春のはじまり、１週間の休みを終えて、
久しぶりの中学校はサチには苦痛だった。

空気が重く、視線は冷たくてしい。

人殺しだとかしたなどと、
好き勝手にやをされた。

同じグループにいる友達とは
以前よりも距離を取られ、
私はグループに近づくこともなかった。

――このくらいの報いは当然だ。
　　私は人を殺しかけたんだから。

サチは自分に言い聞かせた。

授業が終われば逃げるように学校を出て、
いつもとは逆の道を今日はひとりで歩く。

足取りは重い。
視界はやけにく、まだ日は高いのに、
いつもより暗く感じた。

自分の足音が、まるで
他人のもののように聞こえる。

目的の場所は徒歩30分ほどの地元の高校。
移動はバスでもよかったが、
バスが到着するよりも歩いた方が早い。
それに楽することをサチは選びたくはなかった。

正門に着いたものの、途方に暮れるサチ。
後先考えずに来てしまったのが
自分の悪いところだ、と反省した。

とりあえず優しそうな感じの、
ふたり組みの女子生徒に声をかける。

「さんって生徒はご存知ですか？」

「こがじま？　年生？」

「たぶん２…３年、だと思います…。」

「わからん。知ってる？」

「そのひと、入ってるか、わかる？」

「ラケットバッグ背負ってたので、
　たぶんテニスか、…バドミントン…。」

「バドミはウチにないからテニスだね。
　コート案内してあげる。
　女子に知り合いいるし。」

「すみません。ありがとうございます。」

「カレシ、じゃないの？」

「のもつれってやつ？
　生き別れの兄妹とか？」

「ええっと…。」

ふたりの質問攻めに、サチは口ごもった。

中学生のサチはの、注目のになった。
取り立てて美人でもなければ、背も高いわけでも、
悲しいかな体型がスラリとしているわけでもない。

「？　の、カノジョ？」

テニス部の女子から男子の部長らしき人物が、
をめながら対応した。

「ちがいます。」今度はハッキリと断った。

「コガなら退部したよ。」

「退部？　それは、どうして。」

「知らないの？　事故ったからだよ。
　大会予選のタイミングでツイてないよな。
　３年は最後なのに。」

「そうですか…、あの…学校は…？」

「来てないよ。オンラインだって。
　俺も自宅で授業受けてぇ。」

「ありがとうございました。」

会話を打ち切るように頭を深く下げて、
サチは高校を逃げった。

サトルは部活を辞めた。
理由は事故にあり、事故の原因はサチにあった。

帰宅中、サチはサトルの
乗っていた自転車にぶつかり、転倒した彼の上に
後方から来たバイクがぶつかった。

バイクの運転手にもがあったが、
ヘルメットのおかげで幸い軽傷で済んだ。

しかしは左足を怪我して救急車で運ばれ、
１週間の入院生活をなくされた。

今日改めて謝罪に行ったはずのサチだが、
テニス部のの選手生命を、
事故でったことを知りとした。

――私のせいだ…。

――――――――――――――――――――

翌日、サトルの自宅に、
サチは菓子折りを持って訪問した。

サチは以前も訪問したが、そのときは入院中で、
からは面会を拒絶されていた。

深く息を吐いて、インターホンを押す。

「はい？」女性の声。

「すみません。以前、事故の件で
　お詫びにいましたです。
　こが…サトルさんはご在宅でしょうか。」

サチはカメラの向こうの
見えない相手に向かって、深く頭を下げる。

しばらくなにの反応もなかったが、
すぐに玄関の扉からサトルの母親が姿を見せた。

「これ、わざわざ、サトルに？」

サチはくリビングに迎えられたが、
目的のサトルは不在だった。

「あの…サトルさんはどちらに？」

「今日図書館に行っててね、
　夜まで帰って来ないのよ。」

「そうでしたか。
　学校にもいましたが、
　事故で部活を辞めたと聞きました。
　あの…本当に、すみませんでした。」

「あの子、むっつりだから。」

「…むっつり？」

「お父さんに似てるのかしら。
　よく一緒に釣りに行くんだけれど、
　ふたりしてなにもらないのよ。」

母親はその様子を思い浮かべて笑っている。

「突然の訪問にも関わらず、
　ありがとうございました。」

門前払いを受けるかと思ったが、
菓子折りを渡すことができた。
しかしサチはまだ本人に謝れてはいない。

何度も自宅を訪問するのも迷惑がかかる気がして、
今度はサトルがいる図書館を目指した。

ワンフロアだけの小さな図書館だが、
それらしい人物が見当たらない。

と思ったところで、
トイレから出てきた
サトルとわせた。

「あっ！」

突然のに、サチは
少し大きな声を出してしまい自らいた。

お互いに顔はとしていなかったが、
サチはをつくに気づき、
もまた、サチの顔を見て察した。

「静かにしろよ。」

低い声で迷惑そうに言った。

は折れた左足をギプスで固めて、
松葉杖をついてゆっくり自習室へと向かう。

かの学生らの片隅で、
は勉強をしていた。

自習室の出入り口で立ってめていると、
ほかの利用客にがられたので、
サチは近くの席に座り考えをらせた。

――静かにしろよ。

と、に注意され、
サチはなにも言えなかった。

まずの言葉をいくつか用意していたが、
この場のこの状況では、どのタイミングで
言えばいいのかわからず、を求められる
図書館という場所にはであった。

自分の考えなしの行動が、余計に自分を苦しめた。

顔をいいてはときおりを見て、
気にもめずと勉強をする彼の横顔に、
自分の居場所の無さに打ちひしがれる。

「帰るんですか…？」

が席を立ったタイミングで声を掛けた。

「トイレだよ。」

「あ…。なにか…。」

サチは気が動転して、れに松葉杖を立てる
に向かって変なことを口走った。

「手伝えることってありますか？」

「…発言には気をつけろよ。」

に深くしわ寄せて、
は自習室を出ていった。

彼の言う通り、サチの放った言葉は最低だった。

サチが手伝えることなどなにもない。

まず館内で会ったときに、
はひとりでトイレを済ませていた。

その言葉自体が迷惑でしかない。

――扱いして、したんだ、私…。

ずべき発言に、顔をって机にっした。

――――――――――――――――――――

閉館時間を知らせる放送が館内に流れる。

自習室から見える窓の外はもう暗かった。
のあとで、サチは寝ていた。

寝ていたサチの姿を、
はをついてめていた。

「俺は帰るが？」

なにやら面白いものを見た様子で、
を上げているに、
寝ぼけのサチは覚めると同時に顔を赤らめた。

は大きなバッグを背負い、
松葉杖で前を歩く。

事故の日に見た、
ラケットバッグは背負っていない。

サチに手伝えることはない。

なにかを言おうにも、
どんな言葉も相手をにさせる気がして、
サチはためらったまま後ろを歩いた。
帰りの道は同じだった。

通りに出て、近くのバス停に着いたが、
はにもたれてひと息つく。

「あの…座らないんですか？」

バス停の座席は空いている。

「一度座ったら、今度は立つのがしんどい。」

「そうなんですね…。」

――また失敗した。

サチはうつむいて、なにも言えなくなった。
は時刻表を確認して顔をめた。
バスはまだしばらく来ない。

「今日はカレシと一緒じゃないのか。」

「ちがいます。」

「ウチから、ここまでやってきて、
　ひとりでしたいんじゃないのなら、
　オレからなにか言って欲しいわけだ。」

はサチを見て、そう告げた。
サチが思い浮かぶの言葉はいくつもある。

しかし謝って済むような事故ではなかった。

が元通りになるわけでもなければ、
が部活を辞めたのもに理由がある。

「。」

「えっ…。」

がつぶやいた。
足のふくらはぎ側にある細い骨が、
バイクにかれた際に骨折した。

いまはギプスによってスネから足の裏まで
がっちりと固定されている。

「１ヶ月だと。」

「でも部活も辞めたって…。」

「部活を辞めたのはキミの…名前なんだっけ？」

「え…です。サチです。」

「そう、は自分のせいだと
　勝手に責任感にってるみたいだけど、
　退部届けを出したのはオレの判断だよ。
　キミ…が出したわけじゃない。」

「大会に出られないからじゃ。」

「まぁ大会に出ても結果は見えてたし、
　もう３年で受験も控えてるから、
　勉強するなら早い方がいいだろ。」

そしての口から本心がこぼれた。

「見てるだけでなにもできないのは、
　いだけだしな。」

「あの…本当に、すみませんでした。」

何度目か分からなくなるほど、
深々と頭を下げてした。

のため息がれ聞こえる。

「事故のことについてはもう、
　保険屋のひとがやってくれてるからいいだろ。」

「それでも私は、ちゃんと
　さんに謝れてなくて。
　入院中は面会もできなかったし…。」

「そのは自己満足じゃないのか？
　オレは『謝ってくれ』なんて言ってないだろ。」

「そうですけど…。」

「オレがあの事故について、
　をすることもないよ。」

「どうしてですか？」

「たちの横を通り抜けようとして、
　ぶつかったにバランスをして、
　けな俺は道路に飛び出した。
　ちょうどそこにバイクが来た。
　トラックだったら危なかったけど、
　バイクだったからこの程度で助かった。」

松葉杖の先で、ギプスを軽くいた。

「部活については、引退が早まっただけ。
　おかげでいまから受験勉強に集中できる。
　部活のせいだとか、事故のせいだとか、
　そんなことの言い訳にさせないでくれ。」

「…すみません。」

サチは自分のの無さに
ますます気がってしまう。

「アンガーマネジメントって言うんだと。」

「なんですか？」

「テニスやってると、自分の思ったような
　ボールが打てないときがあるんだよ。
　中学でもテニスくらい授業であるだろ。」

「ソフトテニスなら。
　打ち返すのにで、
　そこまで考えたことありません。」

「…運動できなさそうだもんな。」

はサチの体型を見てから言い放った。

年齢の割に胸はそれなりに成長したが、
のの通り、運動は昔から苦手だったので
反論の余地はなかった。

「ぐっ。」しかししさに思わず声がもれる。

「そういうやり場のない怒りの気持ちを、
　テニスの試合中はえなくちゃ
　いけないんだよ。」

「それが…アンガー？」

「アンガーマネジメントな。
　コートで叫んだり、ちのあまり
　ラケットをするプロもいるけど。」

「そういえば、なんか見たことあります。」

「感情のにはいいらしいんだと。
　今回の事故で、巻き添えのバイクの運転手や
　に文句を言っても仕方がない。
　感情的にならず先を考えると、それより
　自分のやりたいことをすべきだと思った。」

「やりたいこと…それって、進路ですか？」

はうなずいた。

「怪我してテニスが嫌いになったわけでもない。
　リハビリして、大学行っても
　たぶんテニスはやってると思う。」

それを聞いて、サチは少しうれしくなった。

「見てるだけでも楽しいけど、
　選手としてのオレは、スタミナと
　筋肉不足で芽が出ない方だと分かった。
　それでこれから何年先もテニスに関わるなら、
　系に進むのも、選択としては
　有りだと考えた。」

「…立派ですね。」

進路やその先の、将来のことなど、
まだ中学生のサチはなにも考えてもいない。

「いや、遅いくらいだ。
　まぁそういうことだから、
　をるつもりもしない。
　らないことを残念がらないでくれよ。」

「べつにって欲しいわけじゃ…。」

しかし、の言う通り、
サチが一方的にして気が済む問題でもなく、
られたところでな関係にはなりえない。

彼の宣言を受けてサチは自分の行動に納得する。

「突然押しかけたにも関わらず、
　ありがとうございました。
　それに…さっきは失礼なことを言ってしまって
　すみませんでした。」

「トイレでなにを手伝うんだか…。」

「言わないでください。」サチは顔を赤くした。

「あまり他人をするつもりもないけど、
　例のカレは？」

「だからカレシじゃありません。」

「あの日、たしか一緒にいた。」

歩道をふたり並んで歩いていた。
そこを通り過ぎようとしたとき、一瞬
男の方と目が合ったのをは記憶していた。

「同じクラスのグループだったんですけど。
　最近ちょっと付きまとわれてて。」

「ストーカー？」

「そこまでじゃないですけど。
　あの事故の前までは帰りが一緒で、
　告白っというか『付き合おう』って言われて、
　その日はきっぱり断ったんです。」

断り方が相手に不快感を与え、
その男子はサチを突き飛ばした。

「そしたら私が自転車に…、
　さんにぶつかったことになってて、
　グループには私の悪口が…。」

――殺人。ビッチ。人殺し。

それを聞いたは、
中学生ののもつれの果てに
迷惑をったことになる。
それからいたバイクの運転手も。

サチのい顔を見て、
はこれ見よがしにため息をついた。

バスが来た。
バスに乗る前に、はサチにひとことげた。

「学校が嫌なら、図書館で過ごせばいい。」

「えっ。」

「授業なら家で、オンラインで見られるし。
　お友達グループか、それともか。
　きっと誰もを叱らないだろ。
　じゃあな。」

バス停に取り残されたサチは、
の乗ったバスを目で追って立ちくした。

サチがずっとひとりで考えをらせていたことが、
からの言葉でなにもかもが
吹っ切れてしまいとした。

帰りの足取りは軽くなり、
夜道は以前の昼間より明るく感じた。

――――――――――――――――――――

「また寝顔でも見せに来たのかと思った。」

「寝ませんよ。
　来いって言ったの、
　さんじゃないですか。」

「そんな言い方してない。」

は否定になってない否定をした。

サチが学校に行かず図書館の自習室に顔を出すと、
は少し嬉しそうな顔をした。

「そうだ。あれから保険屋から連絡があった。」

「…なんですか？」

「防犯カメラに事故の映像があったってよ。」

「それが？」

寝顔の件を気にして顔を赤くするサチには、
話の流れがすぐ理解できなかった。

「のがされた。
　動画で例のストーカーくんが
　オレごと突き飛ばしたになった。」

サチを押す前にと目が合ったのは、
やはり気のせいではなかった。

「警察も保険屋も相談に乗るってさ。
　これで学校のグループも説得できるだろ。」

サチは少し考えてから、うなずいた。

「根も葉もないウワサなので平気です。」

むサチは、以前よりも明るい表情を見せる。
これが本来のサチなのだとは思った。

「それをウワサで済ませていいものか？
　気にしてないなら、図書館に来る必要も
　ないんじゃないか？」

の隣に座るサチが目を細めて笑う。

「ここに来ても、られませんから。
　ね、先輩。」

押し迫るサチには身を引き、
に嫌そうな顔を見せた。

しかし自習室でのふたり関係は、
の大学受験を終えても続いた。

（了）

私のバツを求めて