君の為に翔ける箱庭世界

――神々は彼らを役者に選んだ
かかみ かろ
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第七十三話 煉二の大好物

公開日時: 2022年5月1日(日) 06:06
文字数:3,854

 陽菜と寧音の目的の品をどうにか手に入れ、アルティカ達二人の勝負にも決着がついた後、彼らは更にいくつかの遊戯を楽しんだ。ホクホク顔なのは大きなぬいぐるみを抱える寧音と、勝負に勝ったアルティカだ。女王と他国の公爵、それに見慣れない『人族』の冒険者達という不思議な一行は街の人々の目を引かないはずが無く、今もちらちらと視線を向けられている。そんな視線の主たちがお辞儀をするにとどめてすぐに自分たちの時間に戻るのは、慣れによるものなのだろう。子どもたちがアルティカに向かって笑顔で手を振り、それを大人たちは微笑まし気に見ているあたり、少なくとも慕われてはいるように見えた。


「さすがにお腹が空いて来たわね」


 最初にそう切り出したのはローズだった。彼女はお腹に片手を当てながら、周囲に視線を走らせる。


「そうですね、俺もお腹が空きました」


 翔が同意すれば、他の面々も同様に続いた。昼食には遅いが、夕食にはいくらか早い時間帯だ。


「食べ物系はあっちの方に固まってる筈ね。行ってみましょ。あ、ローズちゃん、さっき私が勝ったんだし、何か奢ってね?」

「まあ、それくらいなら……」


 思った以上に庶民的に見える二人に、翔たちは親近感を抱く。ローズはそういう一族で有名なリベルティア王家出身だからで、アルティカは絶対的な強者かつ元冒険者という経歴に由来するものだったが、それは翔たちの知る所ではない。

 上機嫌なアルティカの先導のもと向かった区画、それが近いと最も先に気が付いたのは、珍しいことに煉二だった。彼は鼻をひくつかせ、少しだけ前を歩いていた翔に並んだ。


「もうすぐ目的の場所らしいな」

「そうなんですか?」

「ええ。でもよくわかったわね? というか、こういう時真っ先に気づくのは寧音ちゃんだと思ってたわ」

「どういうことですかー! いくらアルティカ様でも怒りますよー!」


 ごめんなさいと笑う彼女だが、そう思っていたのは翔も同じだ。彼はそっと視線を寧音から逸らし、彼女の視界から外れようと少し歩く速度を落とした。しかしそんな事をすれば余計に目立ってしまう。寧音が余計にむくれてしまったのは、言うまでもない。


「まったくー。皆私を食いしん坊みたいに言ってー」


 頬を膨らませる寧音だが、否定する者はいない。陽菜でさえ苦笑いするばかりで何も言わないのだから推して知るべしだ。

 そうこうしている内に、周囲に見える出店の比率が一気に食べ物系に偏った。と同時に、何故煉二が真っ先に到着の近いことを知れたかが判明した。


「なるほどー、さすが煉二君ですー」


 翔たちばかり分かったように頷くものだから、目の前の光景に答えがあるのだろうとアルティカとローズが周囲をよくよく観察しだす。


「……もしかして、煉二君、カレーが好きなの?」

「はい、そうです。……異常なくらいに」


 見える範囲だけでも四つはあるカレーの屋台。そこから考えたアルティカの推論を、翔が肯定する。彼は旅の間、行く店のメニューにその類の料理があったなら必ずそれを注文していた。加えて彼の〈ストレージ〉には数年分のカレーが入っている。態々アルジェに頼んで、時間経過をしないよう加工して貰ったものだ。それを頼まれたときのアルジェの表情は翔たちもはっきり覚えている。彼の鬼気迫る土下座を前にしては、彼女も引いた様子を隠しきれなかったらしい。

 その辺りの事情を説明している間に、当の本人は痺れを切らしてしまったようだ。翔の気が付いた時にはもう煉二の姿は見えなかった。寧音もいないので単独行動では無さそうだが、合流手段を決めていなかったのは痛い。その程度には複雑な構造をしている街で、人混みが多かった。


「ん-、まあ、とりあえず何か買いましょ。最悪私が見つけてあげるから」

「わかりました。はぁ……」


 空間系に関してアルジェに並ぶと聞くアルティカならば、限定されたエリアから知人を見つける程度難しくはないだろう。翔はそう考えて、周囲の屋台に目を向けた。


 それから暫くして、翔たちは思い思いの品を手に落ち着いて食べられる場所と煉二達を探す。翔が持っているのは何種類かの串焼きに、麺と肉、野菜などを大きな葉に包んで蒸した蒸しソバだ。蒸しソバはアルティカが勧めたモノで、その場にいる全員が手にしていた。


「あら、探す手間が省けたわね」

「翔、こっちだ!」


 翔がどういう意味かをアルティカへ訪ねる前に聞こえてきたのは、煉二の声。彼は目印に長杖を掲げ、自分の位置を示す。近くまで行くと、テーブルを確保する寧音の姿も見えた。


「すまんな、我慢できなかった」

「まあ、そうなる気はしてたから。はい、これ煉二たちの分」


 開口一番の謝罪に翔は苦笑いを返し、二人に買ってあった蒸しソバを渡す。それから寧音の待つテーブルに向かった。

 そこは街の中心にある大きな広場の一角だった。外周に沿って今翔たちの囲んでいるようなテーブルがいくつも並べられている他はステージ代わりと思しき台があるだけで、屋台の類は見られない。その台は世界樹とは反対側の端にあった。

 木陰に入っているそのテーブルは円形で、六人で囲んでもなおゆとりがある程大きい。煉二はその奥側へ速足で回り込み、さっさと寧音の横の席に着く。その内心を察して足を早めた翔たちも、テーブルの上を見て思わず足を止めてしまった。


「煉二君、そんなに食べられるの?」

「問題ない」


 テーブルの大半を埋め尽くしていたのは、様々な見た目のカレーだ。陽菜が気づかわし気な声をかけるが、当の彼は全く心配していないらしい。そればかりか、目で早く席に着けと促してくるものだから、翔たちとしても再びの苦笑いを禁じ得ない。

 ――まあ、最悪持って帰って食べればいいか。


 翔たちも席に着き、買ってきたものを広げる。翔が端材で作られた割りばしを割る頃には、煉二は一種類目のカレーに舌鼓を打っていた。


「どんな感じ?」


 あまりに彼が美味しそうに食べるものだから、翔もついつい気になってしまう。そうでなくても暴力的なまでの香りが食欲を刺激しているのだ。

 煉二は特にペースを変えることな咀嚼を続け、確かに飲み込んでから口を開いた。


「そうだな、これはコショウの様な辛みが特徴的だ。酸味もやや強めだな。好みの別れる味だが、これはこれで美味いぞ。食べてみるか?」

「いいの?」

「ああ。その為に匙は余分に貰ってある」


 どうやら初めから翔たちにも分けるつもりだったらしい。煉二は〈ストレージ〉から山になるほどの木製スプーンを取り出し、他の面々にも使うように言ってテーブルの中央に置いた。

 そうしている間にも煉二は各種カレーに手を伸ばす。一種類ごとに飲み物を口に含み、スプーンを変えている辺り、彼の本気具合が見える。

 ――ああ、なるほどね。確かにちょっと酸っぱいかも。


「こっちのも食べていい?」

「あ、私もそれ食べてみたいですー」

「ああ。それはかなり辛いから飲み物の用意をしておけ」


 ふと真っ黒なカレーが目についたのだ。先ほどと同じスプーンを使おうとして煉二に睨まれ、新しいスプーンを手に取る。その間に寧音がルーだけを口に運んだ。


「んーっ……!」


 顔を真っ赤にして叫ぶ寧音に、煉二が呆れたような笑みを浮かべながらラッシーのような飲み物を彼女に渡している。コップ一杯分を飲み切ってもまだ辛みが引かないようで、悶え続けていた。

 そんな様子を見せられては、翔の手も止まってしまう。どうしたものかと考えて、結局、怖いもの見たさの好奇心が彼の中で勝ってしまった。

 一応ご飯を多めに掬い、それをじっと見つめる。やや艶やかな黒のそれが、翔には恐ろしい毒薬のようにも見え、ついゴクリと喉をならしてしまった。ちらりと見れば、寧音は涙目を煉二に向けて流石に辛すぎると不満を訴えている。

 再び湧き上がってきた恐怖心。それを無理矢理意識の外に追い出して、彼はそれを口に突っ込んだ。


 途端、吹き出す汗。口の中では地獄の炎が燃え滾り、これでもかと彼の味覚を蹂躙する。辛みは味ではなく痛みだと知識の上では知っていた翔だが、これ以上の実例はないだろうと思わせる程のものだった。

 彼はアラニアスエイプに腕を食い千切られた時よりも痛いかもしれないと、手元に置いておいた飲み物を一気に煽る。それでも地獄の業火が地上の大火災になった程度の変化しかない辺り、これは本当に人間の食べるものなのかと彼が考えてしまったのも無理はない。


「翔君、大丈夫?」


 彼の異変に真っ先に気が付くのはやはり陽菜で、寧音が今飲んでいるものと同じ飲み物を手渡しながら汗をだらだらと流す恋人の顔を覗き込んだ。

 翔はそのラッシーを一気に煽ると、少し咳込んでから大きく息を吐き、事態の原因となったカレーのある辺りをぼんやりと眺める。


「陽菜、ありがとう。ふぅ……」


 彼の視界の端では未だ寧音が悶えており、アルティカやローズが可笑しそうにしながら優しい微笑みを浮かべていた。


「これ、祐介絶対好きなやつだよ」

「あー……。私は食べないでおこうかな」

「うん、それがいい」


 口直しにとアルティカ一押しの蒸しソバを頬張る。それは焼きそばとはまた違った触感で、より麺の香が際立つように感じられた。カレーでピリピリと痺れる舌に野菜や麺の優しい甘みが染みわたり、翔の表情が緩む。彼が横を見ると、陽菜も同じように頬を緩めて蒸しソバを味わっていた。視線に気が付いた陽菜と彼の目が合い、二人は楽し気に微笑む。


「美味しいでしょ、それ」

「はい」

「とっても美味しいです」


 よかった、と笑うアルティカは、翔たちに故郷の祖父母を思い出させた。



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