「ねぇ、音波人間って知ってる?」
よくある学生街の小道でそんな会話が始まった。校門を抜けてからすぐ見えるコンビニの明かりがつき始め、バス停に止まるバスの頻度も少しづつ増えてきた時だった。交差点を渡ってしばらくは信号のない平坦な道が続くのみでお喋りを続けていても危ない目に合う心配はない。
「音波人間?」
「そう、音波人間。一回は聞いたことあるよね?」
「まぁ、一回は」
少しだけ困ったような顔で返事をしたのは隆一だ。隆一は杖を一定の間隔で突きながら歩いている。お喋りな友人の声と杖の感覚が彼の全てだった。隆一は自分から話しかける性格ではない。基本、黙り込んだ聞き役だ。嫌な役だとは思うが彼は嬉しそうだった。
時折隆一は杖を地面に叩く感覚を遅らせながら周囲をキョロキョロと確認するようなそぶりを見せている。少し面白がりながらまた話し始めた。
「もしかして隆一は音波人間が見えるの?」
「見えるって何?って思う俺がそんなやつを見たらその事について話してるよ」
「あーね。またあたしの早とちりだわ」
「で、音波人間って何? 映画?」
「あぁあ、隆一はいつも帰るのが早かったもんね。えっと、塾の友達が教えてくれたんだけど……、音波人間の話をしたら音波人間が来るらしいよ」
馬鹿げたうわさが広がっているものだ。遊び半分で「音波人間」と声に出すのはよくない。隆一はそう思っている。彼の顔は少し曇っていた。彼をよく知る友人たちは隆一に陰口は通用しないと言う。姿を見られていなくても察せる何かがあるのだ。
人の悪意にさらされた状態なのだが隆一は微笑んでいた。彼にとってこの時間は楽しいものなのだろう。見るを超越した何かを触れれるに違いない。
「音波人間がやってくるとね。変な音が聞こえるんだって。最初は小さいんだけど耳をすませばすますほど大きくなっていって……」
「耳がパーンってすんの?」
「え、当たり。あれ、知ってたの?」
「なんかラジオ聞いてたらそういうニュースがあるんだよ。鼓膜が破裂してて耳から泥のような血を流しながら死んじゃってたって。でもさ、おかしいよ。この話」
「何が?」
「ラジオでも音波人間というかそれっぽい噂はあった。それならそのキャストにも音波人間が取り付いて殺してるはずさ。それがないんだったら偶然だよ。音波人間は偶然と空想によって生まれた創作だ」
そう考えるのが妥当である。うわさ話は基本、うわさでしかない。確かな信ぴょう性もなく、誰がどんな目的で流したのかもわからない空想なのだ。そう考えればどれだけのことが楽に考えれるようになるだろう。音波人間の名前は目に映る人たちの深層心理に刻まれている。
そしてうわさ話として人々の心理に問いかけていく。問いかけられた心理は無視を続けていてもいずれ我慢がつかなくなり、爆発するように話を始めるのだ。
「音波人間って知ってる?」
と。
隆一はそこまでわかっていた。わかっていたからこそ何も自分からその噂を広げようともしなかったし、何回も聞いた音波人間の話でも知らないふりを続けていたのだ。彼には何かほかの凡人には感じられない何かを感じているのだろうか。何があっても音波人間を信じるそぶりは見せなかった。
杖を突く間隔が狭まってきた。平坦な道から一転して第二の交差点についたからだろう。足の周りを杖でつついてからツタを渡るようにして信号を渡っていく。ここから先は田んぼが広がっており、色々な音が聞こえてくるのだ。
「ねぇ、音波人間についてどう思う?」
隆一は声を聴いた。隆一は歩くのをやめてまた周囲を確認し始めた。かんかんと杖を叩いて何かを確認している。隆一の顔から血の気が引いていった。
「別にどうも思わないよ」
「えぇ、なんで? 気になるじゃない。どんな姿をしているかとか何をされるかとか」
「あぁ、うぅん」
「塾の友達に聞いたのよ? 音波人間はいるって」
「その友達は見たことがあるのかい?」
「ないんだって。でもとても詳しいの、音波人間のことなら何でも知ってるらしいわ。耳をすませば聞こえてくる音があるんだって。例えるなら……」
「カエルの鳴き声を低くしてずぅっと続いてる感じ?」
「あれ? 何で知ってるの?」
「おかしいと思わないのか?」
隆一は歩く速さを挙げながら見えるはずもない目を開けて周りをキョロキョロとみている。香苗も追いつくように早く歩いて行った。何も急ぐことはないはずだ。家はもうすぐ着く。夜に用事はない。それでも隆一の歩く速さは遅くならなかった。
そんな隆一に気にすることなく止まらない勢いで話し始める。隆一は杖を勢いよく叩きつけながら香苗に向き直った。眼が見えないはずなのにその顔は正面を向いている。
「いったいどうしたんだ!? 最近口を開けば音波人間のことばかり! いや、君だけじゃない。クラスのみんなもだ。いったい何があったんだ!?」
「だって隆一はいつも先に帰ったり、朝学校に通学した時も逃げるように学校に行くじゃない。何があったの?」
「今日は珍しくそんな話をしないと思えば……油断した俺がばかだったよ。音波人間なんかいないんだ。そんなのただのデタラメだ。俺はそんなもの知らないし、この通り目がないから見たこともない! これで話は終わりだ、どうだ!?」
隆一はふと立ち止まって帰り道の位置を思い出すために杖をまた突き始めてブロックを探している。視覚障碍者にとって命でもある点字ブロックの上に立った隆一はほっと一息ついてから杖を叩いた。
「カッとなりすぎたよ。ごめん、俺も怖かったんだ。もうそんな話はしないよな?」
「うん、ごめん。音波人間はいないのかもしれない」
私はそう言葉を返す。素直に謝った私の顔は成功の笑みで歪んでいた。音波人間の存在を信じないなら信じない方向で信頼させればいいのだ。このちんちくりんな噂話にうんざりしている人間を私は狙っている。だって普通の人だと私はすぐに負けちゃうから。安心したように笑う隆一に一歩だけ近づいて私は微笑んだ。
「なんだか騒がしくなってきたなぁ。この住宅街もにぎやかだ」
「うん、そうだね。ほら、隆一の家はこっちだよ」
私は隆一の手を引いた。隆一は私の囀りに従いながらついてきてくれる。少々手こずった。それにしても音波人間とは……馬鹿げたあだ名をつけられたものだ。
~ー-----~
「ねぇ、あのニュース見た?」
「あぁ、あの目が見えない人をターゲットにする変人でしょ?」
「そうそう、今度の犠牲者は中学生ですって」
「まぁ可哀そうに」
「耳から泥みたいな血を流して死んでいたそうよ。弱い立場の人ばっかりを狙うなんて酷いわね」
「なんていって連れて行ったのかしら。鳥よりもいい声をしてるとか?」
「どっちかと言えば囀りよ、囀り。一呼んで『音波人間の囀り』よねぇ」
『特集! 謎の殺人事件。音波人間の囀ずり』
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