昼休みにC組に行くと、弁当を持って席を立ち、教室を出て行った。
距離を保ちながら尾いて行くと、教室棟を出て体育館に到着する。しかし体育館には入らず、グラウンド側の側面とは反対――景観を整えるための樹木や茂みなどしかない、裏庭に沿って進み始めた。俺は近くを尾いて行かず、影に隠れて様子を見た。
七緒は、いつも閉じたままの体育館の扉の前で止まり、手前にある階段に腰掛ける。そして、膝上で小さな弁当箱の包みを解き、箱を開けて箸を取り出し、ゆっくりと手を合わせた。
遠目に見ても、あの量で足りるのだろうか、と心配になるが、問題はそこではない。七緒は、毎日あの場所で昼食を摂っているのだろうか。そうだとして、雨の日はどうしているのだろう。一人になれる他の場所で食を摂っているのだろうか。教室で一人で読書するのは苦にならないが、食事をするのはそうでもない、ということか。悠に遭遇した時の豹変が動揺を表していたのだとすれば、それを鑑みるに、そこまで肝が据わっているわけではなく、存外繊細なのかもしれない。なら、教室で読書をしていることも、実は気詰まりで、苦痛に耐え忍んでいる、という可能性もある。
食事を終える前にその場を後にし、教室へ戻るため足を向けた。
◆
教室に戻り、弁当を十分以内にかき込み、また教室を出た。
生徒玄関に最も近い場所に位置するその部屋へたどり着き、扉をノックして開き、入室して挨拶をした。
先生に用があって来たことを言い、担任教師の机に近づいていった。
先生はすでにこちらへ椅子を向けており、さも来ると思っていたという顔をして視線を合わせてきていた。
教員机の前まで来ると、俺は言った。
「先生、色々と訊きたいことがあります」
その言葉で、察しがついたようで、
「志津馬君、騙して悪かったわ。ごめんなさい」
と、頭を下げてきた。衷心より詫びているのが所作から感じ取れる。それを見て、
「それはいいんです。何か理由があるってわかりましたから」
と答え、昨日あったことを掻い摘んで話した。
話し終えると、神妙な面持ちになり、七緒のことを綿々と語り始めた。
それを要約し、主観として並べるとこうだ。
先生は推測通り、七緒に顧問を頼まれていた。彼女の力になろうとして、部に所属していない俺を秘密裡に部員候補にしようとした。一教師としてあるまじき行為かもしれないが、その行為は一人の生徒のためだった。簡潔に言えば、先生は七緒を心配していたのである。ではそれはなぜか。それは、小中学生の時の彼女を知っていたからだった。小学六年生の時に、教育実習生として出会ったのだそうだ。その時の彼女は、容姿と頭の良さとが相まって、人気者だった。今も容姿と頭の良さは健在だが、しかし、今とは決定的に違う点があった。小学生の彼女は、現在と比べ物にならないほど活発だったのだ。加えて自分を飾らず、快活に笑う生徒だった。
先生は二年後、赴任先の中学で七緒と再会した。だが、彼女は変わってしまっていた。それは、校内の大半が認知している今の「七緒水月」そのものだった。物腰が柔らかく、静かで、清楚な良識人。そこにかつての七緒水月はいなかった。その時、すでに、彼女は独りのことが多くなっていたそうだ。
先生はずっと彼女を気にかけていたが、力になることはできなかった。しかし高校で奇しくも再会したことをきっかけに、行動を起こし、今回の件の契機として、役を演じることを決めたのだった。
つまり、俺を部員候補にしようとしたことは、七緒とは共謀しておらず、先生が単独で行ったことということになる。猫鼠同眠ではなかったということだ。
先生は話し終えると、少し疲れたような表情になったが、それでも俺は訊いた。
「水曜日の昼休み、俺に入部する部を早く決めろって言いましたよね」
「ええ」
「その時――正確に言うと先生が職員室の中に視線を移した時なんですけど、あの時見ていたのは……七緒さん、ですか?」
ゆっくりと訊くと、相手の目は少し見開かれたように見えた。
「ええ。そのとおりよ。よく気がついたわね、志津馬君」
ようやく得心した。なぜ七緒が、『俺が部に所属していないこと』を知っていたのか。なぜ『俺が七緒水月を知らないこと』を知っていたのか。――おそらく、七緒は、俺が職員室で先生と話していた時、まさにその場所でそれらを聞いていたのだ。だから俺を勧誘しようと思い立ち、放課後、尾けていたのだろう。
煎じ詰めれば、今回の件の呼び水は、『職員室で先生と話していた内容を、七緒が聞いていたこと』、それだったのだ。
またも謎が解け、胸の空く思いを感じながら、
「あともう一つ。七緒さんは……精神疾患とか、そういう類の病気とか、患ってなんかいないですよね?」
訊くと、「どういうこと?」と首を傾げた。
「いや、俺の思い違いだとは思うんですけど、一応確認を取っておこうと思って」
そう言うと、腕を組んで幾らか沈思黙考し、答えに行き着いた、という顔をして口を開いた。
「ええ、そのはずよ」
はっきりとした口調と面持ちでそう答える。それを聞いて少し気持ちが浮き上がるのを感じた。
「そうですか。わかりました。ありがとうございます」
情報提供に礼を述べると、
「どうする気なの? 志津馬君」
心配する声音で訊いてくる。
一呼吸置いてから、できるだけ誠実に答えた。
「話してみます。七緒さんと」
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