気まずい雰囲気が暫し続いた。閑散とした空間が否応なしにその雰囲気に追い打ちをかける。
俺はリンに背中を向けていた。彼女が最後に言葉を口にしてから彼女が動いた様子はなく、体勢を変えた気配もない。場を静寂が占有するせいか、彼女の不動がより濃く、少し気がかりにもなる。
リンは優しい子だ。他の誰よりもそれを知っている。彼女と出会ったとき、彼女は辺境の村でモンスターから単身村人たちを守っていた。
話を聞くに、彼女はその村の出身と言うわけではなく、ただ旅の途中で通りかかっただけだと言う。見返りに何かを要求するわけでもなく、ひたすらに人のためにと戦う彼女に、俺は惹かれた。
そして勧誘した。共に魔王を倒さないかと。
彼女は喜んで承諾してくれて、以降時を共にした。彼女と過ごす旅の中で、彼女の多くの優しさを俺は目の当たりにしてきたのだ。
今後ろにいる彼女が、仲間に裏切られたと言う俺を案じ、自身の失言を悔やんでいる事は考えずとも分かる。分かってしまう。
“復讐”をする、そう誓ったはずなのに――と情けなくも、俺は自分の意志の弱さを痛感した。
「あんたの……」
「え?」
気の抜けたリンの声が耳朶に触れる。
俺の方から口を開くとは思っていなかったのだろう。いや、俺自身も自分から彼女に話しかけていることに少し驚いている。
しかし俺の口は本能的に動いてしまっていた。
一瞬躊躇ってからリンは口にした。先程の己の失言を払拭する意味もあるのだろうか。彼女は淡々と告げた。
「あんたの、その見捨てたってヤツはどうなったんだ?」
「……分かりません」
数秒の間を置いて、リンは言葉を続けた。
「私は事態が収まった後、一人その闘いの場に赴きました。彼がいる僅かな可能性を頼ったのです。しかし彼はいなかった。残っていたのは原形を留めていない城と瓦礫の山でした。何度も、彼を探した……」
何も言わず彼女の言葉に耳をかす。
彼女の言っていることに嘘はない。彼女の性格もあるが、彼女の言う惨状を築いたのは俺自身だ。魔王との闘いはその身も当然ながら、周囲も巻き込む死闘に次ぐ死闘の連続だった。
その末に魔王を討った。
「瓦礫の山を進むと少しの空間があり、私は目を見開きました」
「…………」
「大量の血が飛び散っていたんです。それは間違いなく致死量……調べればすぐに彼の血だと分かりました。しかし彼は……彼の身体はどこにもない」
リンは必死になってその彼――俺を探したと言う。生きているかもしれない、という一縷の望みに賭けて何日も探したが……見つからなかった。
俺だって人間だ。それを聞いて何も思わないほど悲観的でもなければ非情でもない。
彼女が必死になって探した当人は今彼女の目の前にいるというのだから、尚更度し難い。
唇の端を噛み締めた。
自分の意志が薄れていくことへの耐えなのか、はたまた何なのか、今は自分の気持ちがはっきりとしない。
「あんたはそいつを見つけてどうしたいんだ?」
核心をつく問いを投げた。
殊によっては、彼女の返答次第で俺の彼女への見方は変わってくる。
その問いにリンは直ぐには解を出さない。数分に渡って逡巡し、ゆっくりとその口を開いた。
「…………分かりません」
彼女の出した答えは同じだった。
「彼を置いて逃げた事を謝りたいのか、許してほしいのか、分からない。ただ私の中で、その行いは間違いなく許されざる行為……もう仲間を名乗ることすらおこがましい。けれど、もう一度会いたいんです」
「後悔……してるのか?」
「していないといったら嘘になります。彼は私にとってかけがえのない人でした、本当に。それなのに私は――」
瞬間、胸が締まるような何とも言えない感情が湧き出た。
そんな風に俺のことを思っていたのかという驚きと、それなのにどうして裏切ったんだという困惑。錯綜する二つの感情が俺の心を攪拌する。
そして、未だ判然としない感情の中で絞り出した言葉は、自分でも意外なものだった。
「後悔してんなら進め。下を向くな。それでもダメなら上を向け。そうすれば、自然と前を向ける」
「え……?」
俺自身思いもしなかったのだ。リンからしたら驚愕の他なかっただろう。
まさか、俺が励ましの言葉を口にするとは……むず痒い。
頬が熱くなるのを感じながら、俺は咄嗟に話を変えた。
「とりあえず飯にしよう。と言いたいところだが、生憎荷物は全部仲間に持ってかれてな。できればあんたの力を借りたい」
立ち上がり、リンに歩み寄って手を差し伸べる。
僅かに瞳を揺らして驚いた表情をした後、リンは何かが晴れたように笑みを浮かべ俺の手を取った。
「分かりました」
その後、俺たちはその場所を本拠として火を起こし、リンの先導で獣道を通り抜け一晩分の食料を集めた。と言っても、俺は木の実や山菜の採取ばかりで狩りは全てリンが行った。
2人で本拠に戻る頃には太陽は沈み、月が空に顔を出していた。太陽が頭の上にいた時よりも、風が肌に突き刺さり体力を奪い、寒さを誘う。
中央に焚いた火を囲んで暖をとる。
道中で採った木の枝を火を挟むように地面に突き刺し、一本のしっかりした木の棒をそれの上に置く。置かれた木の棒には、リンが仕留めた鹿が宙吊りになって括り付けられていた。
今日の夕食は鹿肉のシチューだ。テオの採った山菜とリンの捕まえた鹿を解体したあと、彼女が持ち合わせていた調味料で味付けした。
お椀や匙も含め、全てリンの私物だ。
「火が通ったみたいですね。食べましょう」
グツグツと鍋の中で煮えるシチューをお椀に掬い、リンが分けてくれる。自分の分もよそい終え、合掌し決まり文句を言う。
「自然の恵みに感謝を」
それに習い同じことをしてシチューを匙で掬い取り口に含む。
口の中に広がる芳醇な香り。調味料の効いたまろやかなそれは舌をゆっくりと流れ落ち喉を通る。溶けるように柔らかい鹿肉は絶品で、とても即興で用意したとは思えないものだった。
俺の手は止まることを忘れて5分も経たずに平らげてしまった。
それを見かねたリンは口元を手で隠しながらクスクスと笑みをこぼした。
「食いしん坊ですね」
食事を終え、俺たちは直ぐに寝る体勢に入った。
夜の風に周囲の木々が葉をこすり合せる音が心地よく流れてくる。
「テオさんもう寝ましたか?」
「いや」
「テオさんはどこ出身なんですか?」
不意にリンが質問してきた。
「どうしてそんなこと聞くんだ」
「テオさんは私の知っている方に本当そっくりです。見た目はテオさんの方が幼いですけど、その黤色の髪と黒い瞳は全く同じですし、言葉遣いとかも……」
「悪いけど、教えないよ」
「なんでですか?」
「なんで……と言われても」
「……」
「俺、昔の記憶がないんだ。仲間にも言ったことはないが」
「え?」
嘘だ。記憶なら嫌と言うほど覚えている。故郷のことはもちろん、何においても忘れられない記憶がしっかりと鮮明に脳の奥底へと刻まれている。
これ以上彼女の詮索されるのを嫌ったから、と言っていえばそれもそうだが、俺の故郷は既にない。
純粋に故郷については語りたくないというのが本音……かもしれない。
夜風も静まり、森も眠り、夜が深まった頃、俺は起きた。
最低限音を立てないようにゆっくりと体を持ち上げ、リンの方を見ると彼女は爆睡していた。
あからさまに無用心で隙だらけだ。こんな美女が無防備の格好で寝ていたら、理性のない男など欲望に従うままだろうに。元仲間だけあって少しの羞恥心を覚える俺は内心ため息が溢れる。
最後に眠る彼女の顔を一瞥して、俺は何も言わず森の奥に足を踏み入れていった。
黙々と淡々と草木を掻き分け、倒木に跨り、蔦を払う。
「アイツとはしばらくお別れだ……」
“復讐”の標的である彼女と闘うにせよ、今の俺には決定的なまでに力が足りない。
「“能力値”……まずはこれを上げないと話にならない。この世界での“能力値”の数値は生存率みたいなもの――って独りで何言ってんだ、俺は」
急落した底辺の“能力値”を持つ自分に不安が過る。
ただそれを払拭したかったのだろうか。
情けない自分に苦笑するも、歩みは止めない。
夜は夜行性のモンスターが行動する。ましてや深夜ともなると昼間寝ていたモンスターも眠気がさっぱりになっている頃だろう。
細心の注意を払いながら俺は前へと進んだ。
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