⑳
二つ目の陽が天頂まで上る頃、朱里たち六人は『風生れの島』に着いて初めての休憩を取ろうとしていた。湿った風が肌を撫で、陽気が頭上から降り注ぐ。それでも朱里の内にある暗雲は張れず、光に照らされることはない。寧ろその陽光から心の奥にあるソレを隠すように、雲は厚みを増した。
少々開けた森の中の広場でいつものように交代で軽食を摂りながら、朱里はちらと陽菜の方を見る。彼女は何か言いたげに朱里を見て、それから目線だけを翔に向けてという事を繰り返していた。
何か言いたげなのは陽菜だけではない。寧音はころころと百面相をしているし、煉二は明らかな非難の目を朱里へ向けていた。それでも煉二が何も言わないのは機会が無いからか、朱里の気持ちもわかるからなのか。朱里にはそれを推し量れない。
そんな空気を察して、翔とナイルが訝し気に視線を合わせていた。
――また偵察にでも行こうかしら……。
彼女は進行方向へ目を向けた。しかし陽菜が話しかけて来ないのは翔を気にしてだとすると、この場を離れるのは得策でないかもしれないと考えて動かない事を選んだ。
居心地の悪い空気が朱里を中心に広がる。それから意識を逸らすようにして彼女は察知系のスキルへと意識を集中した。
「……それじゃあ行こうか」
絡みつくような重たい空気の中、翔が宣言した。これ幸いにと朱里たちは手早く準備を終え、隊列を組み直す。武器を振り回されるだけの間隔を空けて一列に並んでしまえば、意識の多くは自然と周囲への警戒に向けられた。
鬱蒼と茂る木々の隙間を抜け、時折僅かに見える道の痕跡と魔力濃度の差を頼りに森の中を進む。先頭で翔が剣を振るう度、邪魔な枝が地に落ちた。その頻度は、進むほどに高くなる。島の奥へ進むほどに枝葉の隙間は小さくなっていった。
次第に濃くなっていく影に、朱里は不思議な安らぎを感じる。頭上から聞こえる魔物の鳴き声は決して安心出来るものでないはずだが、今はそれ以上に、仲間たちの目が怖かった。
「後ろから何か来る。飛行型。数は多くてわからない」
不意にスキルが捉えた気配に朱里が警告の声を発する。それを受けてそれぞれ散開し、戦闘態勢をとった。朱里はちらとナイルが大木を背にしたのを確認して、気配の方向へ鋭い視線を向ける。
やがて聞こえてきたのは、ブーンという羽音。
――虫系……。厄介ね。
虫型は毒を持っていることが多く、小さな体躯であることも珍しくない。加えて固い外骨格まで持っているそれが高速で飛び回るのだから、面倒な事極まりない。ましてや今は護衛依頼中だ。朱里たちはより一層気を引き締め、近づいてくる気配に集中する。
「寧音、援護はいいから、ナイルさんのガードだけに集中して」
「わかりましたー」
魔力の影響で低木まで生い茂った周囲を一瞬見まわして、翔が言った。シダ植物などだけでも足場が悪くなるのだから、当然の判断だろう。寧音が数歩ナイルの方に下がって魔力の操作を始めた。もう敵の気配はすぐそこだ。
張り詰めた空気の中、朱里が槍を握る手に力を込めた。次の瞬間、木々の枝葉を揺らし、それらは飛び出してきた。
黄土色をした甲殻に、二対の羽、そして人の手ほどの長さがあるハサミ状の顎。一見すれば、それらの姿は巨大なクワガタの様だった。
「ハサミと爪に毒有り! 魔法毒だ!」
翔が叫ぶ。と同時に、寧音が〈結界魔法〉で自分とナイルを囲むように障壁を張った。
まず接敵したのは一番後方にいた朱里だ。槍を袈裟切りに振るい、二体のクワガタ、強襲鍬形へと刃を立てる。遠心力の乗った一撃は一体目の胴と頭部を別けるも、二体目はその甲殻に薄らと傷をつけるのみだ。
「こいつら堅い!」
「朱里、避けて!」
槍を振るった勢いに任せ、朱里はその声に従う。右方へ跳んだ彼女のすぐ脇を通り抜けていったのは、煉二と翔の放った二条の閃光だった。
雷と光に焼かれ、十体ばかりのアサルトバグが地に落ちた。それでも全体から見ればほんの一部に過ぎない。途切れることなく現れる黄土色の雲に、冷や汗が彼女らの蟀谷を伝う。
そのまま四人の隙間を抜けた数匹が寧音の障壁へ突進した。幸いなことに、障壁が揺らぐことは無かったが、寧音の魔力は無限ではない。ただ張り続けるだけなら数時間維持できる。しかし攻撃の衝撃を防いだりその際の綻びを修繕したりしていればそうもいかない。
「陽菜! 攻撃重視で!」
「うん!」
翔が選んだのは短期決戦だった。陽菜が『剣の舞』を踊りだすと、朱里たちの身体に力が溢れてくる。そうして振るった朱里の槍は、一閃で三体のアサルトバグを両断した。
――やっぱり凄い……。だけど……。
陽菜に頼ってしまっている事に、自分より翔の役に立っている事に、朱里は苛立ちを募らせる。後者に関しては、彼女の考えすぎでしかない。それでも、今の彼女はそれに気が付けない。
苛立ちに任せ、朱里は上空へ退避してから旋回してくる黄土色の塊へ向けて銀行を放つ突きを放った。〈神狼穿空〉の力を乗せた『翡翠』は群れのど真ん中を貫き、昆虫の雨を森へと降らせる。しかしそうしてできた穴も直ぐに塞がれてしまった。
――多すぎる!
内心で付いた悪態。その感情に身を任せ、二度目の『翡翠』を空へ向けて放つ。
「な、おい!」
それは同じタイミングで放たれた[雷矢]と衝突し、飲み込んでアサルトバグの群れへ突き刺さった。煉二の魔法に威力をそがれた突きは群れを貫通することなく、生み出した穴も先ほどより小さい。
「っ……! ごめん!」
朱里は奥歯をかみしめ、突撃してきたアサルトバグ達を避けようと斜め後方へと飛んだ。
「えっ!?」
しかしそこには舞を踊る陽菜がいた。咄嗟に陽菜が躱した為に被害は無い。しかし一瞬強化が途切れてしまった。纏めて切り捨てるつもりだった翔の剣は狙ったすべてを打ち取ること叶わず、煉二へ彼の打った魔法を耐えたアサルトバグが迫る。
――あーもう! 何やってるの私!
集中しろと自分に言い聞かせる朱里だが、連携が乱れた理由はそこでない。今のをきっかけにして、彼女らの動きは少しずつズレていく。振るわれた槍と薙刀がぶつかり合い、放った魔法が違いの威力をそぐ。寧音の障壁へアサルトバグの攻撃が当たる頻度も増えた。寧音の表情が、徐々に険しいものとなる。
「寧音さん、マナポーションです!」
「ありがとうございますー!」
視線を向けぬままに寧音は礼を言って薬の入った瓶を受け取り、飲み干した。これで二本目だ。マナポーションは魔力を徐々に回復する薬だが、あまり使いすぎると魔力の生成器官に悪影響を及ぼしかねない。
――私のせいよ。なんとかしないと……!
一連のやり取りを聞いて、朱里は焦燥を強めた。そうなってはもう上手くいくはずが無い。
結局、襲撃を乗り切るまでに寧音にもう一本、ポーションを飲ませることになってしまった。
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