メイド長の葬儀

小夜氏
小夜氏

メイド長の葬儀

公開日時: 2020年9月27日(日) 08:15
文字数:1,030

「伯爵さま。今夜はお招きいただき本当にありがとうございました。こんなに美味しい料理を食べたのはいつ以来のことか——」

 門に着けた馬車の前で声を詰まらせたのは、社交界での人気も広がりを見せている美しいオペラ歌手だった。

「喜んでいただけたのなら美食家としての誉れだ。ぜひともまたお越しいただきたい」

 伯爵は卒なく対応しながら、今晩食べた夕食のことを考えていた。ずいぶんと田舎風の料理だった。メインディッシュは皮付きの芋を薄切りにして、ひき肉とともに炒めたもの。確かに火加減も味のバランスも上質だったが、それまでだ。

「はい、喜んで」

 そんな伯爵の考えなど知る由もなく、歌姫は涙ぐみながら頭を下げてスカートを持ち上げた。


 伯爵は美食家として知られていた。 しかしながら、その栄誉の多くはメイド長に負うていた。


 賓客が見えると、メイド長は腕を振るう。 そして客の多くはその食事の美味しさに、感極まって涙を流した。 噂は噂を呼び、来客は増え、伯爵家は一代にして大きく財産を増やした。


 伯爵は不思議がって言った。

「私にはお前の料理が特別美味いとは思えない。どうして彼らは涙を流して喜ぶのか」

 召使いに対してとはいえ、さすがに不躾なこの質問にも、メイド長は微笑んで答えた。

「その質問に言葉で答えるのは、非才な私の手に余ります。ただ、私がもし先立ったなら、葬儀の日の夕食でわかるでしょう」


 そしてその日は、思っていたよりも早く、突然に訪れた。 自分でも不謹慎だと感じながら、内心舌なめずりをして待っていた伯爵は、メイドの運んできた夕食に拍子抜けしてしまった。 「メイド長は、これを伯爵様にお出しすることを、いつも楽しみにしておりました」

 気丈にそう言ったメイドも、食事を皿に移した後、ダイニングを出るまで堪えきれず、エプロンの端で涙を拭った。 伯爵は夕食に目を戻す。メイドが運んできたそれは、適温まで湯煎で温められた缶詰めであった。そして皿に移されたその中身はシチューであった。それは、伯爵の食卓に最も多く上った、決まって来客のない日に出された料理であった。 肉をひとさじ掬い、咀嚼する。


 丁寧にアクを取り野菜を煮こんで作られたフォン・ド・ヴォー、柔らかく煮込まれた肉、大きめに切られながらも芯まで火の通った野菜。どれひとつとして初めてのものはなかった。これまでずっと食べてきたシチューだった。

「なんだ。ありきたりなシチューではないか。凡庸な、いつもと変わらないシチューではないか」

 そして伯爵は声をあげて泣いた。

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