村娘たちが戻ってきたからか、それとも朝日の包まれるような暖かな光のせいか。
ここに初めて訪れた時のようなぴりぴりとした空気感はなく、なんとなく緩んだ、それでいて落ち着く雰囲気を感じる。
これは、あくまでレイナが取り戻した村本来の温かさだ。
その一助になれたというなら悪い気はしない……。
そんな感慨に耽りながら思い出されるのは、勇者だった頃の自分。
ありとあらゆる人を救い、感謝される――仲間との時間に幸せを感じていたころの自分だ。
「――――ぅッ!?」
雷に打たれたような激痛が俺の頭を襲った。
訳の分からない俺は頭を抑え、激痛の余韻に顔を歪める。
『何を腑抜けている。主のやり遂げることは他者の救済などではなかっただろう?』
この声は――俺は瞬時に、この頭痛の原因を理解した。
頭に響くのは上からものをいう狡猾的な声――アスタロトだ。
『いかにも! 余が、魔王アスタロトだ。主からしたら余は命の恩人というやつだな!』
助けてくれたことには感謝している。だが、なんの用だろうか。
俺の思考を読めるアスタロトは誤差なく答える。
『用ってほどでもないのだが、主が”本来の目的”を忘れていないか心配になってな。こうして少し懲らしめに来てやった』
いらぬお世話だ。
『本当にそうか? 下らん感情に惑わされて過去を思い起こすなど余からしてみれば愚行よ』
俺が村を救ったといいたいのだろう。
しかし、俺がこの村を救ったわけじゃない。
『ふん、あくまで白を切るというわけか。余は構わんが、その考えを続ければいずれ痛い目を見るのは主の方だ』
それはどういうことだろうか。まぁいい、それに俺は”目的”を失ったわけじゃない。
そうだ、ちゃんと覚えている。
俺は、”復讐”する。
魔王討伐という同じ目標を掲げ邁進し、困難を乗り越えてきたというのにも関わらず、いざ魔王を前にして一目散に逃げたかつての仲間たちに。
何としてでも、俺は”復讐”を果たすんだ。
『それが分かっているのならいいが……余もようやく落ち着いたからな。しばらく主の動向を間近で楽しむとしよう』
声しか聞こえていないが、彼女が口角を上げて愉しんでいるのが想像できてしまう。
アスタロトの笑う様に嘆息する俺を他所に、突然目の前に魔法陣が展開した。
深い紫を明滅させるそれは、一瞬光を強めたかと思うと、たちまち光の塵となってき消え、代わりにそこにいたのは――。
「久しぶりだな、テオ・グランド」
「とか、げ……?」
「~~~~~~~~~~~ッ!? 主は余を蜥蜴と言うか! 主には見えんのかこの鋭い牙、強靭な爪と尾。そして、この立派な翼!」
パサパサパサ。
「とかげ?」
「キィ―――――――ッ! 貴様、今に見ていろ、余が本気を出せば主なんぞ丸焦げだ!」
ボォッ。
ぺし。
呆然。
俺はただ呆れた。
現れた魔法陣が転移系か何かで、彼女が姿を現すことはすぐ分かった。しかし実際に俺の目の前に現れたのは、小さなトカゲだった。確かに、翼が生えているから飛竜なのだろうが……にしても、小さい。
森にいたコボルトの頭より少し大きいくらいの、深い緑が入った黒色の体をしていて、丁度俺の目線の高さで翼を上下させている。
「なんというか、拍子抜けだな」
魔王とはいえ、彼女は俺を救ってくれた恩人。
それは間違いないのだが、魔王というのだから禍々しい姿を想像していた。
俺が討伐したいつかの魔王――マルファスは一瞬でも気を緩めてしまえば、足が震え正面に立つことすら許されないほど、恐ろしい存在だった。
対して今俺の前にいるのは、”邪智暴虐の権化”というよりも”トカゲ”で、よく言っても飛竜の幼子だ。幼子にしても小さいのだが。
「カッ、これはあくまでも世を忍ぶ仮初の姿だ! 余が本来の姿で出ては、溢れんばかりの妖艶さと凄まじい魔力で現世の者たちを委縮させてしまうからな」
「そういうことにしといてやる」
「何を!! ――ったく、もういいわ。とりあえず、余はしばしこの姿で主と同行しよう」
意外と彼女は器が大きいようだ。俺の知っている魔王だったら気に食わないことがあれば力で制裁し、服従させる。そうやって多くの国を堕とし、取り込み世界各地で暴れている。
そうしないのは、俺と彼女はあくまでも契約関係。主従関係ではないからだ。
「とりあえず、この村を出るまでは姿を隠していてくれ」
「む、まぁしょうがないか……いいだろう」
そういって、アスタロトは俺の言い分をすんなりと聞いてくれたかと思うと、一瞬にして姿を消した。
彼女は魔王にしては意思疎通がしっかりできている気がする。
少し安心感を得て、俺はその場を後にした。
それから数時間経つと太陽が高くなり、飲み倒れていた村人たちは女性陣に叩き起こされ、村本来の活気を取り戻していた。
遠目でなんとも言えない満足感を抱いていた俺は、オウクの木の下でキョロキョロとしていたレイナのもとに歩み寄った。
俺を見つけるや否や、安心した顔を見せる彼女に歯痒さを覚えながら、もう少ししたら村を出ることを告げる。
一瞬顔を暗くしたあと、レイナは直ぐに笑みを浮かべて「分かりました」と村長の方へと駆けて行った――。
「本当に、行かれるのですか?」
「あぁ」
名残惜しそうにこちらを見るのはレイナだ。両手の指を絡めながらもじもじとしている。
そんな彼女の後ろでは、村長を先頭に村のほとんどの人が集まっていた。
村を出発すると聞いて、わざわざ足を運んでくれたらしい。村を訪れた時とは大違いの対応だが、少しは認めて貰えたのだろうか。
特にレイナには随分と世話になったし、昨晩の彼女との談笑は案外思い出深いものになっている。
多分俺もまた名残惜しさを感じているのだろう。
だが、俺にはやるべきことがある。
契約相手にも釘を刺されてしまったし、時間を持て余す余裕もない。
だからといって、最後の一言が「あぁ」というのも、世話になった相手に申し訳ないわけで――こういう時なんていうべきか……俺は人付き合いが苦手な脳みそから捻り出された言葉を、音にして出す。
「また、会おう」
そういうと、レイナは気持ちが晴れたのか、俺の方を見て破顔してくれた。
「はいっ、またいずれ……すぐにでも!」
茶色の強い麗髪を陽光で光沢させ、くしゃりと笑う彼女は、やはり村娘にしておくには惜しい程尊いものだった。
彼女の笑顔に軽く首肯して、踵を返し歩を進めた。
●
「次はどこに行くのだ?」
「こっから一番近い都市だ」
竜の姿でいるアスタロトと共に、次の目的地までの道を歩く。
地図を片手に整備された街道に沿っていく。本来なら馬車を借りて進みたいところだが、オウク村は家畜用の動物しかおらず、馬はいないという。
暫く外部との交流も経っていたために、行商人がいつ来るかも分からないと言われ、致し方なく徒歩での移動になっていた。
ちなみに、次の目的地は既に決まっている。
ここ最近で生まれ、世界的にも認められるようになった大都市。軍事力、という点でだけならそこらの大国にも劣らない――【傭兵都市】ミエシナ。
【傭兵都市】といってもその実際は若干違っていて、傭兵ではなく冒険者が集まる都市だ。
「ん、そこには確か……」
「あぁ、分かってる」
ミエシナが最近できたというのは本当だ。ほんの数年前の話で創設者はかつて勇者の一人として、俺と共に旅をしていた”クリーガ”という男だ。
ミエシナには〈ギルド〉と呼ばれる施設があり、冒険者を名乗るためには〈ギルド〉で申請を行わなければならない。冒険者になった者は、〈ギルド〉に寄せられる多種多様の依頼を遂行し、報酬を受け取るという仕組みになっていて、従来の兵士として国に志願し、国のために働く形とは全く異なった体系となっている。
その仕組みを作り出したのがクリーガだ。
元々、モンスターとの戦闘で生計を立てる人々を冒険者と称していたが、彼のおかげで、今では冒険者は一つの”職業”として認識されているらしい。
「もともと、ミエシナは【傭兵都市】とは名ばかりのごろつきの町だったんだ」
人間のことに興味があるのか、アスタロトはしっぽを振りながらこちらをのぞき込んでくる。
俺とクリーガが邂逅する前に、彼は既に〈ギルドを作り、その体系をほぼ完成させていた。彼は自らを〈ギルドマスター〉と位置づけ〈ギルド〉を統制していたのだ。
勇者として旅をする傍ら、ギルドの役員と連絡を取り、ミエシナでの地位を確立させていたらしい。
オウク村を出る前に聞いた話では、彼は今魔王を討伐した勇者として凱旋し、自らを〈グランドマスター〉と称して、ミエシナの実質的な統治者となっているようだ。
〈マスター〉って響きが好きなのだろうか。
様々な依頼を引き受ける冒険者たちを傭兵と重ね、今では【傭兵都市】と言われるようにまでなったのだと。
「まぁミエシナがあることはともかく、【傭兵都市】がどうのこうのっていうのは、オウク村で初めて知ったんだがな」
「ほぉ、しかし魔王討伐と言いつつ他のことを並行するなど、器用な人間もいるものだな。魔王の品位が落ちてしまうではないか」
「どうだかな。だが、あいつの力は本物だよ。単純な戦闘力っていうなら、勇者の中で一番だ」
「そんなにか? 実際にマルファスを殺したのは主じゃないか」
そうなのだが……俺はそれ以上口を開かなかった。
というよりも、説明がしづらかった。確かに魔王を倒したのは俺だが、だからといって他の勇者たちが弱かったわけではない。
この前遭遇してしまったリンだって、俺らの中で一番の俊足だ。
それぞれに長所と短所がある。
俺にも……。
「そういえば一番肝心なことを聞き忘れていたんだが、時間はどうなっているんだ? 俺の姿は幼くなっているし、クリーガが【傭兵都市】を築いたのが数年前というなら、俺が魔王を倒してから多少なりとも時間が経っている気がするが」
「おぉ、やっと聞いてくれたか! 今まで思っていたが、その幼い容姿で澄ました態度に、不遜な物言いとなると、聊か違和感があるな。これがギャップというやつか?」
「知るかッ、いいから答えろ!」
唐突に人間の言葉を引用し始めるアスタロトに、俺は怪訝な目を向けた。アスタロトは知的探求心……というより好奇心が強いのかもしれない。
オウク村に出た後も、興味津々といった様子で、道の端に生える植物や動物の名前を聞いてきた。魔王や魔獣が住まう暗黒大陸とこちらの大陸とでは、生態が異なっているのは知っているが、これから行動していくうえでいちいち聞かれてしまってはたまったものじゃない。
嫌気がさしていたのが顔に出ていたのか、アスタロトもどこか不機嫌そうな調子で答えてくれた。
「三年だ。主がマルファスを殺してから三年経っている」
「さんねん!?」
三年という時間の長さに、俺は声を荒げて驚愕した。
数字の上では小さいが、時間に換算すると三年はかなり大きい。
「しょうがないだろう、主の”能力値”を抽出するのに余の魔力だけでは足りんかったからな。時間も支払わせてもらった」
「おい、それは聞いてないぞ」
「ん? 16の姿にしてやると言ってやっただろう」
「それが説明でたまるか! てか何で三年減って三年経ってるんだよ!」
俺の当然の憤りに対して、アスタロトは変わらずどうでもいいことを話すように嘆息着いた。
「知らん」
そのあと、俺とアスタロトの口喧嘩が起きたのは誰も知らない。
●
およそ一週間で俺は目的地に着いた。
途中モンスターに襲われたけど何とかなったし、食糧調達も大して苦ではなかった。オウク村で分けてもらえた分があったからだ。
不幸にも行商人と会うことがなかったために、終始徒歩だったけど。
「ここがそうなのか?」
「あぁ」
ここが、【傭兵都市】ミエシナだ。
どうやって造ったのか|超硬金属《アダマンタイト》でできた城壁をぐるりと円状に一周させ、巨大な正門で新たな冒険者や、冒険者たちを狙って稼ごうとする商人や職人らを迎え入れる――超巨大都市。
簡単な検問を終え、入場許可がおりると幅20メータルのメインストリートがギルド本部まで続いている。
途中、中央広場と呼ばれる噴水を真ん中に置いたこれまた円状の広場があるが、俺らの目的は広場で休息を取ることではない。
賑わう雑踏に新鮮さを感じながら路の最奥に佇む〈ギルド〉に向かう。
メインストリートの両脇には、家屋もさることながら多くの露天が羅列されており、並べられた数々の調度品は、遠目から見ても質の良いものだと分かった。
市民の依頼の他にも、特殊な依頼も受けるギルド所属の冒険者は割と給金がいい。ギルド所属の冒険者にはランク制度があるらしく、Cランクまで上がれば、生活に困窮することはないという。
その上となれば尚更で、彼らに相応且つ不可欠な商品を言い値で売ることが、商人たちの使命だ。
もちろん値切りをする冒険者もいるが、常備品を売る店なんかはそれも含めた値段をつけるため、冒険者は笑えない。
しかし、仕事の報酬が美味しいほど命の危険が伴う。
だからこそ、冒険者たちは準備をぬかるわけにはいかない。
「なるほどな。にしても、人間のマチは随分と賑わっているな」
「どこもかしこもそうって訳じゃない。ここは特に、だ」
そう、〈ギルド〉の都市での立ち位置が確立してからは、ギルドによる冒険者登録の規約により、都市の治安面の制約を科せられるらしい。
それきり、都市内で跋扈していた無法者は一気に減少し、都市は賑わいを見せるようになったという。
「無法者で市民から端金を巻き上げるより、冒険者になった方が稼げるからな」
それは紛れもない事実だ。
元々戦闘にしか長所がなかった者は手に職つかず、無法者として都市をのさばっていた。
そこで彼らの光となったのが〈ギルド〉だ。
〈ギルド〉はモンスターの討伐や賊の調査といった、戦闘能力が要求される依頼も引き受けている。
自分の得意分野で金が貰えるのだから、冒険者になることは賢明な判断だ。
「ふむ。しかし主はそのぎるどの親玉をこれから殺りに行くのだろう? いいのか?」
「バカか、お前は」
「なんだとっ!?」
「クリーガに限ったことじゃないが、今の俺があいつらに勝てるわけがないだろ」
「はて、じゃあ何をしにぎるどとやらに行く?」
「冒険者登録に決まっている」
俺の返答に関心を示したのか、横でパタパタと音を立てるアスタロトが目を向けて問う。
「その心は?」
「金だ」
正直に応えた俺に盛大な溜息と呆れたような目を向けてくるアスタロト。
「せちがらいな」
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