ってられないな。もっと頑張ろう。
「さて、と。そろそろ戻ろうか」
「はい。……あの、もう少し素振りをしてからでもいいですか?」
「私も!」
立ち上がって歩き出そうとするスズネに問うたのは、アルジェへの憧憬が彼らを駆り立てたからだった。先ほどまで倒れこんでいたのが噓のように素早く立ち上がる。
「だーめ! 休むのも修行のうちだよ!」
足を止めずに返され、翔たちは仕方なく彼女に続いた。
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