アルトト博物館で見た事を頭の中で反復していたら、いつの間にか眠っていた。とにかく展示されていた内容が衝撃的過ぎて、頭の中で整理しようにも整理しきれなかった。モヤモヤが残ったままの睡眠は、どうもスッキリしない。起き上がる身体も若干重く感じた。
ロビーに行くとハルトトが一人のプルル族と話をしているのを見かけた。
「おう、ハルトト。おはよう」
ハルトトは振り返り、ニコっと笑顔を向けた。
「おはよう、東陽。何か紹介してばかりだけど……」
ハルトトが一緒にいるプルル族の男を指差して言った。
「私の兄でシュウトトと言うわ」
シュウトトと呼ばれた男が一歩前に出る。
「噂はかねがね……兄のシュウトトです。ハルトトが世話になっています。もう一個上にカトトという兄がいますが、今はヒアマ国に出向中です。向こうに行ったら顔を出してあげてください」
「東陽です。こちらこそよろしく」
「調査団になる前は治安維持部隊だったそうですね。私もナイシアス連邦の土星魔珠隊(どせいまじゅたい)で治安維持も兼ねており、一部隊を任されております」
確かに治安維持だな……警察というのはそんな感じか……余計な事は言わないようにしよう……。
「……まあ、そんな感じです」
「セロストーク共和国の治安はどうですか」
「うーん……まあ……」
「ナイシアス連邦は魔法での犯罪が多いですが、それなりに収まってきました。セロストーク共和国では何の犯罪が多いのですか」
「うーん……窃盗……かな」
「なるほど」
同じ治安維持部隊だと思われているらしく、情報交換も兼ねて矢継ぎ早に質問を投げかけてくる。困った顔をしているとハルトトが助け舟を出してくれた。
「東陽はグラディー村の事件で犯人捕まえたのよ」
「えっ! あのグラディー村新婚殺人事件ですか! すごいですね!」
ハルトト……違うぞ……そうじゃない
「あ、いや……まあ……はい……」
「複雑な事情の事件だったと伺っています。さすがですね。ハルトトも迷惑をかけないようにするんだぞ」
うざそうな顔をしながら、ハルトトが答えた。
「はいはい」
シュウトトは東陽に向き直り、丁寧にあいさつをした。
「それで東陽さん。任務があるのでこれで失礼いたします」
「ご苦労様です」
シュウトトはそのままホテルを出て行った。ハルトトは一息ついて話しかけてきた。
「ふー……ごめんね、東陽」
「いやいや……ハルトトの家族はみんな礼儀正しいなぁー」
「特にシュウトトとフユトトはね。私とカトトは問題児だったから」
「一番上の兄貴がか」
「うん、とにかく性格がイケイケで酷いもんよ。シュウトト兄さんはよくイジめられていたわ。私より色んな所に飛んで行っちゃうんだから」
「それで今はヒアマ国ってわけか」
「ヒアマ国では任務もあるけど父さんの工場で使う技術を学んでいるの。魔法より鍛冶とかに興味があるみたいで、十歳くらいからは父さんの工場でそっちばっかり触っていたわ」
「へー……職人の道に行くって感じか」
「そうね。一応、ナイシアス連邦の魔珠隊(まじゅたい)に所属はしているけど、鍛冶の修行の方がメインね。国のお金で修業なんてよくやるわ。そういう所も抜け目ないのよ」
その兄貴がいて、このハルトトありみたいな感じだな……。
「鍛冶なんて手先が器用なんだな」
「最初は医者になるなんて言ってたんだけどね」
「医者? 白魔法使いとかではなく? そりゃまた……」
「意外ね。医者って聞いて驚かないなんて」
「へ?」
「やっぱり東陽は他の世界から来たのね。そっちでは医者はたくさんいるの?」
「まあ……怪我したり、病気になったら医者に行くもんだし……逆に白魔法がないからな」
「なるほどね……」
ハルトトは別に俺の事を疑っているわけではない。でも、無理矢理納得している部分もあるんだろう。
「母が昔、病気でさ。白魔法使いに毎日白魔法をかけてもらっていただけど、治らなかったの。それでデニストトって人に見てもらったら、これは小さい魔物が身体に入り込んで、免疫を活性化させて治らないってチンプンカンプンな事を言ってね……処方された薬を飲んだらすぐに治ったわ。カトトは感動してすぐに弟子入りを志願したけど、子供だったからね。もっと大きくなってからって言われて諦めたらしいわ」
「小さい魔物……ウィルスや細菌の事か……うまい言い方するな……」
「……なんか知っているような口振りね」
「詳しくは知らないよ。俺は医者じゃない」
「まあ……そのデニストトさんが今まで治らなかった病気などを治していってね。ナイシアス連邦にも取り調べを受けて、「医療」というのを切り開いたのよ。魔法じゃなく、薬や手術、食事や運動で治す方法を編み出したわ。今では『神医(しんい)』なんて呼ばれているわ」
「つまり、シャル・アンテールに医療という分野を作った人って事か」
「そうね。不治の病とされたフォウマンの伝染病『網死病(あみしびょう)』もデニストトのおかげで大分治る病気になったわ」
「なんだ、それ」
「フォウマンにだけかかると言われていた伝染病よ。最悪な時は三割以上の人口を減らしたわ。身体に這うように網目模様の湿疹ができてね。喉に差し掛かると一気に呼吸器系に影響し、一週間足らずで死んでしまうのよ。しかもそれまで動けるから、気付かない間に伝染させていて、何度か大流行したわ。デニストトはそれを小さい魔物の仕業と突き止めて、喉にかかる前なら救えるようになったのよ」
「怖い病気だな……」
「東陽も気を付けた方がいいわよ」
「なんで?」
「フォウマンでしょ、あんた」
ヒューマンだけど……。合わせておくか……。
「だな」
「とはいえ、今じゃあ、ほとんど見かけなくなったけどね。所で今日はどうするの?」
「あーそうだな。ハルトトは?」
「私はギルドに行くわ。単発の仕事でもしてくるつもり」
「……お前なぁ……スプルレースも程ほどにしろよ。マリタに怒られるぞ」
「この前のは騎手が悪いのよ! 明日は大きいレースがあるから、そこで必ず……」
「ほんとに懲りない奴だな……まあ、俺もギルドで情報収集するかな」
「じゃあ、朝ごはん食べたら行きましょう」
「おう」
ホテルの朝食を食べて、ハルトトと一緒にギルドへと向かった。空は晴天。気持ちのいい風が吹いていた。
ギルドに付くとハルトトはすぐに単発の仕事を見つけたようで、颯爽と行ってしまった。
俺は周りの話題を伺っていたが、話題はたった一つだった。今、全国各地に出ている「魔神の眷属」の話題だ。攻撃した者も多いようで、ダメージは与えられずにそのまま消えていったそうだ。みんながそういうならきっとその魔神の眷属なんだろう。理由は分からないが、みんなは魔神の復活も近いとかもう復活しているとか言っている。
世界を絶望に陥れる魔神……。
みんなが心配だけど、こっちで死ぬわけにはいかない。できれば早めに向こうに帰る手段を見つけないと……。
ギルドで色々と情報収集したが、魔神の眷属の話題以外は収穫がなかった。夕方になりホテルに帰り、夕飯を食べて、その日は就寝した。
マリタが帰ってくるまであと三日か四日か。みんなが洗礼にいっている間は、今までいろいろあった。セロストーク共和国の時は、怪我で寝ていたし、レイロング王国の時は、ファビオと修行した。今回は随分とゆったりできるな……。
でも、体も鈍らせちゃあダメだからな。みんなが出てくる辺りから身体を動かしておくか……。
船の旅行途中でもそうだったが、なんだか拍子抜けするぐらい、今は平和だ。セロストーク共和国から出た時は、毎日が魔物と死闘をしていた気がする。でも、今はある程度、連携も取れるし、戦い方にも慣れてきた。強力な武器も持っているし、以前ほど命の危険を感じる事は無くなった。だが、それが油断である事も分かっている。だからこそ、自発的に身体を動かさなきゃいけない。
決意を新たにして、俺は深い眠りについた。
朝、シャワーを浴びて、ロビーに行くと既にハルトトがスプルレースの新聞とにらめっこしていた。やる気が凄い。
「おはよう、ハルトト」
「ん? おはよう、東陽」
「朝から熱心だな」
「全レースやりたいけど、昨日日雇いが安かったから。今日は一レースのみに一点集中よ!」
「そうなんか」
「東陽も行く? 今日のレースはウラジスラフ競走場でやるクラシックレースよ」
「クラシック? 三歳しか出れないレースか?」
「そう、一生に一度の晴れ舞台。見なきゃ損よ!」
驚いた……ちょっと興味が出てきたな。スプルレースの年間プログラムとか見たいなぁ……
「じゃあ、俺も行こうかな」
「そうこなくっちゃ! あ、掛け金は自分で出してよ」
「わかっているよ、じゃあ行こう」
二人はホテルを出て、街のちょっと外れにあるウラジスラフ競走場へとやってきた。何だかんだで大きい施設で現世の競馬場のようだ。
大きい門をくぐるとスプル券を買う所がある。まだ自動式ではなく、ガラスを挟んでの対面販売だ。
さらに進むと建物が二つ。その間からはターフが見える。かなり整備されていて、綺麗に清掃もされていた。ハルトトの後をついて行きながら、左側の建物に入っていく。その中にもスプル券を買う場所があり、予想屋たちもいる。人でごった返していた。
それにしても……。プルル族は小さいので、なかなか足元が大変だ。
「おい、ハルトト。落ち着くところに行こうぜ」
「わかったわ。指定席を買ったからそっちに移動しましょう」
ハルトトについて、三階まで階段で上がると室内で競走場を見下ろせる指定席に着いた。目の前には大きなガラス面となっており、よく見渡せる。席は斜めに下に向かって並んでおり、一番上には対面販売のスプル券場と食べ物屋などが並んでいた。
「おぉ、快適だな。現世に近いな」
「ここなら座っておけばいいからね。一応、プルル族じゃない用の席だから広いでしょ」
「プルル族用の指定席なんてあるのか」
「私たちは小さいからね。この席じゃあ大きすぎるわ。難儀よね、プルル族は」
「大きいのに合わせられるけど、小さいのにはどうやっても合せられないからな……助かるよ」
「ま、スプルレースは全世界から人が来るからね」
「確かに、こっちの指定席も満杯だもんな」
「さーって……気合い入れて予想するわよ!」
そういうとハルトトは隣の席に、ちょこんと座り、新聞を広げ唸り始めた。
「で、今日のクラシックってどんなレースなんだ」
「まあ、一言でいえば芝レースの短距離戦ね。各国のスプルレースはある意味独自進化を遂げてきていて、それぞれに特徴があるのよ。セロストーク共和国は芝の中距離、レイロング王国はダートで中・長距離、ウルミ連邦は芝・ダート両方で何でもあり、ヒアマ国は芝で長距離、そしてナイシアス連邦は芝で短距離に強いの」
「あー……うん。何かわからんけど、わかった。つまりは、ここは短距離戦なんだな」
「そう。千二マウの距離を走るわ」
「マウ? 一マウってどれくらい?」
ハルトトが手を広げながら答えた。
「これくらいよ」
「なるほど……」
ほぼ一メートルだな……
「ナイシアス連邦はとにかくスピード勝負なのよ」
「そういうスプル作りなんだ、特色が出ていいじゃないか。騎手はプルル族だけなのか、他種族は?」
「騎手はどんな種族でも乗るけど、体重制限があるわ。身体が大きくなるグラン族だけ一人もいないけど……」
「プルル族に大きく重りみたいなのを乗せるって感じか?」
「それは昔のやり方ね。でも、それだとやっぱりバルト族とプルル族で大きな差がついてしまっていたの。だから、今はそんなことしないわよ。魔法でハンディキャップを埋めたり課したりするのよ」
「え? どうやって?」
「手綱と鞍に魔道具が入っているのよ。それである程度の体形の差は、スプルに風魔法で抵抗をかけたりしているの。だから、騎手は純粋にスプルの騎乗テクニックで競い合えるようになったのよ。グラン族ほどになるとちょっと無理だけどね」
「ここでも魔導具か……」
「この魔導具は武器の魔道具と一緒で最古の物ね。もちろんアップデートはされてきているけど、かなりの初期に開発されたのよ」
「魔導具も意外に歴史があるもんな」
「そうね、二百年はあるわね」
「うへ……すごいな……」
「てか、東陽。もうちょっと静かにしてもらえる? 予想しているんだから」
「あーごめん、ごめん。もう大丈夫」
現代競馬並に技術もレース形態もしっかりしている。いやはや……ハルトトがハマる理由がよくわかるわ。
ハルトトが予想に集中しているので指定席館内を回ってみた。壁には歴代の有名なスプルが飾られていた。顔はちょっとラクダっぽいけど、俺たちが乗ってきたスプルとは違いコブがない。首から下はサラブレッドのようにキレイな身体をしていた。
「思ったより、馬だな……」
写真という技術がないので絵画のような絵だが、綺麗に仕上がっている。写真と言っても見間違うほどだ。
その時、競馬場の方で大きな歓声が上がった。席の方に急いで戻り、ターフの方を見ていると、とんでもない大きさのバブルビジョンが設置されていた。
周りからは大きな歓声が上がり、今か今かとその画面に注目していた。
「うわぁ……もう来ているのか……商売うまいな、ウルミ連邦は。もう完全に……現世と一緒じゃん……」
戻ってきた俺にハルトトが気付いた。
「あ、東陽。凄いよ、バブルビジョンだって!」
席に戻りながら答えたが、視線はバブルビジョンに釘付けだった。
「あぁ……やばいな、アレ」
「クラシックレースに合わせてきた感じね。それにしても、この前、ウルミ連邦で新商品としてやっていたばかりなのにね」
「凄腕のバイヤーでもいるんだろうな……いやはや……」
「今まではこうやって上から見ていたのに、あれが出たらもうずっとあそこで見られる感じだね」
そうだよ、そして各家庭に導入されたら一気にメディアが力を持つ。バブルビジョンの可能性を考えると現世と同じ道を歩みそうで怖かったが、それは言わずにいた。シャル・アンテールにはシャル・アンテールの道があるはずだから。
バブルビジョンに電源が入ると更に大きな歓声が響いた。それを見たハルトトも大興奮していた。
「うわぁ! 東陽! やばいやばい!」
「わ、わかったって。凄いな、確かに」
大きな映像なんて見慣れた光景だったが、初めてみた人達はきっとこうだったんだろう。歴史をなぞらえているようで、確かに少し高揚した。
顔を真っ赤にして興奮しているハルトトだが、予想はどうなったんだろうか。
「予想は終わったのか、ハルトト」
「あ、うん。任せてよ。クラシックレース『サザンクロスステークス』はナイシアス連邦のスピード王! ローベントトに決まりよ!」
「よし! 買おう!」
二人はスプル券を買って、クラシックレースを楽しんだ。もちろん負けた。ハルトトはずっと下を向きながら帰り道を歩いてホテルへと向かった。
こういう時はよく眠ろう。そう思った。
読み終わったら、ポイントを付けましょう!