ファッキューを数えよう。別に他の言葉でもいいが。この作品を読んでいて、もしくは日常生活を送る中で、自分がどれだけファックとか、タヒねとか、言葉にはしなくとも憎しみや怒りを誰かや何かにぶつけたり、念じたり、将又それらを呪いにして何度も感情を発露させたり……なんだっていい。自分が、してはいけない、悪いことだと思っている感情や言動を、この文章を読む中や日常生活でどれだけ犯しているか。それを数えよう。時間のない人は心に留めておくだけでもいい。そうでない人は何かにメモしてみてもいい。そうすれば、このどうしようもなく下らない話が、ほんの少し違って見えるかもしれない。
好奇心は猫をも殺すと言うが、それは大袈裟なのかも。
全てはあなた次第で自己責任だ。
この本を手に取り、カバーを開いて扉を開けたように。
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どうしてこの作品が「ぬ」から始まったかと言うと、面白くなかったから。……え? あら? 「る」だったかな? それとも「め」? ははは、ごめんね。「うぇ」だったね。他の作品と勘違いしちゃったかな? あはは。
……まあ、そんなことはどうでもいいよね。
とにかく、今でも面白くない(自分の中では、小学生が書いた作文の方が何倍も面白いと思う)けど、今なんかよりもっとひどかったんだ。言うなればクソだ。誰だってお腹を壊す人はいると思うけど、そうなってトイレで座っている時、大体こう思わない? (くっそ~……)とか、口に出して「クソ……」なんて。で、そのあと思うんだ。(糞だけに……はぁ、笑えない……)なんてね。平たく言うとそれくらいクラップ! だった。だからこうなったんだ。俺の知り合い(今は友達じゃないよ)が言うには、
「工夫されてない回想って読む気失せる」
「回想嫌い。だって過去のことじゃん。これからどうなっていくかが知りたいのに、昔のことなんかあんま興味もてない」
だってさ。
言われてみれば、回想って面白くないかもしれない、とその時の僕は思った。
多分、回想に入ったとき、(どうせこういう話なんでしょ?)と見当がついてしまうのが主な原因だと思う。要約すると、『おそらく未知じゃない』ってところだ。「プレゼント・デイ」がこうなっている――それなら、「six months ago」とかの内容は、到達点が見えているから、大凡こうならざるを得ない、と想像がついてしまうわけだね。それが原因で、未知なのに既知に思えてしまう、感じてしまう。なんとなく引いたおみくじが、大吉かと思ったら小吉だったみたいに(上手いたとえが浮かばなくてごめん)。
変化がない。刺激がない。好奇心が煽られず、満たされない。期待していないから席を立って出て行ってしまう。その意表を衝くのがプロの仕事、というより巧い人? なのだけど、これが結構難しい。――今だってほら、「面白くないから」なんて言いつつ、面白くないことを連連と書き綴ってしまっているもの。これだけ長々とくっちゃべってしまったら、回想に回す余裕がなくなってしまうのに。というかなくなったかな(笑)。だから回想をなるべく簡潔にまとめるね。
とりあえず、万が一、この作品を推理ゲームとして暇つぶしに読む人(そんな人いるの?)のことを考えて、必要な情報を漏らさないように書き連ねることにしたよ。たまに自分の言いたいこととか、どうしても聞いてほしいことが混ざることもあるだろうけど、許してくれたら嬉しい。
ではどうぞ。
と思ったけど、やってみてできあがったら全然簡潔じゃなかったよ……orz。どうしてこうなったか自分でもわけがわからないよ……。
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この物語には産まれたて赤ちゃんレベルの意味不明な偽英語(イミテーション・イングリッシュ?)が搭載されています。
偽英語を読むときはできるだけ上手に(目標はハリウッド映画の俳優が喋っているように)発音してみてください。
練習だとか勉強だとか思わなくて構いません。
自信がある人はネイティブよろしく。興味がある人はノリに乗って。そうでない人も、映画好きの人なら流暢な英会話を聞いたことがあるでしょう。それをできるだけでいい、真似して。全くやる気のない人はそうですね……読むのを止めた方がいいかもしれません。……ウソです。だってコレを読んでいるということは、少なくとも読む気はあるということですよね。読み飛ばす気満々にしても。それならそれでいい。黙読でも、アレンジでも、通りすがりの外国人にちょっかいを出して読んでもらっても。
どんな読み方をしようとあなたの自由です。当たり前ですね。
でも、公共の場所や、他人がいる場所では、空気を吸ってどんな味がするかを確かめてみてからにしましょう。
追伸:あのお方なら英語を織り交ぜた新しい、または面白いお話が作れそうなので万が一これを読んでいらしたらご検討願います。その場合はこのお話の物語生命、とでもいうべきものが失われる可能性が微レ――確レ存ですが、やる気がありましたらお構いなしにやっちゃってください(笑)。
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この世界の人々は生きている。演技などしていない。
他人と共存するための「演技」こそすれど、役を演じているわけではない。
彼らは私達が自然に生活するのと同じように生きている。
星は存在すれど、舞台やセットなどない。
あるのは「目」と「気配」という、監視撮影機である。
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