20分ほど歩くとそれは姿を現した。
「ほぉ! ここが〈ギルド〉というのか。なかなかにでかい……魔王城にも匹敵するかもしれんな」
「へぇアスタロトの城は案外小さいんだな」
「なっ、誰が余の城といった!!」
などと他愛もないことを話すが、実際〈ギルド〉は大きい。
厳選されたであろう硬質で高質な石材を積み立て、さらには防護魔法を付与されているという話を聞いた。
その巨大さと堅牢な様は荘厳というに相応しい。
巨大な体躯を誇る〈ギルド〉だが、実際に冒険者が利用できるのは一階のフロアだけだ。ランクの更新やギルドからの特別依頼などの例外もあるが、一介の冒険者には縁のない場所でもある。
「そもそもランクアップ自体そう簡単な話じゃないしな……」
ランクアップの条件がレベルアップである以上、余程危険な依頼をクリアするしか方法はないだろう。
最上級と言われるSランクに振り分けられるのはレベル8以上。俺が知るところでレベル8に到達したのは七人だけだ。俺の知らない三年間のうちに増えている可能性もあるが、そうそう増えるものでもない。
「ん、七人? 主は――」
「今はいいだろ。入るぞ」
アスタロトの言葉を遮り、俺は歩を進める。
重厚感のあるギルドの門を潜り、俺とアスタロトは〈ギルド〉へと足を踏み入れた。
中で俺を待ち構えていたのは、十人十色の装備に身を包んだ数多の冒険者たちと、〈ギルド〉にひしめく喧騒だった。冒険者の数は百にも届きそうだが、それだけの人数が入ってもなお広く見える。
広い場所より狭い場所の方が落ち着くから、正直この空間はあまり性に合わない。なんならこの喧騒の外に逃げたいくらいだ。
〈ギルド〉の内部は決して金や銀といった華やかさはないが、柱や手すり、設置されたテーブルや椅子などをみるからに、職人が丹精込めて造ったものに違いない。華美ではないからこそ、素材本来の美しさが際立っている。
「そんなにみせつけたいのか……」
呆気にとられてつい本音を零す。
クリーガは”唯我独尊”を絵に描いたような人物で、よく自分の力を誇示したがる節があった。この〈ギルド〉の大きさは自身の地位の高さを、内装の品の数々は度量の広さを人知れず誇示しているのかもしれない。
そんなことに辟易と思ってしまう。
極めて不機嫌だ。
「同感だ……」
「え?」
俺の心中での愚痴を察したかのように、背後から一人こちらに向かってきた。
ギィギィ、と彼が現れたことを知らせるように、両開きの木製ドアが後ろで揺れている。
一言で表すのであれば【黒騎士】。
比喩なく且つ誇張せず端的に表せるのはそれだ。
上から下まで漆黒の鎧で包んでおり、寄りがたい雰囲気を放っている。同色の兜で覆われているせいで、その相貌を拝むことはできない。
素肌すら露出しない彼が、その兜の向こうで怪訝そうな顔をしているだろうことは、彼が落とした言葉から想像できる。
同時に、彼が入ってきた途端に静まる〈ギルド〉内部。
周囲の冒険者たちの視線を従えて、【黒騎士】は俺の横を素通りして、奥にある受付へと脚を運び、受付嬢に一枚の紙を置いた。
「おい、まじか……」
「もう帰ってきたのか……」
「いくらなんでも早すぎだろ」
喧騒を生んでいた冒険者たちが、【黒騎士】に目を当てながら今度はひそひそと囁く。
「い、依頼の完了確認致しました……無事の御帰還おめでとうございます……」
彼と相対している若い受付嬢は新人だろうか。声は震え、ひきつった笑顔のせいで本来ならば可愛らしいであろう美顔が崩れてしまっている。
当の【黒騎士】にはそんなこと関係無いようで、作業のようにどこか機械的に次の言葉を口にする。
「次の依頼はあるか?」
「え、えと……ただいま確認しますので少々お待ちくださいっ」
ここ最近、俺は以前の知り合いと会うことが多いようだ。
彼の場合は知り合いというほど親交があったわけではないが。
既知しているというだけであって……。
――【黒騎士】――
いつからか彼はそう呼ばれていた。
本名も、年齢も、経歴すら全て謎。知られているのは、彼が全身漆黒の鎧で姿を隠していることと、並ならぬ実力だけだ。
その実力は勇者に匹敵する。俺たちがモンスター討伐を受け、その場に向かった時には、彼が一人でモンスターの大群を殲滅していたことさえあるほどだ。下手をすれば、勇者たちを凌駕する力を秘めているかもしれない。
一度遭遇した時には言葉を交わすことなく、一瞥もくれず無言で去る。
それが彼と言う人だった。
その兜の下を見たことがないから、本当に人なのかすら怪しいが……兎にも角にも、彼は勇者にも匹敵するほどの実力者であり、俺が知るレベル8に到達したであろう一人だ。
「言葉を交わしたこともないのにレベルが分かるのか?」
「いや、俺らと同等以上だったからそれくらいじゃないとおかしいんだよ。8から上はそれ以下と”能力値”に根本的な差がありすぎるからな」
なるほど、とアスタロトは納得してくれたようで、じっと【黒騎士】の方を見ている。
受付嬢の仕事を斡旋している間、【黒騎士】は一人黙って受付で立ち尽くしていた。
彼に誰かが話しかけるわけでもなく、ひそひそと遠巻きに見ているだけで〈ギルド〉内は騒然としている。
かといって、俺が話しかけたところで意味もないし、俺は俺で自分の用を済ませるしかない。
床に縫い留めていた足を剥がし、【黒騎士】の通った床を踏んで、彼の隣の受付嬢へと話をかけた……のだが、妙に周りの視線が重い。
どうしてだろうか。【黒騎士】への視線を俺が遮ってしまっているのか――違う。これは明らかに俺への視線だ。
俺は額に脂汗を滲ませながら目線だけを周囲に泳がせる。
「…………」
やはり俺に向いている。
何かやってはいけないことを犯したのか。
いつの間にかアスタロトは姿を消しているし、完全に浮いている。
特に視線が熱いのは俺の左側だ。
ギギギ、と音を鳴らすかのように俺は首を左側に向けた。
「…………」
「…………」
【黒騎士】と目が合う。
いや、相手は兜をしているしその奥にある目が見えたわけじゃないけど、明らかにその黒い兜はこちらに顔を向けていた。
「なにか?」
喉奥からやっと出た言葉がそれだった。
「いや別に……珍しいと思っただけだ」
「え?」
「私の横に人が来ることがだ」
ようやく、周りの視線と【黒騎士】の視線に納得した。確かに、ギルドに入ってくるだけで周囲を静める輩に、進んで近づく人はいないかもしれない。
何なら、依頼を斡旋してもらっている彼の邪魔をしてはいけない、という畏怖のような感覚だろうか。
ここでは、なんの躊躇も無く隣に立った俺が異端。
今更後ろに退くというのも気が引けてしまうので、「新人なもので」と一言添えて、受付嬢に説明を求める。
俺の行動によっぽど驚きだったのか、俺の目の前にいる受付嬢はおどおどとしながら、自身の役目を果たす。
「え、えぇとですね。冒険者の新規登録ですね。はい、分かりました」
「大丈夫か?」
「あ、はいっ、大丈夫です! えぇ本日は当ギルドへお越しいただきありがとうございます。まず新規登録する方にやって頂くことが――」
その後、氏名や種族などのプロフィールを指定された紙に記入し、説明を受けてつつがなく冒険者登録を終えた。
もっと色々作業をするかと思っていたが、そんなことはなかった。
名前はもちろん上しか書いていない。下の名をつけた時どんな弊害があるか分からないからだ。
俺は担当の受付嬢から最初におすすめと言われた薬草採取の依頼を受注して、〈ギルド〉を後にした。
「宿を取るにしても金がないからな……」
そう、俺は今金がない。
宿や食事もそうだが、一番の優先事項は収入源の確保だ。
「薬草採取、かぁ」
小さなため息がひとつ零れた。
受付嬢はマニュアル通りにしただけなのだろうが、せめてゴブリン退治、それこそコボルト退治くらいは勧めてくれてもいいだろうに……。
今度は深いため息を吐いて、とぼとぼと門とギルドを繋ぐ中央通路を歩く。
背中を小さくする俺に突然声がかかった。
前からではないことを確認して後ろを向くと、数分前に〈ギルド〉で見た黒騎士がいた。
「おい」
「ん?」
「ちょっと、こい」
……呼び出されてしまった。
何か悪いことをしましたか。いいえ、してません。
してないはずなのに、彼の放つオーラに逆らえず、俺はついて行くことにした。
人気のない路地裏。五階建ての高層住宅の間にできた陽光すら入らない静かな空間に、連れてこられた。陰に覆われた場所に漆黒の鎧を纏った騎士が立つと、子どもなら泣いて逃げてしまうだろう。
奥の壁に背を向けた俺は騎士と対面した。
身に覚えのないため、反抗的な調子で言葉を投げる。
「こんなとこに連れてきて何か用か?」
「お前は、テオか?」
瞬間、背筋がピンと張り詰めた気がした。じわじわと嫌な汗も出てくる。
まさか気づかれた!?
焦燥と困惑が俺の脳内を錯綜し、口を結ぶ。
挙動不審を隠せない俺は、彼に正体がバレることをしてないと確認しつつ、なぜバレたのかを思い巡らせた。
彼との接点は勇者時代だ。数度邂逅しただけで、会話があったわけではない。だが、鎧で姿を覆っている彼と違って、俺の姿はしっかりと見られている。
アスタロトのせいで16の姿にはなったものの、当時の名残はある。そこから推察したということだろうか。もしそうだとすれば、彼の洞察力は侮れない。
彼にバレても問題はないが、やはり俺が”テオ・グランド”という事は隠したい。
俺の存在が噂になれば、――リンのように俺を探している奴もいる――"復讐"の障害になり得るからだ。
ここは路地裏で、後ろには一般住宅の壁で逃げ場はない。5階分の高さがある住宅を飛び越えるような跳躍力を、今の俺は持っていない。
さてどうしたものか……。
俺と違って、彼の力は健在だ。
何の変哲もない剣一本の俺に対して、黒騎士は背中に一本の大剣を所持している。彼の膂力があれば、この狭い空間でも、建物を破壊しながら剣を振れるだろう。
戦闘になるような真似は、絶対にあってはならない。
いつしかアスタロトの姿は見えなくなっているし、頼ることはできない。今こそ、魔王として機転の利いたお言葉を頂戴したいものだ。
ならば残された方法は一つ。
彼から逃げず、戦闘を避け、穏便に片付ける。
「な、なんのことだ……?」
白を切る。
これしかないと目を泳がせて――多分声も震えている――掠れた口笛を鳴らした。
ひゅ~、ひゅ~と音色とは言えない、拙い音が飄々と漂う。
目の前で佇む黒騎士は、一向に口を開く様子がない。
元勇者とは思えない行動に動揺しているのだろうか。そうだ、きっとそうだ。そうじゃなきゃこいつが何も言わないはずがない。
胸中下品な笑みを浮かべていると、少し躊躇う声音が兜の中から落とされた。
「確か、登録書にそう書いていただろう?」
「……え?」
「お前の名は、テオで間違いなかっただろうか」
もしかして勘違いをしているのか?
少し様子を見てみてみるか……彼の話に合わせることにしてみる。
「あ、あぁ」
「そうか、よかった」
「それで俺がなにかしたか? 失礼を働いたなら謝るが、正直そんな記憶がない」
「……? 別に何もされていないが?」
おいおいおい、と走る声を押し戻して、小さく深呼吸。
平静を取り戻し、彼の目的について逡巡する。
彼は名前を確認するためだけに、路地裏に連れ込んだのだろうか。俺は何もしてないと言ってるし、皆目見当もつかない。
首を傾げたいのは此方なのに、熟考する俺の前で黒騎士は首を横に倒した。
熱暴走しそうな脳みそが、彼に対する苛立ちによって更に熱を帯びる。
もうややこしいことはやめだ。はっきりと聞けばいい。何のための口で、何のための言語か……俺は面と向かって騎士に問う。
「じゃあなんでここに連れてきたんだ?」
黒騎士は一息の間を置いて答えた。
「お前は、心に闇を抱えているな」
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