数分ほど獣道を進むと奥の茂みからガサガサと何かが近づいてくる音がした。
まずモンスターで間違いない。
腰を低くして腰に提げた剣の柄に手を添え警戒し、ゆっくりとその茂みを迂回するようにして足を動かす。
「――――ッ」
「ガルルアアアアアアア!」
突如、茂みから一匹の狼が飛び出してきた。喉を鳴らして飛びかかってきた狼に、即座に抜剣した剣を横にその牙の餌食になることは逃れる。しかし狼の力は存外に強く俺の剣はジリジリと押し返されていく。
「くそがっ」
悪態を吐きながら、腕に最大限の力を込めてどうにか狼を引き剥がすことに成功した。そこでようやく、相手の姿を視認する。
狼だと思っていたモンスターの体は人型だった。狼頭の下には、筋肉がついているのか、と思うくらい痩せた四肢がくっついている。
嫌でも目に入る狼の頭部から肩ほどまでかけて灰色の体毛が無作法に生えている。
「コボルトか……」
主に夜の森林部で活動する大して強くもないモンスターの一種だ。
“能力値”も低く、モンスター退治を始めたばかりの戦闘初心者が好んで狙うモンスターで、ゴブリンやスライムに並び弱い。
これなら、と右手に持った剣の柄を握りしめ、僅かに口角を上げて地面を蹴る。
コボルトに接近し振り上げた剣を振り下ろす。
「なっ……!?」
無残にも俺の剣は空振りに終わった。
動揺する俺を見たコボルトは、可愛い遊び道具を見つけたように涎を垂らして、不気味に笑う。
空を仰ぎ頭上に浮かぶ月に向かって吠えたコボルトに接近を許し、その細腕のどこから生まれるのか分からない腕力に薙ぎ払われる。
コボルトの薙ぎ払いが直撃して、俺の身体は空に放り投げられ直立していた大木に衝突した。
「ぐ、あ゛ぁ、はっ」
大木を粉砕しながら、並々ならぬ衝撃が背中を伝い激痛が襲う。
地面に四つん這いになって悶えた。
皮肉にも、それから数十秒俺はコボルトに嬲られた。
体に伝う痛み以上に精神的な痛みに襲われる。
剣を振ってもコボルトには中々届かず、避けようとしても間に合わない。
相手はゴブリンやスライムに並ぶ弱小モンスター。
俺のプライドはズタズタだった。
「はぁあああああああああ!」
気合を込めて剣を振り払うが、その瞬間しまった、と自分の愚かさを感じ取ってしまった。
タイミングが遅れたのだ。このままではまた空振りしてコボルトから反撃を――そこまでして、俺の目に想像とは反する光景が映った。
「ガァァァアアアアアア」
コボルトのその叫びを最後に戦いは終わった。
上下に一刀両断されたコボルトは灰と化し消滅する。
「どうして…………」
間違いなく最後の攻撃は遅れた。剣がコボルトに届くことなく、俺はコボルトの餌食になっていたはずだ。
2分ほど思考をめぐらしたところで、俺ははたと自分の体を舐め回すように見た。両手を開閉させ視線を小さくなった手に落とす。
「もしかして――」
思い立ってからの俺は早い。
新たな敵を求めて、森を散策し始めた。
夜が深まっているせいか時間を要することなく接敵した。単独行動をしているコボルトだ。
コボルトは3、4体で行動することが多いのだが、モンスターの繁殖期が近いのだろう。モンスターの習性として、雌にいいところを見せたい雄は単独行動をするのだ。
先ほどの個体と大して変わらず背中を丸くして二足歩行で夜の森を徘徊している。
「はあっ!」
気合とともに出会い頭のコボルトを左右に分断した。
例によってコボルトは灰と化し消滅した。
「やっぱり、か。こんなことであんな雑魚に手間取っていたなんて、最悪だ」
悪態を吐きながらも確かな手応えを実感し、自分の考えが正しかったことを肯定した。
俺は現在16歳ということになっている。それがこの世界に戻るうえで、あの魔王に出された条件の1つ――本人は趣味と言っていたが――で、これは俺の以前の年齢よりも低く、体も小さい。つまり相対的に俺の体は若返っているのだ。
前よりも小さくなった体で大きかった頃の要領で戦っていては、まともな戦闘にならないことにも合点がいく。
だからこそ、俺は以前よりも遅く、近くで敵と戦わなければいけなかったのだ。
「まぁそれに気付いただけでも上々だな。遠からず知る事にはなっただろうし」
一人呟き、夜の森の中を進む。
まずは森を抜けて、その先にある村へと向かおう。それが第一優先だ。
そう決心した俺は真っ直ぐと、迷いのない足取りで前に進んでいた。獣道こそ続くが、方角さえわかれば迷子になるようなことはない。
「リンには悪いことをしたな」
その言葉に返してくれる相手はおらず、独り言として鬱蒼と茂る草木へと消えていく。
俺がこうして次の目標を定められたのは、リンの存在が大きかった。
所々破けている地図を手元に広げ見ながら、その紙上にリンの顔を浮かべる。
この地図は先ほどこっそりとリンから拝借したものだ。奪ったわけではない。あくまでも拝借だ。いづれ返す。いづれ……。
「今日は、月が綺麗だな」
独りどうでもいいことを考えていると、接敵した。
繁殖期真っ定中のコボルトだ。数は3と今までと違って集団行動をしているが、関係はない。
「殺す」
一言呟いて俺は地面を蹴りつけた。
正面から一匹のコボルトに刺突。
モンスターの消滅条件は主に2つだ。彼らの心臓とも言える核――魔光石の破壊。もしくは、致命傷を負わせるかの2つで、言ってしまえば人間とそう変わらない。
しかし今の俺の刺突ではコボルトに致命傷となるほどのダメージを与えることはできない。
「はぁぁぁあああああああっ」
ならば、と俺は気炎を発して足をさらに奮起させる。
2匹のコボルトを巻き込み、俺はコボルトたちの背後に立つ大木に突貫した。コボルト2匹を貫いた剣が深々と大木に突き刺さり、コボルトの動きを封じる。
間髪入れず、俺は右後方に体を飛ばした。
思わず口角が上がってしまうのが自分でも分かった。
次に聞こえたのはコボルトの悲鳴とも呼べる叫び。剣には赤い血が滴っている。俺の思惑通り、コボルトは大木に刺さった2匹の仲間を殺したのだ。絶命したコボルトは魔光石を落として霧散した。
「今の俺でも頭を使えば複数相手でも遅れはとらないさ」
今日は月が綺麗だな。
再び同じことを思って、木々の隙間から見える月を仰いだ。
差し込む月光は、綺麗な影を月の元に写す。
「ガルゥアッ!」
胸の前に構えた古びた剣を振り上げ、接近してくるコボルトをゆるりと交わす。勢い任せに突貫してきたコボルトは数秒前と同じように、背後の木の幹を剣で叩いた。
深々と刺さった剣が抜けず躍起になっているコボルトは俺を忘れたように背中を見せる。
後は予定調和のごとく、俺の剣がコボルトの背中を核ごと切り裂いた。
核を失ったコボルトは断末魔を遺して灰になって消滅する。
「今日は月が綺麗だな」
呟き、木々の葉が揺れる音を聞きながら空を仰いだ。
「先を急ぐか」
その後も、幾度となくコボルトと遭遇したが、体の勝手を知った俺は苦労なく対処することができた。
コボルトを数匹倒しただけで“能力値”が上がるとは思えないが、元から技と折衝が備わっているのは運が良かった。
「あれがオウク村か」
森を抜け、左右を挟んでいた木々がなくなると、ひらけた場所に出た。少し外れたところに整地された路が見える。
広げた地図と照らし合わせても、視界に確認できる村が地図と同一のもので間違いないだろう。
この世界に戻って1日も経っていないが、これでまともな寝食にありつけるだろう。と、安堵を覚えたおかげか、自然と足取りも軽くなった――。
と思ったんだが、やはりそう上手くは行かないらしい。
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