失墜勇者は復讐に猛る

堕ちた勇者は魔王と”契約”しゼロから偉業を刻む
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第1章

プロローグ 魔王との”契約”

公開日時: 2020年9月2日(水) 17:56
文字数:4,620

 空を、仰いでいた。


 まるで数分まで行われていた激闘を忘れたように蒼く澄んでいる。地に背を付け大の字に広げた手足。体はとうに限界を迎え、動かない。

 周りには瓦礫の山ができており、下敷きにならなかったのは神による最後の慈悲だろうか。

 しかしそれももう意味のないことだ。血を流しすぎた。瞼は重く、息をすることにさえ苦労する。


『彼の勇者ともあろう者が惨めだな』


 幻聴が、聞こえた気がした。

 白濁とした思考と霞む視界が邪魔をして仕方がない。目を動かすことすら許してもらえない俺に、まるで直接精神に語りかける囁き声。


『仲間に裏切られ、単身でマルファスに挑むとは聞いて呆れる。何より絶望的でありながら魔王討伐という“偉業”を成し遂げてみせたその器。余は感服だ』


 そう裏切られたんだ。

 世界を蹂躙する魔王の一人を討伐するために立ち上がった最高の仲間たち――それも今では憎たらしい残骸に過ぎない。



 彼らは俺を裏切った。



 魔王――マルファスという絶対悪を前にして、背を向けて逃げた。

 如何に俺がマルファスを討つために奮起し、数ある苦難を越えてきたか……仲間である彼らに、いや、仲間だった彼らに救われたこともあったが、その経験でさえ記憶に残っていることが忌々しい。


『憎いか?』


 あぁ、憎い。


『恨めしいか?』


 あぁ、心底恨めしい。


『殺したいか?』


 あぁ、したい。あいつらを……俺を捨てたあいつらを――、


『復讐したいか?』



 ――――あぁ。


 まるで俺の心を掬い上げるように、その囁きは鮮明に聞こえてきた。精神でも脳でもない。”魂”に直接干渉している。

 綺麗な声だ。

 清流を思わせるように落ち着いていて、母性を感じさせるように暖かい美麗な声音。でもどこか幼さを感じさせる。


 女神の声にも思えてしまうその声は、俺の心をそっと包んだ。

 絶やしてはならないと風前の灯火に薪を焚べる。

 鞭を打たれたように心臓が跳ね、急速に動きを速める。同時に、”復讐心”という名の油を注がれた。


 あいつらに復讐したい。共にした苦楽を蔑ろにし、共に掲げた意志を、誓いを、全てを放り投げ、自らの命欲しさに、俺を犠牲にした彼らに罰を――決して許されることのない罪人共に永久に盛る復讐の炎を。


『それを、今のお主ができるのか? その身体で?』


 …………無理だ。


 右脚は潰れ、左腕も寸断されたし、左腹部には穴が空き、右眼ももう使いものにならない。血も流し過ぎた。むしろこうして思考することができているのが不思議なほどだ。

 でも、それでも、この復讐の炎は弱まらない。もう決めてしまった。


 俺は勇者……だったんだ。偉業を成し遂げる力を持っている。マルファスを、魔王を一人で倒した。それなら、元仲間を殺す程度、苦じゃない。あいつらの技も長所も知っている。弱点も分かっている。

 簡単だ。

 あとは身体だけ――身体さえどうにかできれば。


『勇者と周囲から称されていた男も、堕ちれば簡単に堕ちるのだな。余は気に入ったぞ』


 そうか、なら……俺に寄越せ。

 気に入ったというなら、あいつらに復讐するための身体を、“力”を、寄越せ。

 女神様ならそれくらいできるだろう。


『戯言を言うでない。余のどこを見て女神という。いや見えておらんのか』


 じゃああんたは誰だ。俺を救ってくれるんじゃないのか。


『カッカッカッカッ。主は女神に復讐させてくれと懇願するのか。これから復讐をしようという奴を誰が助ける!?』


 それも、そうか……ならなぜ、あんたは俺の心を掴む。掬い上げようとする。女神だろうが、悪魔だろうが何でもいい。

 俺はもう誰も信じない。信じたくない。堕ちるとこまで堕ちたのも認める。だから、だから俺に、“力”を寄越せ。あいつらを見返してやるだけの“力”を――


『御都合主義にも程があるな。信じないと語り、主は今も余が主を助けると信じておるではないか』


 笑うなら笑え。俺はもう勇者なんかじゃない。周囲に称され、偉業を賞賛されるような勇者じゃないんだ。

 ただの人間――復讐を誓った”生の脱落者”だ。


『カカッ、面白い奴だ。心底気に入った。なら、余がその誓いとやらに手を貸してやろう』

「――――――――ぁ」


 息が漏れた。

 だが、よかった。俺はあいつらを――。


『“代価”を支払え』

「………………?」

無料タダで“力”を得られるわけがなかろう。余が主に与えられるのは身体と余の僅かな灯火のみ』


 それで俺に“復讐”を遂げろと、無茶を言うな。

 俺はあいつらを殺したいんじゃない、復讐したいんだ。これ以上ない圧倒的な力を見せつけて、恐怖に顔を歪めるあいつらをただひたすらに蹂躙し、嬲りたい。


『“復讐”は主の“意志”であり、余には関係ない。余は……そうだな、傍観者とでも思えばいい』


 なんだよ、俺を助けてくれるわけじゃないのか。結局最後はあいつらと同じように裏切るんだ……。


『それはどうだろうな』


 え?


『余が行うのは“契約”だ。“契約”は余と主の“血”と双方の“代価”によって結ばれる。“契約”は決して裏切らない。“契約”に嘘偽りはない』


 それをすぐに信じると思うのか。


『随分と捻くれてるな、もしや素が相当の屑だな? カカッ、安心しろ、今も言ったが“契約”は“血”と“代価”――代償が伴う、主も余もな』


 どうだかな……まぁいい。少しでも可能性があるなら乗ってやる。それしか道がないのも事実だしな。


「その……はな、し……………………のった、ぁ」


 肺も既に碌なものではない。声を出すのもやっとの中、俺は悪魔にも似た救済の手を――取った。



 途端に俺を中心にして真紅色の光線が地を駆け巡り、形容し難い文字を羅列しながら円状に広がる。

 事実、それは魔法陣だ。魔法を行使する際に顕現されるもの……各魔法によって微妙に異なる文字を刻まれるそれは、魔法を発動するための媒体。魔法を発動する際は魔法陣から魔力が漏れるため、魔力を簡単に感じ取れる。


 冷えた大地に魔力が迸り、背中の下で魔法陣が形成されるのを確かに感じ取りながら、持ち上げていた瞼を下ろした。

 意識が遠のいていき、一種の開放感が俺を包み込んだ。

 それは暖かく心地いい。

 感じるや否や、稲妻が奔ったが如く俺の体が跳ねた。



 既に使い物にならないはずの身体に活力が生まれ、二度目の雷に打たれ、俺はカッと瞠目した。

 限界まで見開かれた瞳に映ったのは数秒前までいた瓦礫の山に囲まれた空間ではない。

 泥々とした赤黒い霧のような何かに四方八方を覆われている。周囲を見渡しても、霧がゆっくりと攪拌されるように渦を巻きながら唯々俺を囲んでいるだけだ。

 下を見れば同様の霧が渦を巻いていて、思わず吸い込まれそうになる。


「浮いてる?」


 そう呟き、俺はハッと意識を戻した。

 声が出せるのだ。身体こそ修復されていないものの意識は明瞭とし、発声することもできている。


「それにこの浮いてる感じ」


 渦巻く霧に囚われていたが、どうやら俺の身体もまたゆっくりと回転しているらしい。深い水の中に、まるで海の中にいるようなそんな感覚だ。

 不思議と俺は冷静でこれといった動揺もない。むしろ落ち着く。


『慣れたか?』


 ふと数秒前に聞こえた声と同じ色の声が響いた。脳内に囁かれているようにも感じるし、この空間全体に響いているようにも感じる声の主は未だ姿を見せない。

 その言葉をこの空間にいる感覚のことだと理解して、俺は言葉にした。


「まぁ多少は……」


 今はそんなこと二の次だ。そう言わんばかりに俺はその声に返答する。勇者であった性なのか、それともただの虚栄心からか、さも当たり前のように現状を受け止め話を進める。

 そう、今俺が一番に欲しいのは“力”だ。俺を裏切ったあいつらに劣らず、嬲り、蹂躙する圧倒的なまでの“力”。



「俺は何を差し出せばいい?」



 “力”を得るためには、と単刀直入に切り出す。先ほど口にしていたお互いが払うという”代価”。

何を払えばいいのだろうか。勇者としての“地位”か“名誉”か、それとも“記憶”か?


『主の“能力”だ』

「は?」

『正確に言えば、主の“能力値”の全てだ』


 悠然と玲瓏な声音で告げられる。

 何を言っているのだと、正気なのかと当然の如く疑問を口にする。


「“能力値”を払うって――そんなことしたら俺はどうやってあいつらと闘うんだ!」



『もう一度積み上げればよかろう。それができないのなら、今ここで――死ね』



「――――ッ!?」


 反論の余地はない。むしろ反論はさせないという語気がその声から感じ取れる。

 実際、今の俺は満身創痍どころか瀕死の状態だ。ここで下手なことをして起死回生の光を無碍してしまっては元もこうもない。

 しかし流石の俺も、譲歩させてくれと言いたいところで、その声は追加事項を告げた。


『安心しろ、年齢は16の姿にしといてやる』

「どうでもいいわッ!」


 思わず叫んだ。


『まぁそれは余の趣味としてだ』

「おい――」

『主が“代価”を払った後、新しい“能力値”をくれてやる』


 どうやらこの声の主は頭のネジを吹き飛ばしたらしい。


 確かに現実世界において“能力値”は存在する。如何なる人にも動物にも、植物や鉱物にだってある。この世の理に属し、形を成すものが神から平等に賜る恩恵とも言えよう。と言っても、与えられるということが平等なだけで、中身はそうでもないのだが――それより、だ。


 “能力値”を与えるというのはそれこそ神の所業であり、ある意味この世の理に反している行為。神が授けたものを捻じ曲げようというのと同義だからだ。

 そのような事を何不自然なく宣う声の主の倫理観を、俺はどうも疑ってしまう。

 既に捨てると決意したが俺は元勇者だ。神の寵愛を授かり、だぐい稀なる“能力値”に心技体を織り交ぜ、勇者としての“才”を遺憾なく発揮してきた。


 神が授けた恩恵の賜物であり、信仰とまでは行かずとも敬愛の念はある。

 神の贈物を、理を、捻じ曲げようとはどう言った領分だ。そんなことをしていいのはそれこそ神くらいなもので――まさか、と。

俺の思考を横一直線に一つの可能性が駆けた。しかしそれも束の間、声は俺に纏わり付き絡むように囁く。



『“復讐”してやりたいのだろう? 嬲り蹂躙してやりたいのだろう? それもそうだ、あやつらはお前を裏切った。長い旅路の中で苦楽を共にし、血を流し、癒し、時にぶつかり、時に酒を酌み交わし、共に歩んできた。その時々の想いに偽りはなかったはずだ。しかし――あやつらはお主を裏切った。共に魔王討伐を掲げ、いざその時が来てあやつらはどうした。お主が背中を預けた仲間とやらはそこにいたか?』



 ――――――いなかった。



『“復讐”を遂げるのだろう? 主が味わった以上の苦痛と悲痛を持ってして、あやつらを貪る。違うか?』



 ――――――違わない。



『なら主の答えは決まっているだろう』

「俺の全てをお前に渡そう」


 その瞬間、ニッと声の主が口角を吊り上げたような気がした。

 遅々として渦を巻いていた赤黒い霧は急速に巻く速度を速める。背面から何かに押し出されるように俺の体が持ち上げられていき、上からのしかかる重力を感じる中で、俺はその声に耳を傾ける。



『汝、血の”契約”によって交わされるは絶対の結び。如何なる理をして是を壊す事叶わん。払うは汝の“力”。払うは我が“理”。求むるは不屈の“魂”。求むるは絶対の“意志”。“意志”を糧とし、汝、“魂”を燃やす――我が名は魔王アスタロト。汝との血の”契約”をして汝に“魂”の救済を――』



「――――ッ!?」


 最後の一言に驚愕で目を剥くが、言葉を出す前に禍々しい瘴気のようなものが俺を呑み込んだ。

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