⑬
四方から突然入ってきた強烈な光。朱里は薄暗い洞窟に慣れた目を細め、掌をかざして影を作った。
徐々に戻っていく視界には、数多の青い星々が輝いている。それらは彼女たちがこれまで見たこともない程に明々と輝く魔除け光石だ。
いや、よく見るとその全てが実像ではない。それらは視界の中央付近を軸にして線対象になっている。下半分は、波一つない鏡のような湖面だった。
「凄い……」
朱里の口からそんな声が漏れた。
再び鮮明な世界を映した目は、眼前に散らばるのが星でなく太陽であったと彼女に知らせた。静かでいて力強い青光は、深く暗い海の底の洞窟を昼間へと変えている。
一切の影が存在しない空間だ。岩肌や水面の各所から伸びる無色透明の柱がシャンデリアのように光を広げ、影を消し去っている。柱は先に行くほど細く、水晶によく似ていた。
その光景は前日の星空から彼女らの心を掠めとるのに何ら不足は無く、翔は依然としてカメラを構えようとしない。
どれほどそうしていただろう。寒々しくも温かいそれから初めに心を取り戻したのは、陽菜だった。名前を呼びながら一人々々の肩を揺すっては大丈夫かと確認し、翔に写真を撮ろうと提案する。
朱里は陽菜に大丈夫だと返してから、そっと翔を見た。一瞬瞳を揺らし、目を伏せる。それから他の仲間たちに目を向けた。
――……皆とこの光景を見れて、良かった。
胸の内でそう呟いた彼女の口角は、僅かに上がっている。視線の先では煉二と寧音は身を寄せ合っていた。
気を取り直し、カメラを〈ストレージ〉へ仕舞った翔からここで休憩していこうという意見が出された。普段街の外で昼食を取る事は少ないが、安全が確保出来ているのだから、軽食くらいは取っても良いだろうという判断をしたらしい。
――翔の言う通り、この先またSランク以上の魔物と戦わないとかもしれないのね……。だったら、
「私は翔に賛成よ」
「私も賛成」
「じゃあ私も賛成しますー」
そう言って女子三人はすぐに賛成した。煉二は寧音が賛成したのだから、と頷いている。いつもの事だとは思いつつ、二人を除く朱里たち三人も苦笑いを禁じ得ない。
護衛としての判断を決め、ナイルにそれでいいかと確認を取ろうとした所で、先に彼から待ったが掛かった。
「皆さんのおかげで日程にはかなり余裕が出来ていますし、折角ですからここで一晩明かして行きませんか?」
それは時間を大切にする商人らしからぬ提案であった。
「いいんですか?」
「はい。せっかくこのような所に来たのですから」
偶には良いでしょう、と続けたナイルに翔が訝し気な雰囲気を消し、礼を言う。朱里としては願ったり叶ったりだった。
気持ち軽くなった足取りのまま野営に丁度いい場所を探す。ふと視界に入った陽菜や寧音も、どこか楽し気な雰囲気を纏っていた。
「水が上がってきた跡は無いみたいだね」
「ありがとう陽菜。そうすると、通路の入り口と湖から距離のある壁際ならいいかな」
寝ている間に水位が上がったり鉄砲水が来たりする危険は無さそうだと確認してから改めて周囲を見渡せば、丁度良さそうな空間をいくつか見つけられる。
各々が見つけたそれらを吟味して拠点を選ぶと、まずは腹ごしらえをする事になった。
「翔、陽菜、先に食べちゃっていいわよ」
「なら私と煉二君も後で食べますねー」
全員で食べるとなると、敵が来たときに対応が遅れてしまう。結果として誰かが命を落とすことになりかねない為、食事はタイミングをずらして行う様にしていた。今は強力な魔除けの力の中に入るが、それでも万が一はある。
翔と陽菜は礼を言ってからナイルも食べるよう勧め、自分たちの弁当を取り出した。砂漠の国の風習だと護衛中の食事も冒険者側が自身で用意する。
「翔のそれ、何なの……?」
「え、これ?」
すぐに意識の多くを周囲へ向けたはずの朱里だったが、翔の取り出したものを見てつい聞いてしまった。それは一見すれば炭の塊でしかなく、よくよく見て漸くスパイスのようなものが付いていると分かる物だった。
「黒緋鳥って魔物肉にスパイスを付けて壺窯で焼いた料理だって。お店のおばちゃんは単には壺焼きって言ってたよ」
「タンドリーチキン?」
「ああ、確かに。同じような作り方だね」
それだけ答えると彼は、堪えきれないといった様子で鳥の肉らしい真っ黒な塊へ被りついた。タンドリーチキンならば強い匂いがするはずだが、朱里には感じられない。翔の隣で陽菜が生活魔法と呼ばれるものの一つ、消臭の魔法を使っていた。
――相変わらず気が利く……。そういえば、翔が鳥の肉を食べているところをよく見るわね。
「翔って、鶏肉が好きなの?」
「うん? そうだよ。よくわかったね」
頬張っていた肉を飲み込んでから目を丸くする翔。そんな彼を見て、陽菜がくすくすと笑う。
「だって翔君、この世界でも鳥の肉ばっかり食べてるよ? 朱里ちゃんも気づくよ」
この世界でも。その陽菜の言葉に、彼女が地球にいた頃から、十年以上、翔の事だけを見続けてきたのだと朱里は思い出す。それは朱里の胸中に羨望を生んだ。
翔と陽菜が食べ終わるのを確認すると朱里たちも自分の昼食を取り出して食事に移る。寧音がチーズケーキで、煉二がカレー、朱里は鶏肉を挟んだサンドイッチだった。因みに陽菜も卵のサンドイッチだ。
「そういえばー、ナイルさんの願い事って何なんですかー?」
「ちょっと、寧音っ!?」
未だ干し肉とスープを口に運んでいたナイルへ、唐突にそんな質問が投げかけられる。
朱里は焦って声をかけ、他の面々もぎょっとした顔を寧音へと向けた。今回の目的地が願いを叶えてくれる伝説の場所というからには、当然ナイルも何かしらの願いを持っている筈だ。しかし依頼人の個人的な事情を一護衛が探るというのは、冒険者にとっての禁忌事項に触れる事である。朱里たちの反応はごく当たり前のものだった。
だがナイルは気にした様子もなく、少しくらいならいいですよと周囲を宥める。それからゆっくりと、視線を遠くに向けたまま語り始めた。
「私の願いは、父の事ですよ。父にもう一度会いたい。父に喜んでもらいたい。父に、認めて貰いたい。それだけです」
今も昔もね、と続け彼は干し肉を囓った。それはここまでだと朱里たちに言っているようで、寧音でさえ、次の言葉を口にできない。朱里たちは仕方なしに食事を再開し、翔と陽菜は周囲の警戒に意識を戻した。
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