村についてからは、それはもう大騒ぎだ。
娘が戻ってきただの、救われただのと、村中が俺に礼を言ってきた。
礼の代わりにやったことだから、礼を言われる筋合いはないのだが……人とはそういう生き物なのだろう。
自身を犯す者を忌み嫌い、蔑み、隔離する。
自身を救う者を恋い慕い、敬い、受容する。
完全御都合主義の自分勝手な生き物。
それが人だ。
俺もその一人に過ぎないけど。
結局この称賛も上辺だけのものに過ぎないし、特段気乗りしたりはしない。
次々と村人が俺にこぞって来て、それが一息着いたと思ったら、一人の老人と一人の若娘が俺の前に歩み寄ってきた。
レイナと彼女の父だ。
先程までの村人たちと違って変に畏まっている様子だった。
2人が俺と少し距離を空けて足を止めると、俺はレイナと目が合った。
なぜかレイナに目を逸らされてしまったので、今度はレイナの父親と目を合わせる。
俺がしどろもどろしていると、レイナの父親が錆びた声で、けれど思いのある声音で俺に言った。
「ありがとう」
それが他の誰よりも深い感謝だと、俺は感じ取った。
「本当ならば先に謝罪をしなければいけないのだが……」
「謝罪? ……あぁ」
そういうことか、と俺は皆まで言われずとも気付いた。
おそらくレイナが俺に”村がモンスターに襲われた”と嘘を言ったことだろう。
俺の予想を確信付けるように、レイナは父親の一歩後ろで俯いていた。さっきからどこかよそよそしいのも納得がいく。
だが、俺は嘘をつかれたことを全く気にしていない。仮に賊ではなく、モンスターに襲われていたとしても、俺はレイナに恩を返すために動いていたからだ。
だから、彼女たちの謝意は杞憂に過ぎない。
「別に問題ない。どうせ賊に襲われたことを隠したことだろう?」
図星だったのか、俺がそう言った途端レイナが肩を揺らした。
前髪に隠れて彼女の顔がよく見えなくなる。
もう夜も更けているし、あまり長話はしたくない。何よりこの件は、俺がレイナに借りを返すためにしたことだ。先ほどの村人たちも宴を催すと言ってくれたが、俺には不要。
今は少しでも休息が欲しかった。
作戦はうまく成功し、無事に村娘たちを救出することはできたものの、かつての”能力値”より遥かに低い俺にとっては、実際かなり負担の大きいものだった。
粉塵の中でばれずに動くのも、相手の急所を的確に狙って殺すことも、一歩間違えば俺が殺されていたかもしれない。そう思うと身の毛がよだつ。
培った技と経験がそれを可能にしてくれたからよかったが。
俺は面倒な話などせず、休みたかった。
それでも、現実はそうはさせてくれない。
レイナが一歩前に出て父親の隣に立つと、勢いよく深々と頭を下げた。
「本当に申し訳ありませんでしたっ。正直に言えばよかったところを嘘を吐き、テオ様には多大なるご負担をおかけすることになってしまい……見破られていたとはいえ」
「だからいいって。それに俺はただ人を殺しただけだ」
彼女の言葉もまた本心からでるものなのだろうが、俺はお構いなしに告げる。
自分の手は汚れているのだと。村娘を救ったという表向きの功名はあれど、その実俺はガザルを含む数名を殺している。
冷たい夜風が吹き抜け、俺の肌をちくちくと刺してきた。
煩わしいとも思ったが、この冷たさが人を殺した俺を蔑んでいるようで、罪悪感を和らげてくれる。
「しかし――」
それでも食い下がるレイナの言葉に割り込んで、俺は言葉を並べた。
「それに――今言った通り俺は人を殺しただけで何もしていない。あいつらの根城に忍び込めたのも、作戦通り混乱を装えたのも、娘たちを出せたのも、全部お前のおかげだ、レイナ」
「え?」
「お前が勇気を出して俺に助けを求め、協力してくれなかったら成しえなかった。何より、お前が自らを犠牲にする覚悟で賊に掴まろうとしなければこの作戦すら実行できなかったんだ。全部、お前の力と勇気だ――」
「テオ様……」
「レイナの一時の勇気が、一生の後悔を失くしたんだ。自分を誇れ」
そう、俺は何もしていない。
勇気を出したのはレイナであって、俺に村娘を救いたいという意志があったわけではない。間違いなく、今回の件で一番の立役者は彼女だ。詭弁にも聞こえるかもしれないが……。
想起するのは、彼女の勇気を、かつての自分と重ね合わせて蔑んだ自分。
愚かだ。
彼女は、勇者という業を背負っていた自分とは違った。自分自身で奮起し、勇気を見せたというのに、俺が抱いた感情は失礼すぎるものだ。
「悪かったよ」
「え、どうしてテオ様が謝れるのですか?」
俺の口から出たのは謝罪の言葉だった。
他意はない。ただ言っておかなければいけない気がしただけだ。
何故ですかと聞いてくるレイナに、俺はそれ以上何も言わなかった。
なんやかんや、村人たちは娘たちの無事の帰還を祝して宴を催していた。
遠巻きにがやがやと幸せに満ち足りた喧騒が聞こえてくる。
彼らには俺もどうだと勧められたが、そういう気分でもなく、一人外れた場所で木の幹にもたれかかる。
「…………はぁ」
深い溜息を一つ。
このままだと一晩中飲み明かしそうだなと辟易するが、あくまでも俺は部外者だ。それを誰かにまんま口にすることはない。
暫くすると、奥で宴の中心となっている炎に背中を向けて俺の方に一人歩いてきた。
「もしよければ、私の家でお休みなさってください」
そう言って、顔を見せたのはレイナだ。
本心を口に出したつもりはなかったが、どうやら顔に出ていたらしい。「そんな顔をしていますよ」と微笑むレイナにあしらわれる。
彼女の手には飲み物が二つと、料理が盛られた皿が一つあった。
それをそっと俺の近くにおいて、ふぅ、と息を漏らしながら隣に座る。
「宴、いいのか?」
「はい、私は十分楽しみましたから」
苦笑にも思える笑みを浮かべ、レイナは俺に飲み物を一つ手渡してきた。
特に断る理由もないので、それを受け取って一口含む。
葡萄酒だ。
口に広がるほろ苦さと葡萄酒特有の香りが鼻を抜けていく。
「おいしい、な」
「ありがとうございます」
「レイナが作ったのか?」
「あぁいえ、村のものです。でも、ほんとに……ありがとうございます」
膝を曲げ自分の身に寄せて、両手で持った飲み物で口元を隠す彼女を横目に、俺はもう一口、葡萄酒を含んだ。
向こうで炎々と盛る焚火の光が照って、なんとなしにレイナが艶めかしく、それでいて可愛らしく見えてしまう。邪な感情に嫌気がさした俺は、皿に盛られた肉串を取って、自分の感情を隠すようにほおばった。
しっかりと火に通った肉から溢れる汁と、程よく乗った塩味が効いていて絶品だ。
うん、おいしい。
「……」
「……」
会話が途切れる。
ずっと戦いに身を浸していた俺は、女性と二人のときどう接すればいいのかわからない。先日、リンと会った時も碌な会話をしなかったし――疎いのだ。それと扱いが難しい。
昨晩はこんなこと感じもしなかったというのに……。
「……テオ様は、村を出られるのですか」
「ん? あ、あぁ、明日にでも行く」
「そうですか……」
「あぁ」
再び訪れる沈黙。
なんだこの形容しがたい空気は。とても気まずい。
俺が胸中でしどろもどろしているのを知ってか知らぬか、レイナが口を開く。
「この木、とても頼りがいがあると思いませんか?」
「え、そうだな。太いししっかりした木だ」
「これ、オウクの木って言うんです。村の名前はこの木から来ているんですよ」
「なるほどな。これだけしっかりしたものなら名前にしても恥じることはない」
そう言って、俺はしっかりと背中にオウクの木を感じながら口にする。
実際、この木は村内にある他の木よりもしっかりとしていて、存在感がある。
でもどうして彼女はそんなことを話すのだろうか。
「私はこの木が好きです。村の名前にあるのもそうですが、私が生まれたときからずっと根を下ろし、佇んで見守ってくれています。雄大で、安心感があるそんな感じです」
「そうか。確かにこの木を背にして戦うなら死に物狂いで守ろうと思えそうだな」
「ふふ、テオ様らしい例えですね」
「あ、悪い。物騒だったな」
「いえ、構いません。これでも、私はテオ様とお話しすることを楽しんでいるんですよ?」
ちょこんと首を傾げこちらを見てくる彼女に、俺は顔が熱くなるのを感じた。
彼女は何度俺の顔を熱くさせるのだろうか。
楽しんでいると言ったって大した会話はしていない気もするが……だが、悪くない。
そんな気がした。
その後、俺とレイナは談笑に耽った。
「ん……ぅ」
目を覚めると、丁度視線の先に朝日が見えた。
どうやらオウクの木にもたれかかったまま、一夜を過ごしてしまったらしい。
意識がはっきりして、左肩が妙に重く感じることに違和感を覚えた。
まさかと思いながら目線だけずらすと、すぅ、すぅ、と可愛らしい寝息を漏らして、俺によりかかるレイナがいた。
彼女もまた、オウクの木の下で一晩を明かしてしまったようだ。
このままでは村長に怒られてしまうのではと、大事な一人娘をこよなく愛する村長の顔を想像する。そんな自分の思考に冷や汗をかくも、俺は視線を前に戻した。
するとどうだ、昨晩盛っていた焚火は炭となって消えており、その周りには、一晩中飲んでいたであろう村人たちが倒れていた。みな泥酔して寝てしまっているのだろう。
その中には村長らしき姿も見受けられた。
年甲斐もなくなかなかやるな、と感心しつつ、女性陣の姿が少ないところを見ると、それぞれの家で寝ているのだろうか。
妻子持ちはまず間違いなく怒られるだろうな。
俺は再び、寝息を立てるレイナに視線を流した。
「ぅ……ん、ゃ……」
どんな夢を見ているのやら……俺は彼女を起こさないように支えながら、そっと体を起こした。
そのままオウクの木を離れ、散歩の要領で村を歩く。
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