財布なんてないからカバンから無造作に入れてある報奨金を適当に抜き取って、部屋を出た。バーがあるのは食堂近く。設備的に水場とかが一ヵ所に整っていた方がいいのだろう。
六階に着くと学校の教室みたいに小さな看板が上に出ており、すぐにバーだと分かった。
「バー深海(ディープシー)か……確かに船の中にある施設では一番深い場所かもな……」
少し重苦しい扉を開けるとカウンターが見えた。
現世に近い作りで、左に店員、その前にカウンターがあった。十人程度は座れる大きなカウンターだ。それ以外のスペースは広々としたテーブルと椅子が十席程度並んであり、真ん中には少し空間がある。ショーを見せたり、踊ったりするスペースだろう。また、灯りの魔道具の照度に伴い、店全体は薄暗い感じでムードがあった。店内に客はテーブルに数人、カウンターには一人だけだ。
「いらっしゃいませ」
中に入ると店員が話しかけてきた。襟の付いたきっちりとした服装だが、どこかアウトドア感がある。
「あぁ、ひと……」
人数を言いかけた時、カウンターに座っている女性が目に留まった。マリタだ。
「あ、いや。連れだ」
店員にマリタを指差すと、静かに一礼をして下がっていった。俺はそのままマリタの隣へと歩いて行った。
「よう。マリタ、一人か」
頬杖を付きながらゆっくりと俺を見るマリタ。もう、少し酔っている感じだ。
「あら、東陽」
「ハルトトはアレだけど……ファビオは一緒じゃないのか」
「うん、今は一人」
「ここ、いいか」
「えぇ」
俺はマリタの隣に座った。店員が静かに俺の前に立つ。注文を待っているようだ。
「あっメニューある?」
「かしこまりました」
店員はすぐにメニューを持ってきた。中を見ると統一言語が並んでいるが、ぼんやりとしかわからない。
読み書きはまだまだだな。
仕方がないので店員に人気のお酒と水を一緒に持ってきてくれと頼んだ。
「で、どうしたんだ、マリタ」
「ん?」
「何かどっか変だ。ま、言いたくないならいいけど」
「そうかな……」
そういうとマリタは一呼吸置いた。その間に、店員が酒と水、軽いおつまみの小さいナッツを運んできた。片手を上げてありがとうの意志を示すと店員は静かに去っていった。
ウイスキーのようなお酒で香りがいい。一口飲むと、喉元が熱くなった。度数は四十度くらいだろう。キツいので水を飲みながら楽しむしかない。
「クワーッ……結構キツいね……」
「……あのさ、東陽」
「ん?」
マリタは珍しく目線を合わせずに話しかけてきた。
「東陽の世界でこっちの何かを見たことはある?」
「うーん……いや、ないな。まず魔法がない。あと人の姿形がまるで違う。ファビオやハルトトがこっちの世界に来たら大変な騒ぎになるだろうな」
「でもフォウマンなら平気でしょ」
「……そうだな。フォウマンなら俺らと変わらない。向こうに紛れ込んでいたとしてもわからないかもしれない」
「……兄さんが……」
「えっ?」
「……兄さんがそっちの世界に行ってるって事はないかな……」
「……マリタの兄さんがか……わからない。俺がこっちに来たのだって理屈や仕組みがわからないんだから」
「そうよね……うん……」
マリタが寂しそうに下を向く。そして、小さい声で話し始めた。
「……前にウルミ連邦に行った時にね。妙な話を聞いたの」
「ファビオと会った時か」
「……うん、そう。ヒアマ国に神隠しって話があってね……人が消えちゃうんだって」
「神……隠し……こっちでもあるのか……」
「知っているの?」
「うちらの世界だと行方不明になって手がかりがないと、神様が隠したなんて言う事が昔あったんだよ」
「そう! それ!」
マリタが興奮して、前のめりになった。
「落ち着けよ、マリタ。まさか兄さんが神隠しにあったっていうんじゃないだろうな」
「かもしれない……かもしれないのよ……兄さんの足取りはヒアマ国で消えているんだもん……」
「え……手がかりが、あったのか?」
「兄さんはヒアマ国に誰かと渡ったのよ。そこまでははっきりしているわ」
「なんでわかったんだ」
「兄さんの使っていたリフォンがあったのよ。ウルミ連邦の軍に落とし物として届けられていてね。落ちていた場所がヒアマ国を行き来している客船の中だったのよ」
「客船の……でも、なんで兄さんのリフォンってわかったんだ? リフォンなんて色形、そんなにバリエーションないだろ」
「私の名前が入っていたからよ」
「え?」
「兄さんが出て行く時に、私が無理矢理持たせたから……。新しいのをこっちでセットすればお互いに通信できるようになるわ」
「出て行くことを知っていたのか?」
「そうじゃないわ。ちょっと出かけてくるって言うから、じゃあリフォンを持って行ってねって。でも、すぐに連絡はなくなったわ。何度かけても出てくれなかった」
「……なるほど。それでそのリフォンがヒアマ国の客船に……」
「えぇ……それでセリオに行ってヒアマ国の調査団を見つけようと思って……。そこで、ヒアマ国っぽい服を着た女性を発見したの。その人は調査団シバ団のイチハナって人だったわ。セロストーク共和国に用があるとかで、じゃあ、お互いに情報を交換し合おうって話になって色々と聞いたわ」
「ふーん。それでイチハナって人からその神隠しについて聞いたって事か」
「うん。でも、まずは兄さんの風貌を話してこんな人いなかったって聞いたけどね。ヒアマ国もフォウマンが多いからそういう人はたくさんいるって言われて……」
「まあ……そうだろうな……よっぽど特徴があればの話だけど……」
「そうね……外見は普通の人だったわ」
「ヒアマ国に行ったっぽくて、そっちでそういう神隠し的な事があるから、兄さんは神隠しにあったんじゃないかって事か」
「……うん。ちょっと飛躍しているかもしれないけどね……」
マリタの気持ちを思うとよくわかる。そうだな。兄さんに会いたいんだな。だから、ちょっとの手がかりでもなんとか引き寄せようとしているんだ。
「じゃあ、ヒアマ国に行ったら、その神隠しの謎を暴こう」
「暴く?」
「あぁ……神隠しは結局のところ、行方不明だ。それが誘拐か、拉致か、事件か、殺人か……何らかの事情が必ずある」
「兄さんが何かに巻き込まれているってこと?!」
「その可能性が高い。もし神隠しにあったっていうならね。それに神隠しでなくてもヒアマ国に向かったっていうなら、そこに新たな手がかりがあるかもしれない。急ぐならみんなと話して、ウルミ連邦からヒアマ国に向かうって言うのもいいんじゃないのか」
「……そうね。でも、これは私の個人的な……」
「個人的って言うなら俺だってそうだ。みんなそれぞれ個人的な理由を抱えて、ジェイド団にいる」
「……そっか。そうだね。でも、ヒアマ国へは最後に回るわ。すぐに行ってどうこうなるような話じゃないし……いなくなってもう二年……足取りを追うなら早い方がいいとは思うけど、ヒアマ国に行ってからでも遅くはないか」
「その、兄さんが出て行く理由って何かあったのか」
「わからないわ……私にはただただ優しい兄さんだったから」
「オリバーさんとメラニーさんとの関係は?」
「詳しくはわからないけど……私から見たら普通だったわ」
「そっか……そうなると家出した理由がわからないんだな」
「えぇ……私達はただ困惑するしかなかったわ……何の手がかりも無いんだもの……」
なるほどな。動機は無しか。一番厄介だな。そりゃ残された方は混乱する。
「……急に思いついたのかもしれんな……二年前、何か変化があった事とかあるか」
「そうね……」
そういうとマリタは少し考えこんでしまった。
「……まあ、思い出したらでいいんじゃないか」
「うん……色々、話を聞いてくれてありがとう」
「あぁ。気にするな。俺の方が助けてもらっている」
マリタはそのまま考え込むようにお酒を飲んでいたので、俺は目の前の酒を一気にかっ込み、札を置いてバーを出た。
マリタにしては珍しく、弱気というか、思いつめていた。このオウブ参りもきっと兄さん探しの一環なのだろう。どんな理由があるにせよ、人ひとりが消えれば悲しみを生む。マリタの兄さんはその悲しみという罪を背負ってまで行く理由があったのだろうか。
「……顔を見たら、とりあえず殴っちゃいそうだな」
行方不明事件は何度も担当してきたが、残された人の痛みは相当なものだった。特に自分勝手に消えた奴には怒りを覚える。出てきて生きてて良かったと思う反面、どんだけ心配をかけたんだってな。
マリタ……それにオリバーさんやメラニーさんの気持ちを思うと、何とも居た堪れない気持ちになった。
俺は部屋に戻ると、そのままベッドに転がった。弾みがある良いベッドだ。こっちに来てから一番いいベッドかもしれない。
「よく寝れそうだ……」
俺は静かに目をつむり、そのまま眠りに着いた。
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