体育館の隅に座って、バスケの練習を見てた。
放課後のこの時間に、この場所に来ることはあんまりなかった
っていうか、多分ない。
練習の邪魔になるだろうし、来てもすることはないし。
詩穂と待ち合わせる時は、いつも体育館の外だった。
…なんか、不思議な感覚だな
みんな、昔と何も変わってない。
女子バスケ部の中には、詩穂の他にも友達が何人かいた。
後輩の松ちゃんと、テル子。
文化祭で一緒に屋台を開いたんだよね。
この頃はまだ、関わることがほとんどなかった。
陸上をしてると横の繋がりがあんま無いというか、特に高跳びの競技なんかは、陸上の中でも孤立してて。
高跳び専属でやる人なんて、東京でもあんまりいない。
…いや、まあ、それは語弊があるかな
私が知ってる高校では、「陸上競技部」っていう括りで活動してる人がほとんど。
高跳びをやってる人ももちろんいる。
だけど私みたいに、子供の頃からやってる人なんて滅多にいなかった。
大抵“高校から始めました”とか、“興味を持ったから”とか、そんな感じ?
塩見々浜高校は、それこそ高跳びをする人なんていなかった。
この高校に入ったのは、たまたまこの学校に、高跳びで有名だった選手がコーチをしてたから。
中学のインターハイでその先生とは知り合い、一緒に頑張ってみないか?と言われた。
設備もいいし、練習環境なんかは近くの大学の施設を利用できる。
自分で言うのもなんだけど、当時は期待されていた。
女子中学の日本記録に迫った中3の頃。
いつかオリンピックの舞台に立ちたいって、思ってた。
今となってはいい思い出だ。
子供だったからさ?
全部うまく行くと思ってたんだ。
東京暮らしもいいかもって、変な妄想も膨らませて。
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