ピッピッピッ
病院に一定のリズムで心電図の音が流れる。
8月28日、嫌いだったじいじの命が、今消えようとしている。
俺はじいじに何かしてあげられただろうか。戦争も経験しているじいじはもう90歳を超えている。
3日前、都内で飲酒運転による交通事故に巻き込まれたじいじは緊急搬送され眠り続けている。即死でないのが奇跡らしいが、「嶺五郎さんの命は持って今日までです」と医師に宣告された。
下がっていく脈拍、白くなる顔。人間が死ぬ瞬間を見るのは初めてだな。
不思議と涙は出なかった。まぁ嫌ってるし当然っちゃ当然か。
指が動いた気がした。まだ耳とか聞こえてんのかな。ふと、「なぁ、じいじ」と声をかけてみる。
普段自分から話しかけないくせになんでそんなことをしたのかはわからない。まぁ聞こえてるわけないよな。
だが、今度は確実に両手が動くのを視認した。まさか、意識が戻ったのか?話せるのか?
うっすら瞼を開けたじいじは、か細く涙ぐんだような声でつぶやいた。
「わし、まだ死なんかも」
あれから2週間が経った。じいじは家でピンピンしている。死ぬ死ぬ詐欺じゃねぇか
よクソジジイ。
「蓮、学校遅れるよ。大事な時期なんだから」
母さんの声が聞こえる。俺は自分の蓮見蓮という名前が嫌いで仕方がない。なんで同じ漢字2回使っちゃうんだよ。じいじは蓮見嶺五郎。長男のくせにどっから五郎って名前を付けられてんだよ。
永遠に続いてほしいと思っていた夏休みも終わりを告げ高校とかいう最悪な収容所に行かなければならない。朝食の食パンをかじり終えると学校指定の真っ黒いカバンに教科書を詰め込み家を出た。
「いってらっしゃい」
ボソッとがさがさの声でじいじがつぶやいた。俺はいつも通り聞こえないふりをした。
高校3年にもなると受験だ就職だと本当にうるさい。○○大学行きたい! ○○に就職する!などとでかい声でしゃべっている奴が本当に嫌いだ。周りの人間の卒業した後の話なんて知るかよ。
どうせ卒業した後にやっぱり高校最高だった…とかSNSにアップすんだろ。SNSやってないから知らんけど。
そんなことばかり考えているからか、俺には友達と呼べる人は1人もいない。唯一呼べるとしたら、
「おはよ、いつも通り顔面怖いね」
朝からカーフキックかましつつ挨拶をしてきたこの進藤桃花くらいか。家が隣ってだけだが幼稚園前からの幼馴染で、なんだかんだ高校まで同じになった。
「はいはい、今日も顔面だけは可愛いですね」
カーフキックで負傷した右足を引きずりながら皮肉を込めて答えた。そう、進藤桃花は顔面だけ見れば可愛い。すらっときれいで長い黒髪。大きな目、可愛らしい口。はたから見ればアイドルの卵のようにも見える。空手で全国大会さえ行ってなければね。
「顔だけってどういう意味よ」
「そのまんまだろ、空手で全国行ってカーフキックかますやつなんて可愛くねぇ」
「残念、全国は全国でも8位入賞です~」
「ほんとに残念だよ!そりゃ痛いわけだわあほ!」
まさか8位までいっていたとは初耳だった。恐ろしいやつ。昔はもっと可愛らしくなかったか?
「そういえば進路、決めた?」
急に神妙な面持ちで進藤桃花がつぶやいた。
「いや~まぁぼちぼち。進藤は?」
美大で絵を描きたいなんて、生まれてから母にすら1度たりとも口にしたことのない本音を濁しながら聞いた。
「私も、ぼちぼちなんだよね」
進藤桃花は寂しそうに笑った。
意外だったな、進藤のことだしてっきりアイドルになりたい!とか言い出すのかと。
校門に着くなり俺は進藤と離れて教室に向かった。クラスは同じだが俺みたいな陰キャと歩いてるのを見られたら進藤の株が下がるってもんだ。
教室に入るなり、黒板に大きく【進路希望調査票 提出今日まで】の文字が目に入った。
忘れてた今日までかよ。それで進藤の奴聞いてきたのか。
素直に美大と書くべきか、でもそんなこと誰にもバレたくないしな。悶々とした気持ちのまま窓際の一番後ろの席に座る。俺はこのラノベ席ともいえる場所が気に入っている。みんながまぶしそうだったら自らカーテンを閉めなければいけないのが玉に瑕だが…
朝のSHRでも進路希望調査票の提出を念押しされた後、いつも通りの日常が過ぎていった。
今日の放課後に残って調査票出さなきゃやばいな。1人で購買のパンをかじりながら考えた。今日俺パンしか食べてなくね?
くだらない授業をすべてこなし、放課後の教室で真っ白な調査票を見ながら熟考する。
体育の授業の2人でペアを組ませる制度なくせよ。毎回ペアの奴に嫌な顔をされる身にもなれよ、と今日の5時間目の余計な思い出を思い出しながら動かない右手に嫌気がさす。
第一志望に美大と書けない理由は2つ。
1つはシングルマザーの母さんに迷惑をかけたくないから。今俺、母さん、じいじの3人で暮らしていて収入は非常に厳しい。高校生になったらバイトをすると言ったのに、母さんは猛反対して、いまだにできずにいる。父さんは俺が小学2年の時に事故で亡くなった。じいじと住むようになったのもそのあとからである。
2つめに美大に行く夢を、大嫌いなじいじに知られたくないから。
俺とじいじは血がつながっていない。
死んだばあちゃんが母さんを産んだ後に再婚したのがじいじなのだ。ばあちゃんとじいじの年の差は相当なものである。
なんで俺がここまでじいじを嫌っているのか、自分でもわからない。だが、怖い顔で昔からなんでも挑戦させてくるじいじが嫌いだった。
自転車になかなか乗れなかったときも、テストの点数がダメダメで勉強を諦めたときも必ずじいじは「とにかくやってみぃよ」と低い声で俺に声をかけた。笑顔を全く見せない仏頂面で。
家族でもないくせに。心のどこかでそう思っているのかもしれない。
「蓮!ねぇ蓮!」
やべっ、ボーっとしてた。今呼ばれたような。
視線を前に移すと、少し怒ったような顔で進藤桃花が立っていた。
「ボケっとしてどうしたの?蓮ってたまにそういう時あるよね」
「ほっとけ。で、何か用かよ?」
「進路相談、乗ってほしいんだけど。」
俺と視線を合わせないまま、言いにくそうに進藤桃花は続けた。
「ずっと前から夢があるの。大きな夢。アイドルっていう。」
まさかビンゴだったとは。驚きはなかった。
「でも自信がないの。顔にも歌にも自信があるわけじゃないから。それでも、みんなを元気づけられる人に、私も、なりたくて」
泣きそう、いや少し泣きながら真っ赤な顔で進藤桃花は話した。
「なんでその話を俺に?」
「蓮ならはっきり言ってくれると思って。私には無理だと思うなら言ってほしいの。」
いつも見慣れた自信たっぷりの進藤がそこにいなかったことに少しイラついてしまった。
やりたいことはとことんやり詰める。それが進藤だろ。そこが俺は好きだったのに。
「とにかく、やってみろよ」
無意識に言っていた。いった瞬間に、こんなに嫌いなじいじと同じセリフを言っている自分に驚きが隠せなかった。
「そうか。そうかも。よし、調査票出してくる!ありがとう蓮!」
途端に元気を取り戻した進藤は走って教室を飛び出した。同時になんとなく気付いていた。
俺が美大に行きたいと言えないのは母さんのこともじいじのこともあるけど、進藤と同じで自分自身がビビってるんだ。美大で通用しないのが、お前には向いてないと言われるのが怖いんだ。
進藤にはやってみろとか言っといて、俺が挑戦しないのもダサいかな。
美大行ったら進藤に告白でもしようか。なんてな。
乱暴に第一志望の欄に美大の名前を書き込み、教卓の提出用のカゴに入れた。さっき提出した裏返しの進藤の調査票を見ると有名な芸能プロダクションの名前が丁寧に書かれていた。
美大と書いたのはいいけれど、今まで就職とか書いてきたからなんて先生に言われることやら。進路決まってるやつもちらほらいるってのに、忙しくなるなぁ。
帰り道、歩きながらそんなことを考えていたが、心はなんだか晴れ晴れとしていた。
帰ったら母さんに相談してみよう。応援してくれるだろうか。きっとしてくれるよな。
そんな浮かれた気持ちだったからか、後ろから歩道に乗り上げてくる大型トラックに気が付かなかった。
固いものに触れる感触。ぐちゃぐちゃに砕かれる体の感覚を最後に意識を失った。
どれくらい眠っていたのか。そもそも俺は生きているのか。
意識を取り戻したのは3日後の病院だった。最初に目に入ったのは泣きじゃくる母さんの顔だった。
「蓮、起きたのね蓮!」
抱きしめられている感覚はあるが、包帯まみれの右腕の感覚は全くないことに気がついた。
「母さん、俺」
「生きてて本当に良かったわ!本当に良かった!」
泣きじゃくる母さんの後ろにじいじがいるのも見えた。
「今、お医者さん呼ぶわね」
なんとなく予想はしていた。いや、予想せずにはいられなかった。そしてその予想は的中していた。
「恐らく、もうお子さんの右手は自由に動かせないでしょう。」
ズンっと心臓が重くなるような感覚の後、寒気と吐き気が全身を襲い脳内が痺れた。
多分母さんも同じだったと思う。次の瞬間にはさっきよりも母さんは泣いていた。
トラックに突っ込まれた瞬間にとっさに右手で体を守ったために、今右手の神経はぐちゃぐちゃになっていた。
「母さん、先に家、戻るね。着替えとか持ってこなきゃ。」
声を震わせながら、母さんは病室を出た。部屋には俺とじいじの2人だけになった。
「蓮、お前、夢とかあるんか?」
突然じいじが聞いた。こんな風にじいじに質問されるのは初めてのことで、動揺してしまいつい口が滑ってしまった。
「あぁ、絵とか、描きたいなって。美大とかで」
言って後悔すると同時に右手に視線を落とし、その夢がもう2度と叶わないことを悟った。途端に冷静になり、涙が止まらなくなった。美大に行きたかった。色々な絵を描いて絵に関する仕事に就いて…
そのすべてがもう訪れない未来となってしまった。
「そうか。ええ夢や。とにかくやってみぃよ」
「描けるわけないだろこんな手で! 家族でもないのに知ったようなこと言うなよ!!」
病室で泣きながら声を荒げてしまった。優しさで言っていることに無性に腹が立った。
「すまん、蓮。」
心なしか寂しそうな顔でじいじは呟いた。じいじに謝られるというのも初めての経験で信じられなかった。
入院は1か月半ほど続いた。
11月に入ろうかという日、俺は退院した。だが、依然右手は動かないままだった。
学校では、全く話したことのない奴からも、大丈夫か?生きててよかったな!などと声をかけられた。誰なんだよまったく。俺は見せ物じゃないぞ。
なかでも進藤桃花は涙ぐみながら俺の席に来た。
「ほんとに心配したよ~~。無事でよかったぁ。これ、お花買ってきたからあげる~~。」
おい、俺は死んでないんだ。花は必要ないだろう。と、考えるだけ考えてありがたく受け取った。
しかし、あれからじいじとは1度も話していない。何度か見舞いに来てくれてはいたが、お互い無言だった。俺自身、言い過ぎてしまったと思っている。
どうにかして謝らないとなぁ、とぼんやり考えていた放課後、
「おい、校門にめっちゃ渋いおやじいるぞ!」
「誰かの保護者か?60歳くらいだろうし、生徒のおじいちゃんかね。」
そんなクラスメートの声が聞こえた。おいおい不審者じゃないのか。気になってちらりと3階の窓から外をのぞくと、それは紛れもなく90歳を超えた俺のじいじだった。
心臓が止まるかと思った。何事かと慌てて外へ出る。ただでさえ左手だけで帰り支度するのに慣れてないってのに。
「じいじ、こんなとこでなにしてんの。」
「おう蓮、この後時間あるか。」
こんなとこまで来られたら断れないだろ。
「まぁ、あるけど…」
「ちょっと車乗りや。」
近くの駐車場まで一緒に歩き、じいじの車に乗り込んだ。
90歳超えて運転なんて大丈夫かよ、しかもこないだじいじも車にはねられてんじゃんか。怖くないのかな。
「怖くないか?蓮。」
びっくりした。心の中読まれたのかと。
「なにが?」
「トラックにはねられとるから、乗るのも怖いかと思ってな。」
「いや、全然大丈夫。てかどこいくのじいじ。」
「ちょっと待っとってな」
どこに行くのか、見当もつかない。てか、どうも最近じいじの様子がおかしいよな。
30分くらい経っただろうか。もともと田舎だったが、さらに建物の少ない景色になっていった。
まじでどこ連れてかれるんだよ。怖えよ。
すると、急にじいじは車を止めた。
そこには遊具も何もない、ただただ広い草原が広がっていた。
「え、なにここ。」
「ちょっと、降りようや。」
頭に大量の?を浮かべながら、俺は恐る恐る車を降りた。なにがあるんだよここに。
しばらく無言のままじいじの後ろを歩く。すると、大きな切り株の前で立ち止まり言った。
「ここなぁ、わしと蓮のばあちゃんが出会った場所なんや」
今までになく優しい声だった。
「ここで?」
「そう、蓮の母さんがまだ小さかった時な、蓮の本当のおじいちゃんはこの近くの病院で亡くなっとるんよ。今は切り株だが、昔この木の下でばあちゃんわんわん泣いとってなぁ。わしから声かけたんよ。」
なぜ今そんな話を俺にしたのかはわからない。でも、今はこの話を聞かなければいけない。そんな気がした。
「わしは臆病者やからなぁ、戦場で動けんくて大事な仲間も大事な恋人もみーんな失った。そんで、わしだけが生き残ってしまった。ほんとうに毎日後悔したんよ。あの時動けてりゃ救えた命もあったのになぁ。」
こんなに悲しい目をしたじいじは初めてだった。こんな過去があったことなど知らなかったし、知ろうともしていなかった。
「なんで、ばあちゃんと結婚したの。」
自分からじいじにこんなことを聞く日が来るなんて思いもよらなかった。
「わんわん泣いてる姿が昔の恋人と重なってなぁ。生まれつき体が悪いところも一緒やった。どうしても幸せにしてあげたくてなぁ。年は離れ取ったけど、ここで動かなきゃ一生後悔すると思ったんよ。ばあちゃんはすぐあの世に行ってしまったんやけどな。ほんとに幸せやった。」
じいじに対する考えがどんどん変わっていくのをはっきりと感じていた。俺はこんなに真っすぐな人を、過去の出来事も知らず嫌い続けてしまったのか。
「ごめんなぁ蓮。本当の家族になれなくて。」
涙が止まらなかった。もうやめてくれ。俺がすべて悪いのに。何も知らないで勝手に嫌っていたのは俺のほうだったのに。じいじは嫌われていることをずっと気にしていたのだ。
「わしが後悔ばかりしたからって、何でもかんでも挑戦させすぎたな。ほんまにすまん。嫌やったよな、家族でもない人から…」
「じいじは俺の家族だよ!」
涙で前が見えない中、無意識に口に出ていた。俺を養うためにいまだに働いてることも、俺のためにやってみぃよと言ってくれていたことも知っていた。申し訳なさと自己嫌悪でどうにかなりそうだった。
「病室で、あんな、ひどいこと言ってごめん!いってらっしゃいも、毎日返さなくてごめん!時々、無視してごめん!俺のこと応援してくれたのに、」
「もうええ、もうええ、ひどい顔になっとるやないか。」
じいじは苦笑いしながらポケットからハンカチを取り出し、俺の顔を拭いた。そのハンカチの独特ないい香りが頭から離れなかった。
「でもな、蓮、じいじから1つお願いがあるんや。」
「なに?」
「美大行きたいゆうとったやろ、あれ、諦めないでほしいんや」
心臓を鷲掴みにされたような感覚だった。俺だって諦めたくないけど、でも、
「この腕じゃもう無理だよ。普通に働くこともできない。」
「わしの若いころは右利きしか許されんくてなぁ。」
「急に何の話?」
「わしは生まれつき左利きだったから、直すのに苦労したんよ」
え、まさか?
「わしの事家族と言ってくれるなら、左手でも絵が描けると思わんか?」
じいじは少年のような笑顔でニカッと笑った。初めて見るじいじの笑顔になぜかこちらまで笑えてきた。
「それ、本気で言ってるのじいじ。」
「もちろん本気だとも。とにかく、やってみぃよ。」
今回のじいじのその言葉は、初めて勇気が出る言葉に感じられた。
「やりたいことはドンドン挑戦してほしい。だからわしが蓮と名付けたんよ。」
「え、俺の名前ってじいじがつけたの。」
「そうや、挑戦はチャレンジっていうやろ。だから真ん中の文字とってレンや。」
まさか名付けたのがじいじだとは思わなかった。こんな直球な名付け方あるのかよ。でも、それを聞いて初めて自分の名前も悪くないと思えた。
「だからって同じ漢字2回使うことなかったのになぁ。じいじはなんで長男なのに五郎ってついてるの?」
「わからん。」
「わからんのかい。」
顔を見て笑い合った。こんなにあったかい気持ちは初めてだった。
「なぁ蓮、わしももう長くない。最後に3つだけ伝えさせてくれや。」
「なんだよ急に。縁起でもない。」
「まぁええやんか。この3つだけはこの先もずっと忘れないでほしいんよ。まず1つ目に---」
4日後、じいじは亡くなった。老衰らしい。
事故にあってもピンピンしてるくせに突然いなくなるなよ。
数か月前には出る気配もなかった涙が、いつまで経っても止まらなかった。
それでも学校には行かなきゃいけない。学校の休み時間には左手で絵を描き続けた。
進藤桃花が時より心配そうに話しかけてくるが、平気なふりをした。おそらくじいじが亡くなったことはすでに知っているのだろう。
じいじが死んだショックと左手で書けない自分にイライラする気持ちで心が壊れそうになる。
「蓮見って、まさか美大狙ってんの?」
突然声が聞こえた。色白のいかにもイケメンって感じの男が、かがみ込んで俺の絵を見ながら言った。確か、同じクラスの佐伯実。
「えっと、まぁ、そんなとこ。」
濁しながら答えた。絶対に美大を諦めないとは決めたものの、イケメンに馬鹿にされるほどのメンタルはないぞ。ちくしょう。
「まっじかよ!俺もなんだよね!え、4駅先のとこ?だとしたら一緒だわ!え、利き手右だよね?左で練習してんの?めっちゃすごいじゃん!ちょっと見せてよ!」
予想外の言葉に思考が停止した。え、どういう状況よこれ。
気付けば周りには7,8人集まってきていた。
「初めて話すのにごめんな!俺佐伯。みのるでいいよ。」
「俺は遠藤!たかしって呼んでくれ!」
「僕松本。まっちゃんって呼んでよ。」
おいおいそんな急には覚えられないって、とかなんとか考えているうちに、すげーなとかサウスポーかよとか聞こえてくる。
飛び交う声の中、じいじの言葉を思い出していた。
『まず1つ目に、友達いっぱい作りや。友達は絶対人生を豊かにしてくれる。蓮はいい子やから、ちょっと素直になればすーぐ友達できるで。』
あの時は友達なんてと突っぱねてしまったが、友達を作ろうなんて考えたこともなかった。
「この絵、どうかな。」
みんなに聞いてみた。人に聞くのはこんなにも怖い事なのか。
「うーん、左手だからかちょっと斜めってるとこあるよな。」
「俺はこの絵、めちゃくちゃ好きだな。」
「7点」
他人に自分の絵を見てもらうのは初めてだった。怖いけど、あの時と同じあったかい気持ちになった。7点って言ったまっちゃんは許さん。
「俺、蓮見がこんないいやつとは思わなかったよ。」
「俺も俺も、いっつも顔怖いしさ。話しかけにくくて。」
「ごめん、顔怖いのは生まれつきで…」
「あと、進藤桃花さんと仲良さそうで許せない。」
え、なにまっちゃん俺の事嫌い?てか進藤と仲良いのバレてたのかよ。
その日から実や進藤達と放課後に絵の練習をすることが増えた。
母さんもうすうす感づいているのか、ニコニコしながら話しかけてくる。
「蓮、友達できたの?」
「うっさいほっとけ。」
「よかったわ~、おじいちゃんも友達できたかっていっつも私に聞いてきて。本人に聞けばって何回も言ったんだけどねぇ。」
そうだったのか、俺になんて興味ないと思ってたのにな。今になって、どうしてもじいじにお礼が言いたくなった。どうして大事なものは失ってから気付くのか。
仏壇にある厳格な顔のじいじの写真を見ながら、涙をこらえた。
きたる1月23日。奇しくも俺の誕生日が受験日となった。
朝食のかつ丼を平らげて家を出る。母さん、気持ちは嬉しいけど朝からヘビーすぎやしないかい?
玄関先には進藤桃花の姿があった。
「誕生日おめでと。これプレゼントのカンニングペーパーね。」
そういって新品のノートを手渡した。変な冗談はやめてくれ。
「あと、私芸能事務所の所属が決まったの。アイドルの幼馴染になれて良かったわね。蓮も頑張って。」
ほんとに進藤桃花という人間は計り知れないな。尊敬する。
「アイドルとして売れてから言えってんだ。なぁ、気合い入れるためにカーフキックもらっていいか?」
足を引きずりながら駅で待ち合わせた実と合流する。
「よう蓮。今日誕生日だよな?これ、プレゼントのカンニングペーパー。」
え、なにそれはやってんの?知らないの俺だけなの?
「てか、足どうかしたの?」
「いや、ちょっと気合い入れただけ。」
不思議な顔をした実から新品のノートを受け取ると電車に乗り込んだ。
「蓮、緊張してんだろ~」
実が茶化してくるが、その実も手が震えているのがわかる。
俺はというと緊張で吐き気さえある。いや朝のかつ丼のせいか。
でも、大丈夫。俺ならできるよなじいじ。
『2つ目に、絶対に諦めるな。蓮、お前は本当にすごい子や。わしが保証したる。だから諦めんでくれ。絶対やぞ。』
母さんにもらったお守りと、じいじにもらった言葉を胸に当て、受験会場へと足を運んだ。
3月8日。俺はひたすら片手で折り紙の輪っかを作っていた。
「なぁ実、卒業式ってどんだけ輪っか必要なの?」
「あーっと、もうちょいかなぁ」
「こういうのってさ、卒業生がやることか?」
「例年そういうしきたりなんだから仕方ないだろ。」
まったく、片手で折り紙折るのがどれだけ難しいと思ってるんだ。
作業を終わらせて校門へ向かうと、進藤桃花がこちらを見て待っていた。
「もう、最後だしさ、一緒に帰ろうよ。」
高校での思い出、俺らの馴れ初めなど話ながら帰ったが、進藤は終始寂しそうだった。
高校なんてすぐに卒業したいと思っていたのに、なんだか俺ももう少しここにいたいと思ってしまっている。
家に着くと、進藤は寂しそうにバイバイ、とだけ呟いて家に入っていった。
我が家では母さんが忙しそうに明日用のドレスを選んでいた。
そんなに気合い入れなくてもいいのに。もう高校生なんだから。
そうは思っていても、なかなか寝付くことが出来なかった。
卒業式。
いつもと変わらないはずの教室なのに、なぜか違う景色に見える。黒板に書かれた【卒業おめでとう】の文字のせいだろうか。
「なぁ蓮、美大の入学式って髪染めていいんかな?蓮染める?」
「いや俺は染めないって。気早いなこれから卒業式だってのに。」
まぁ俺も美大が楽しみではあるんだが。
「卒業生、入場」
アナウンスが流れると同時に、我々は体育に拍手の中入っていった。壁を見渡すと昨日作った輪っかが目に入った。あれ、ほんとうに必要か?
体感では驚くほどすぐに終わった卒業式のあと、泣きじゃくる母さんの下へ向かった。
「本当に蓮を産んでよかった。おめでとう。」
最近涙もろくていけない。母さんが泣かせに来てるのもよくないな。もしじいじが卒業式に来ていたら、泣いてくれただろうか。
『3つ目はな、まぁなんだ、その、わしは蓮を愛しとる。ずっとだ。蓮がわしをどう思っても、蓮はわしの大事な孫だ。』
「おーい、れーん、みんなで写真撮ろうぜ!」
実の声が聞こえる。
「おう、今行く。」
美大に入ったら1番最初にじいじの笑った顔を描こう。とびっきり丁寧に、それでいて大胆に。
「とにかく、やってみっか。」
そう呟いてみんなの下へ駆け出して行った。
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