客足が収まって、再び俺達だけになった時、部長はマスターを呼び出した。
そつのない運びで、逆に言えばそつがなさすぎて、安心や安定感、泰然たる態度さえも超越し、我が国を闊歩する暴君の如く見える足取りで、その人は俺達に近づき、
「アレかい?」
不明瞭な代名詞とともに睨んだ。いや違う。これは多分……笑っているのだ。どうしても「アレ」が法に引っかかりそうな「アレ」にしか聞こえないが、これは部長の意図を汲んで、そういうことだろう? とほくそ笑んでいる顔なのだ。多分きっと恐らく。コーキィコーキィ?
「お願いできますか?」
礼を損なわない声音で言う。
「わかったよ。今なら客も少ないしね」
しようがないね、といった風に肩をしゃくり、そして徐に奥へ戻っていった。
……何をおっぱじめる気だ。何を。
しばらく待っていると、梨を長くしたような妙な形の箱を提げて戻ってきた。そして箱――ではなく、ケースから取り出したるは……まさかのヴァイオリン。
……え。それ、バット代わりに使うの? 誰に使うの? なんとか組の人に? ゾクのライバルグループのリーダーに? と戦慄していたら、ペグを回して調弦を始める。
それが終わると、出入口から見て右端にある空きスペースに移動した。
こちらを向いて静かに一礼。肩にヴァイオリンを置き、顎で挟みこむようにして支え、最後に粛々とした所作で弓を構えた後、一呼吸置いて旋律が聴こえ始めた。
長閑やかな春の日の昼下がり、小さな隣人の声が聞こえ、私は窓を開けた。
外に出て声の主を探すと、かわいらしい隣人は木の上で一人歌っていた。
少し近づいて、「友人はいないのかい?」と訊くと、こちらを向いてあいさつしてくれる。
それに温かい気持ちで応じると、隣人は翼をひろげて飛び立っていった。
太陽に向かうその姿を、私はやわらかい心で見つめていた。
ある日のこと、長らく聞いていなかった声に惹かれ、外に出た。
木の上を見ると、隣人の傍らには私の知らない人がいた。
彼らは歌うようにお喋りをしていて、私が「友人を紹介してくれるかい?」と近づいて訊くと、彼らは「私のこともそうだ」、と言うように周りを飛び回りながら歌い出した。
私はすっかり楽しくなってしまって、踊りだしそうな気持ちで一緒に歌った。
そうしていると、私の友人がやってきてこれに加わり、私は、さらに胸を高鳴らせた。
幾らか経って、隣人とその友人が、生涯を共にする間柄になった。
私と、私の友人は、それを祝うためにお茶会を開いた。
樹のそばで行われたお茶会は、彼らと私達の歌声で彩られ、ダンスによって心躍る時間となった。
彼らは木の上に家を作り、本当の隣人となった私達は、毎日賑やかに歌って過ごした。
……。
…………。
………………。
手を叩く音が聞こえてくる。
「ありがとうございました」
部長の声。それを聞いても俺は目を開けることなく、余韻に浸っていた。
隣人は怪鳥となり、魔の調べで私の心に呪いをかけた。
心は脳を蝕み、脳は心を蝕む。そして徐々に体を侵食していく。
怪鳥は私の元を去り、小鳥の姿になってどこかで暮らす。
呪いが消えることはない。一瞬、忘れることはできても、泡のように必ず浮かび上がる。
呪いは私が息絶えるまで続く。
私が子を成せばその子にも呪いが及ぶかもしれない。伴侶にもその可能性はある。
だから私は独りで死なねばならない。誰に頼ることもなく、独りで。
全ては怪鳥の所為。そう思いたくもなるが、そうではない。
どちらにも原因があったかもしれない。もうそれはわからないような気もするが……、私だ。
私なのだ。全てが私の所為ではなかったかもしれないが、私が――彼らを怪鳥にした。
現に彼らは私の元を去るとき、小鳥の姿に戻って飛び去っていった。彼らは元は小鳥だったのだ。
もうわかっただろう、私の正体が。
私が何なのかが。
幾ら鏡を見ても気づかなかった私の姿が、今なら目を瞑ってでもはっきりとわかる。
……さあ、とくとご照覧あれ。
我が身に宿る想念を。
我が身に宿る災厄を。
人が神に見放されたその契機が、今ここに在る。
そう、私の名は。
――――――■■だ。
途中から厨二病を発症した。恥ずかし過ぎて死にたい。
そうだ。ここから上の数十行を謎の白紙にしよう。それか、誰かにビリビリに破くかスクラッチしてもらう。そう、例えばウルヴァリンとかに。
……ローガンを作った会社に対しての何やかやをここでぶち撒けてもいいのよウルヴィ。
「悪いね、下手な演奏で」
無愛想に言う。
「どうだった? 志津馬君」
そう訊かれて、思い出したように目を開き、少しまごついてしまった。
「えっと……いや、感動しました。どう言ったらいいかはわかりませんけど」
どうしてそんなことしか言えないのか。心の底からそう思う。
「そうかい。ちっとは出し物として見れた、じゃないね、聴けたものだったみたいだね。それじゃ、アタシは奥にいるから、何かあれば呼びなよ」
ヴァイオリンをケースに戻してから、マスターは奥に戻っていった。それを見ていると、にわかに部長がこちらを向く。
「志津馬君。辞めてもかまわない」
いきなりで混乱した。
「えっと……何をです?」
「部をだ。確かに入部したが、今日は体験入部として考えてくれてかまわない」
「……は、はあ」
少し考えると、答えに行き着いた。要するに、そういう選択肢があったにもかかわらず、入部した俺を気遣ってくれているのだろう。いろいろあって気づかなかったが、その選択肢もあったのだと。
ふむ。それならお言葉に甘えて、猶予期間ということにしておいてもらおうか。
「まあ、考えておいてくれ」
そう言って、少し冷めたコーヒーに口をつける。
返事をしてから、それに倣った。
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